20141221

今は、美しく見えない

las estrellas de la tierra, la ciudad "La Paz"










夜空には、数多の星が瞬いているけど、
  

たかだか薄雲が空をかすめるだけで、その輝きは失われてしまう。


やがて雲は晴れるのだけど、次から次へと雲が流れてくるので、


結局、なんかいつも見えないような、そんな感じに思えてしまう。




だからね、



もともとの色を、輝きを、忘れてしまってるんじゃないかな。


雲があったって、嵐が吹き荒んでいたって、霧が煙っていたって


宙はいつだって、変わらぬ姿で其処にある。


あなたの頭の上に広がる宙はどこまでも深く碧く、


数多ある星は、何一つ変わらずその光彩を地球に送り続けている。




見失ってはいけないよ。




だって、何一つ変わっていないのだから。


宙の広がりも、夜空の輝きも、きみ自身も。





例えば大きな街に住んでいると、周りの明るさや空気の濁りのせいで


本当の宙が見えないし、むしろその本当を知ることすらないのかもしれない。




でも、いんじゃないかなあ。




きれいに見えるからじゃない。よく見えなくたっていい。


だって、本当のホンモノは、何も変わらないのだから。


本当の輝きを見失ってはいけない。




だから、宙を眺めてみる。




今は美しく見えなくたっていい。本物はいつだって此処にある。




それを忘れなければ。











エルアルトの高台から、ラパスの市街地を眺める。


地上に瞬く数多の星たち。


その一つ一つに、人々の暮らしがあるのだなと思うと、愛おしくなる。


輝きの中には、人の数だけの喜びや悲しみがある。だから、美しいのだ。


ただ、宙を、地上の星を眺める。









今は、美しく見えない。



薄眼を開けて眺めてみれば、美しく見えなくもない。



いや美しい。その美しさを感じる心を失わなければいいのだ。









20141219

南風の冬










先週、職場にアルジャジーラが取材に来ました。

どうも、青ヶ島です。




どうも顔の濃いカメラマンがいるなと思ったら、

役場の方がそう教えてくださいました。

過激派の拠点や、対立の火種があるわけではありません。



住んでいると、ここに日常がありますが、それだけの価値がある。

単純に、魅力的な素材なのだということでしょう。





さて、列島を襲う低気圧の影響で、島の天気は荒れまくっています。

学校が休校になった、今秋の台風以上だという方もいます。

雨は完全に真横に降っています。

ちょっと本当に歩けないぐらいの強風と、時折入り混じる氷雨、あられ。。

夏の雲のように発達した積乱雲が、海の上に浮かんでは流れていきます。



観測している温度計は、ついに3℃を指しました、、

風がめっぽう強いので、吹雪のスキー場に居るような皮膚感覚です。

商店の前に建てられた休憩所の屋根(300kg以上あるとか)が吹き飛びました。

やばいです。




前回の「例年並みがない」話以降、取材をしてみると、

どうやら、あられは毎年けっこう降っているらしいです。

(僕は去年1回と記憶していますが、、)

