20110430

あくとしびこ



”acto civico” → 

 「金曜の朝はアクト・シビコがあるから2時間目からお願いします」
 「アクト・シビコがあるから、全員コリセオ(競技場)へ移動するよー」

等の言葉から推察するに、日本の学校で言う、全校朝礼とか集会にあたるものでしょうか。


授業をする予定で訪れた3校目にて、突然始まったアクトシビコ。
一昨日の時点では何も言っていなかったのに、、

こういうことは、まぁよくあることなので、大人しく子どもたちとスタンドに座って参観することに。


どうやら、5月1日の「労働者の休日」に合わせた催しということで、一つ目の出し物は、1年生による"teatro"(寸劇)。それぞれハタラク人に模した子どもたちが6人ほど、椅子をお店に見立てて並んでいる。パン屋さん、看護婦(師)さん、大工さん、靴やさん、、これは相当かわいい。。

すると、おもむろに横に居た子どもたちが歌を歌う。けっこう長い。

歌の終了と同時に、おみせ屋さんたちはセリフもなく、そのまま退場、、、おわりかいーっ 

もう完全に出オチでした。



次はもう一つのクラスによる発表。(上写真)

ストーリーは、道端で靴磨きをして働く少年の物語。

靴磨きを頼んだ紳士が少年に質問。

「お父さんは?」

すると少年、

「家で寝ている。」

後ろの椅子の上で寝ていたのはお父さんだったのかぁー、、すると、掃除をしていたのはお母さんと姉妹。児童労働反対!みたいなまとめをしていたけど、カンバの男は働かないビール飲んで寝ているイメージなのかな。

でも、お金がないから朝から晩まで働いていて、子どもと過ごす時間がないと、日本みたいな相談を受けたこともあります。実際はどっちもどっちという印象を受けますがどうなんでしょう。

でもともかく、前回の「"Día del niño"(子どもの日)」でも同じようなストーリーの出し物をやっていました。"machismo"(男尊女卑)が特に強いと言われるカンバでは、どうやら鉄板ネタのようです。

それにしても、マイク近っ!先生、その場でめっちゃ言わせてるし、、!!

しかもフツウに見てる先生方も近くにいて、むしろそっちの方が気になってしまいます。
Cくんの取材した海南の牧もびっくりのバングラ包囲網には負けますが、どっちが主役か判らなくもなります。

運動会のダンスでもこんな感じでした。先生がめっちゃ近くで、躍らせている、という感じです。
練習の成果を発表、という発想とはまた違った感覚のようです。



次は、高学年の3人組が登場。でたっサンファンのSomething else!他に一切の飾りなし。
3人の歌声だけで、全校生徒を納得させるなんて。これはかなり期待できそうです。

けっこうおしゃれきめていて、シャツの襟、いつも以上に固めた髪型に気合いが感じられます。

なめらかなイントロの後、歌い出し。きれいな高い声でうめぇな、、と、思ったらクチパクじゃん、、!!

エンリケ・イグレシアスのバラードを完全なクチパクで3人、フルコーラス歌い切りました。途中ラップみたいなところは、びみょうな振り付けと表情で練習の成果を、、完成度っ。。

これは勝手に家でやってくれレベルです。

ちがうイミですごくおもしろかったですけど、観衆はどうゆうスタンスで眺めていたのでしょうか。そして、どういう基準で出し物を選んでいるのでしょうか、、歌っている人がびみょうに照れていると、見ている方もびみょうに恥ずかしくなってしまいます。



その後、高学年によるダンス。

これは練習の成果が伝わってきました。衣装も華やかで見応えがありました。エンリケさんのことは過去に埋もれてしまったようです。

そして最後は、先生を招いての無礼講ダンスタイム!