年によっては、雷が毎晩鳴り響く、穏やかな日が続く、などなど

毎年、様々。



まだ島ビギナーの僕には、まだまだ語れない感覚のようです。





ボリビアでは、南風が吹くと一気に気温が下がり、冬が訪れます。

そこは南米大陸。スールと呼ばれるそいつは、南は南でも南極からの南風です。

南 = 暖かい

みたいなイメージを勝手に作ってますけど、太陽も北の空に登るし、

今は夏まっ盛りのマンゴーシーズンだし、ああそうか。

そんな小さなことだけど、世界は多様でいて、違うってことを感じさせてくれます。

ちなみに、月の見え方も逆です。


季節がカレンダー通りに、というよりかは風一つで変わるところは、

島とサンファンは似ている。

青ヶ島は、西風が海を荒らし、北風がスコリアを吹き上げ窓ガラスを襲う。


今は、猛烈に冷たい北西の風。





「内地の人たちが、雨の日に傘をさすのがおかしい」

子どもたちがわりとまじめに言っていた。

この島では傘は無力だ。微力にもならない。

台風中継のあれも意味ないと語っていた。




雨の日に傘をさすことがおかしい、と考えている人がいる。

切り拓かれたジャングルの中に、南風の冬が訪れる。


世界はなんて彩りに満ちているのだろう。



サンファンは今頃、夏真っ盛り。

真夏のクリスマスを迎える準備に勤しんでいることだろう。

道端には鈴なりのマンゴー。それを落とそうと、石を投げる子どもたち。

学校の裏にあったアップルマンゴーの水々しさが懐かしい。

そして、北風の夏休みが訪れる。






そして、師走の青ヶ島。


15の春に向けて。毎日遅くまで学校勉強をする生徒たち。

今年は部活で、毎日(本当に毎日)ボールを追いかけた仲だ。

なんていうか、勝手に思い入れがすごくある。

希望に満ちた1年を迎えるために。自らの未来のために。

今日のゲームデイは、やっぱり楽しかった。





 嵐が抜ける頃にはクリスマス。

そして、2014年もカウントダウンが始まる。




















20141207

理科の窓








昨日の昼過ぎに、あられが降った。

今年最後(と予想される)のかんも掘り。

かんもは青酎の原料となるさつまいも。青ヶ島のソウルフードである。

記憶にある中で、昨年末にあられが1回。雪はない。



どっかりと居座る寒気のせいで、島の天気は大荒れ。

そのせいか、夜中に大雨が降り、風は台風並みに吹き荒れる。

西風を受けうねりは止まず。船は1週間以上着いていない。

ヤマト便は、八丈島に300個!?留まっているらしい。



にわか雨が多いせいか、虹がよく出る。

手前は曇天でも、水平線は明るく雲に陰影が美しい。

何とも不思議な光景だ。



この島に住まい始めて2度目の冬。

今年の冬は(春は、夏は、秋は、)、、去年とはぜんぜん違うなあ、と思いながらも実は平年並みがよく分からない。

ただの平均値なだけで、実際はそんな年はないのかもしれない。

島の人も「今年はおかしい」などと言うが、去年も聞いたような気がする。

毎年がイジョウキショウ。自然というものは常ならぬことが常、といったところか。



理科の授業の始めにはいつも、気温と天気の話をする。

先週の金曜、やっと10度まで気温が下がった。

すげぇ一気に寒くなったなぁで、14度。

9月末には24度の日もあったが基本、15度前後を行き来していた。

快晴はまずない。太陽が照りつつも雲多め、時折雨少々。風強め。霧は音もなく。



台風後の復旧作業で理科室のガラスが入れ替わった。

そういえば、先月八丈島の小学校に見学に行った時に、窓から海が見えないな、と思ったけど、むしろこの眺望に慣れていることが素晴らしい。

自然のパノラマもオンタイムで。

虹の季節はまだ続くかな。






20141203

大切なものはいつでも













空を見上げて、歩いていく














青い青い青い、空
時に雲が移ろい、高く澄みきった、空
柔らかな陽の傾きに、水平線の彼方まで世界を染めて行く、空

西風に小雨が混じることもあるが

海から伸びる虹に心奪われる
傘をさすことも忘れる美しい、空






だから、今日も、空を見上げて歩いていく

いつも歩いている、歩き慣れた道だ

だから、忘れてしまう

歩き慣れた、と思っている道だ
それが当たり前過ぎて、僕らは美しさに見とれ、今日も空ばかり



ふとした高低差にバランスをくずしたり

昨夜の雨でできたぬかるみに足をとられたり



足元に芽吹く命の輝きに歩みを止めることもない
僕らを支える大地が、いかに力強く、いかに美しいか



それがあまりに当たり前過ぎて、枯れ草のほのかな色づきや、

その朽葉色に芽吹くささやかな緑や、どこか懐かしい土の匂いや、
大地の複雑さ、温かさ、とりとめのなさや、

そういった美しさにあまりに無頓着過ぎる







何だかカラダがぐらぐらしてるのは、足元を疎かにしているから?

何だかココロがふわふわしてるのは、立ち止まることを忘れてるから?

何だか目元が熱くなるのは、信じることを諦めてしまったから?