で、結局、アクトシビコってなんなのか、、。
今日の趣旨がイマイチよく分からないまま幕を閉じました。

定義付けは難しいけれど 

→みんなで一つの場所に集まって、記念日や祝日にかこつけた出し物を見てみんなで楽しむ。

という感じでしょうか。

日本でこんなぐずぐずの行事を、授業をつぶしてやったとしたら、それはたいそうな逆風が吹くことが予想されます。。個人的なカラオケは家でやってください等々。想像するだけでおぞましい。。

「やるからには、いいものを」の発想は、日本的な良さでもあります。

ただ難しいことは抜きにして、あるがままを楽しむというカンバ的姿勢にも学ぶところはあるんじゃないかなと感じます。

細かいことは気にせずに、ただ今がんばっている姿を純粋に楽しみ、応援する。

ボリビア人には、計画、反省、改善を。
日本人には、寛容さを。

互いの文化をいい感じに交流し合うことが大切なんですね。



子どもたちは今日もそうじを頑張っていました。

明日はみんなで、教室のペンキ塗りです。

晴れるといいなぁ。

"un brote"








”豊かさ”とはなんでしょう。


本当の豊かさとは、空の広さを感じられること。

空を舞う小鳥に愛差しを向けられること。

本当はみんなもっていて、でもそれを忘れている。

ただそれだけのことではないでしょうか。



それが物質的な豊かさとは必ずしも比例しない、ということはもうみんな既に気付いていて。

そしてさらに、日本は大きな価値の転換を迫られていたとして、3月11日。日本を大きな悲しみがおそった。それがよかったなんて口が裂けても言えないけれど、ここから立ち上がることで、新しい日本の方向が定まっていくのではないかと夢想しています。

「がんばれる日本人だから」

先輩教師からのメールに綴られていた言葉が響きます。



3分1を原子力発電に頼っているという現代的な生活の現実。

きれいごとではなく、感情論ではなく、一人ひとりが何かを変えていかなければならない選択の岐路に立たされているのではないでしょうか。今の生活や経済基盤を維持しようと思ったら、原子力に頼らざるを得ない。そういう現実。

頭でわかっちゃいるつもりだけれど、なおざりに過ごしている毎日です。

もう一度取り戻さなければいけない。日本人が失ってきたものを。いや、それは現代的な豊かさと心の豊かさの両立とでも言うべきでしょうか。そういう新しい価値観をです。

こちらの報道は客観的ですが、オブラート無しなので国内にいるよりも情報はまわっていると思います。ただ、NHKワールドだけは日々堂々巡り。これはもはや罪とさえ思えてきます。



今回の震災で、日本が今まで世界にしてきたことが問われたような気がします。

つまり、自分が困った時にそれまでの周囲への態度が問われるというあれです。本当に困った時に手を差し伸べてくれるか、それともざまぁねぇと思われるか。過去ODAの内容にはいろいろ議論の余地があるかもしれませんが、今の日本は前者の立場にあるように感じます。地球の裏側から眺めていての私見ですが。

他の国と比べるわけではなく、純粋に誇りに思える。


一般に途上国と呼ばれている国の人々だって、募金をして日本に義援金を送ろうとしている。ボリビアは概算して給料約20分の1、物価5分の1ですが、いざとなったら募金してやろうといモチベーションを持っている。今までの、(俗にいう)先進国が途上国を支援するといった国際協力の在り方に変化が訪れているのかもしれない。

そういう新しい国と国とのつながりというのも模索していく岐路にある。先輩がそういう言葉を綴っていました。考えさせられます。



僕たちは今、そういう時代の過度期を生きている。



そんな時代だからこそ今できること。



目の前の命を。どうか大切に護ってほしい。それが願いです。


あなたの子がいつか、人や世界をつなぐ架け橋となり、未来の日本を支えていく存在になること願っています。


"un brote" = 蕾

そうそう。蕾のうちに冬の寒さをしっかり味わっておくと、春になって強く美しい花が咲くのだと聞いたことがあります。

今居る場所はきっと刺激が少ないことでしょうね。人生は旅ですから、これから未来、様々な場所で様々な根を伸ばしていくことでしょう。やがて芽吹く蕾はどんな花を咲かせるのでしょうか。

人生のチャレンジを心より祝福いたします。


がんばれ、おかんー!

敬具。

(4月29日、母になった友への手紙より)

20110428

犬ブロックと活動の終わり




いつか出るとは思っていましたが、ついに出ました。犬ブロック。

今日のフットサルの試合中、いい感じにスペースに出た縦パスを、これまたいい感じの老犬が見事にカラダを投げ出しナイスカット。

前足はやっぱり足なのか、それともハンドなのか、判断に迷うところです。まぁどっちにしろ、審判同様に石と同じ扱いなので、そのまま試合は流れるんですけどね。

個人的には一本、左足でイメージ通りのボレーシュートが決まったので、それだけで今日は満足して一日を終えられそうです。そんな単純なオレ、やっぱりシアワセ。



さて、本題。活動の話と、ごくごく私的な話をちょっと。

今、対象校から自発的に先生を募って”学級経営”の分科会を作り、そこをパイロットクラス(モデル教室)として、重点的に支援し、実践を行っています。

現参加校は中心地の5校、6クラスですが、実際は片一方のクラスだけとはいかないので、同学年のもう一つの教室や他の学年にもちょこちょこ顔を出しています。忙しいけど、充実している。一年過ぎたら、活動が急に動き出すとは聞いていましたが、まさに今そんな感じです。

実際は、「こんなかたちがいいよね」と話していた内容が、だんだん具体的になり、動き出したら想像以上に歯車が回っているという感じで、うまいこと行き過ぎているなぁというのが実感です。

あまり難しく考え過ぎずに動き出した一歩が、どんどん広がりを見せている。うまくつじつまがあった、と言ったら語弊があるでしょうか。それほんとに大丈夫か?と思ったことでも、先生方が考えてやっていることが以外と効果を生んだりして。

そんな幸運と周囲の支えがあって、毎日きれいな夕日を拝むことができることの幸せ。


”学級経営”について簡単に説明すると、「みんなが勉強したり共同生活したりする教室を、より楽しくより過ごしやすい環境にするための指導や支援」ということになります。共同生活を通して、子どもたちは様々な事を学んでいくわけで、学校はただ、国語や算数を勉強するためだけにあるのではないということです。

日本ではとても大切な視点なのですが、わりとなおざりにされがちです。

実はそんなに難しいことではなく、ちょっと視点を変えたり、ちょっと意識するだけで、子どもたちが劇的に変わる、というのはよくあることです。例えば、教室環境を整えたり、クラス目標を作ったり、子どもたちへの声のかけ方を工夫したり。ボリビアでいうと、時間割を守ったり、7~80分間続く授業の合間に休憩をとったり等々。こちらから見ると、だから集中力が続かないんじゃないのかなぁと思うことがたくさんあります。逆に日本の子どもたちよりも辛抱強くて関心もしたり。

この国の教育が抱える問題が、あまりに根本的かつ重大過ぎて、小手先のカイゼンでは正直、砂漠に水を撒くようなものに思えてきてげんなりしてしまいます。昨年やっていたような授業の指導法についてどうこう議論する以前にもっと基本的なことから始めるべきじゃないか。

CPのドナイレと話してそういう結論になりました。

そのための先生なり役所側の支援を話し合い工夫し、モデル教室の中で実践していくということになります。自分の仕事としては、日本の実践モデルを元に、それぞれのクラスで合いそうなものを先生と話し合う中で考えることから初めています。教室に副担任的な感じで集中的に通ったりもしています。それが実は一番きいていたりして、、単純なことですがそれがうまくいっている秘訣なのかなとも思っています。



昨夜、モデル校の一つの3年生のクラスから招待があって行ってきました。夜の7:30開始です。

こんな夜更けに何をやるのだろうと思っていたら、何て言うか、、「感謝の集い」でした。

保護者を招待しての夜会では、自分たちが頑張って取り組んでいること、机といすを直すのに力を貸してくれたこと、なぜこのタイミング??と思うことしきりでしたが、子どもたちの作ったお菓子とソーダ、それに感謝状で一通り和みつつ、最後は期待以上に盛り上がったニーニョVSアドゥルト(コドモ対オトナ)の綱引き大会で幕を閉じました。