うつむき下を向く時、はでに転び大地にひざまづく時

大切なものはいつも、自分の足元にあることに気付く


空を見上げるのは、いいな、すごくいい

でも時には、今、自分が立っている、大地の温もりを感じよう
自分の足元にある、本当に大切なものを見つめ直そう







目の前にある悲劇は、
俯瞰してみれば喜劇になる



人生を劇に例えたなら、身に降りかかった大小様々な悲劇も、

喜怒哀楽の詰まったストーリーの一つのスパイスに過ぎない








今、自分がここに立っていられることの意味を問い

大地に感謝し、愛することができたのなら





今日も、空は青いか?

今日も、君の足元には大地が広がっているか?

そのもろさや、いびつさを慈しむことができるか?






大地に生かされ、空に立ち上がる勇気をもらい、前に進む
今、自分の立っている大地を感じ、本当に大切なものを確かめる














君はそうやって、笑顔を取り戻していけばいい

帰ってくる場所は、いつでもここに在るのだから








20141129

美しさはもう、そこなわれてしまったのだけれど
















9月に訪れた台風14号は、文字通りの意味で校舎を破壊した。





8日の朝の光景は忘れられない。




ちょっと早出して、通学路を見渡した後、学校に向かう。

去年の秋、体育館の窓がわられたので

そういうことも起きてくるのかな、、とは思っていたが

北側の、窓という窓が全部われていた。

まずその光景が何を意味するのか、理解することができない。

人はあり得ない現実に出喰わすとりあえず、立ち停まるか苦笑いするか

できることはその程度らしい。


「まじかよ、、」不謹慎だが、ヘラヘラと笑ってしまった。



内部は想像通り、惨憺たるものだった。

粉々になったガラス片を見て、その厚さに驚く。

ワイヤーで補強されているガラスも割れていた。


水族館の中型水槽ぐらいある窓ガラスが粉々に割れ、

風に煽られたブラインドも吹き飛び、

飛び散ったガラス片と吹き込んだスコリアが、水浸しの床を埋め尽くしていた。

壁には無数の傷跡が残り、雨漏りが滴り天井に大きな染みを残していた。

ワイヤーで補強されているガラスも割れていた。

部屋の扉が吹き飛んでいた。


どこからどうすればよいか判らないような、まるで現実感のない状況。



まさに、壊滅って言葉がしっくりとはまる景色。



でも、何とかなる、いや何とかする。


職員だけでなく、行政、村の方々、たまたま別件で取材に訪れていた某テレビ局の人、


みんなで力を合わせて学校をとり戻す。




カメラマンは、被害と復旧作業の様子を熱心に撮影していた。


結局テレビで放送されたのは、しばらく間が空いた後の、

「学校の窓ガラスが割れた」という、

ごくごく事務的なアナウンスのみ。

当事者にならないと解らない、こういう冷たさ。

「80枚損壊」ではあるが、その言葉以上に様々な意味を含む。



地震や津波のそれに比べたらぜんぜんマシだろう。

ただ、その80枚という数字にはたくさんの人の想いが詰まっている。

取材陣も憤っていた。この島までは取材に来ない。ニュースにならない。



でも、きっとそんな壊滅や現実なんて、たくさんころがっている。




イマジンが足りないだけだ。


世界に共感する心。心をやわらかく持たねば。




で、先週。窓ガラスがすべて入れ替えられました。

復旧できてない部屋もありますが、学校は1日休校になっただけで、

通常通り。運動会も無事に実施しました。






人は強い。


でも、自然はもっと強い。






同じような美しさはもう、そこなわれてしまったのだけれど、


前までとは違った、再生された新しい美しさが、


がれきに芽生えた一輪の花のように、


傷だらけの校舎に芽吹き始めているのを感じます。


何度だってやり直せばいい。


折れない心、立ち上がれると信じる心。



破壊と再生を繰り返して、また一年が過ぎていきます。












後日、もっと風が強いとされる体育館(北側の高台にある)に行ってみました。

海側の壁が傷だらけになっていました。

排気口のような所がぼっこぼっこになっていたので、そこに

落ちていた大きめのスコリアを思いっきり投げつけてみました。

が、、、全く手応えなく弾き返されてしまいました。

どれだけの勢いで吹き付けたんだろう、、まさに凶器です。