子どもたち全員に活躍の場があったこと(一人一つの発表)、そして大人たちの笑顔。

日本で言うところの「お楽しみ会」的な感じでしょうか。

何か言葉を、と言われて感謝のキモチを述べていると、あれっまだ早くないか、、??あと1年残っているのに、なんかもう活動残り3ヶ月みたいな雰囲気になってしまいました。。

このクラスはみんなの教室をきれいにしようということで、そうじやゴミ拾いなんかも率先して取り組んでいます。まだそんなに日は経っていないのですが、教室以外の場所でも自主的にゴミを拾ったり、ほうきで掃いたりする姿が見られるようになりました。クラスの雰囲気もそれに比例してとても穏やかで温かくなってきたように感じています。

ある時、先生が下校前のゴミ拾いの指示を忘れたことがあったそうです。その時、ある子が「今日はゴミ拾いしないの?」と言って、その後みんなでいつも通りに掃除をしたのだそうです。

最後には、こういう言葉を先生の口から発表してもらって、他の先生方にそういう感動や実践を広められたらそれは最高じゃないか。

先生は感激したのでそれを(ちょっと大袈裟に)ほめ倒したら、

「プロフェソール・ヨータローみたいだね」と言って、子どもたちは笑っていたそうです。

それを先生の口から聞いた時、正直ボランティア活動を始めてから一番嬉しかった。
もう、ナカノールでも何でもいいですw

サンファンは小さな町です。田舎侍の僕たちには立派な冊子や教科書は作れないかもしれない。

でも、そういう教師のやりがいというか魂を伝えることができたらいい。今はそういう風にも思えるようになりました。



帰り途に、レストランに居た一家に呼び止められピザとジュースをごちそうになる。


「いつ日本に帰るんだい?」

、、、まだ一年残っているんですが。。

活動をさらに深めるか、それとも広げていくか。考えどころです。
でも自分のヨクバリな性格を鑑みると、多分深めつつ広げるということになるのではと。

「プロフェがいなくなったら、みんなさびしがるよ」

そのセリフもさすがに早過ぎだろうと思いつつ、自分ももう既にめっちゃ悲しくなるんだという予感はしています。サッカーの試合に当たり前に犬が乱入してくる光景すらも、すごく懐かしくなるにちがいない。いったい何百人とお別れを言わなきゃならないんだろうか。。でも、それはすごく幸せなコトなんでしょうが、やっぱり別れは苦手です。

いつも
「日本に待っている人たちがいるから」

と言うことにしています。

1年後には、日本の教室で担任をやっているなんて想像できないな。でも、日本には必ず還ります。次の任地は日本。そういう意志です。

ただ、なんかすごく活動の終わりを意識してしまいました。こんなこと初めてでした。



写真はその3年生のクラスの子どもたち。

「日本は小さな島」ということを始めて知ったと言っていましたが、というわけで日本大好きです。


愛するものが増えることは人生の不幸ではない。たとえ別れの寂しさが在ったとしても、それは生きることの喜びである。だって今、毎日が愉しいからね。生きている感じがする。この生活が終わってしまうのは寂しいけれど、またどこかで逢えるはずだ。


ボリビア人は「向上心がない」とか、「だからこの国はよくならない」とか言われることがありますが、そんなことはないんじゃないかな。

「この子たちが、ボリビアの未来を築いていく」

そういう言葉に、お父さんお母さんは真剣な表情でうなずいていましたから。




各クラスの様子は、後々紹介していきますー

20110422

セマナ・サンタ




"Semana Santa" → セマーナ・サンタ

サンタ週間??

ではなく、「聖なる一週間」を意味する、キリスト教の伝統行事ということで

日本では全く馴染みがなかったので、少し調べてみました。



キリストがイスラエルに入場した日からの

受難、死、そして、復活、

その一週間を祝い、記念する伝統行事なのだそうです。


今日は教会の鐘が一段とはげしく聞こえてくるのはそのせいでしょうか。

今は、木曜日の夕刻。

十字架に張り付けになる前に、弟子たちの足を洗い

最後の晩餐をした日。

その翌日の金曜日、人類の罪を背負いゴルゴダの丘を登る。

土曜日の晩からは復活の徹夜祭が始まります。

仲間の先生(ポトシ出身)に、何か特別なことをするのか聞いてみたところ

この間は肉とアルコールは禁止で、

一皿に乗っかった12種類の料理を家族で食べるのだそうです。

ソパ・デ・マニ(ピーナッツのスープ)なども出るそうですが、
この国に、肉(牛骨)でだしを取らないソパがあるのかちょっとナゾです。

ボリビア人の主食である、肉とビールを奪われてしまったら
後はフライドポテトしか食べるものがなくなってしまうんじゃないかと、
ちょっと心配にもなりますが、

でもその辺はカトリコ(カトリック)なので粛々と対応するとのことです。

サンファンでは今、厳かにミサが開かれています。


そのせいで今日は仕事が半日で終わりになったのだなと、今になって納得。

そして、明日からは三連休となります。
この町では分りませんが、
明日はキリストの受難を模したデスフィーレ(行進)が行われるとのことです。

今夜は厳かに過ごしたいと思います。



さて、そんな折、

政情不安のため、日本へ避難帰国という書き込みを見つけてしいました、、

ブルキナファソです。

うちの隊次からは一番の大所帯で参加していた国です。

特に親しい仲間もいて、この知らせは本当にショックです。

またもや、言葉を失ってしまいます。。

生きて帰ればいい、と言っておきながらもやっぱりショックです。

こうなったらもはや、こういうことの方が当たり前で、

何もないことがむしろ特別なんじゃないかとさえ、思えてきます。



受難の後には、栄光の復活があるのか。

今は暗く長いトンネルも、いつかは光に辿り着く。

そう信じたいです。


教会の鐘がいつもより力強く、夜空に響いています。


写真は、オルロ・ソガボン教会の坑道より今年1月に撮影したものです。
あれからたった3ヶ月で、自分の周辺が大きく変わってしまった。

その時当たり前に在ったものが今はもうない。
きっとずっと変わらずにあるだろうと、特別に思わなかったことの数々。
今ここに在ることの幸せをかみしめる。


月並みなまとめの言葉は、今日は慎みます。



" arco iris "




"arco iris" = 虹


4月16日。サンタクルスからの帰り道。乗り合いタクシーの中で、

僕は虹を見た。

それは完璧なアーチを描いていた訳ではなく

すぐに途切れて、今にも消えそうだったんだけど

作りかけの階段のような、

空へ真っすぐと伸びていく七色のそれは

今の僕らを象徴しているような

そんな儚さと、未来への希望を感じさせる

そういう景色だった。




今回の隊員総会のテーマは、" arco iris "

今までとはスタイルを変え、任国の人々との交流を深めるフェリア形式での開催となった。
協力隊の事業紹介、分野別に分かれ工夫を凝らしたブースの数々、日本の文化紹介、日本の被災地支援を呼び掛け、ステージでの歌と伝統舞踊。

「次はいつやるんだ?」の声。サンタクルスの市民は想像以上に日本に関心がある。

そして大盛況のうちに、フィナーレの "Somos el Mundo" で幕を閉じた。


それぞれの専門分野をもっている人たちが力を合わせると、こんなにすごいことができるんだ、、総会の運営の方々が最初に思い描いていた「夢」そのものの姿がそこにあった。

各々フクザツに抱えているものがあったとして、前向きな動機で一つにまとまり、そして味わった充実感。こういうのは本当に大切にしていかなければならない。かたい話はたくさんあると思います。

でも純粋に。

虹の橋を架けようと一人ひとりがまさにボランティア精神をもって努力したことで、日本とボリビアだけでなく、隊員やJICA職員との間にも前よりも強く、きれいな橋が架かったようなそんな一日でした。

こういう流れはいいかたちで引き継いでいきたい。
そいういう人間関係は、必ず活動に生きてくるはずだから。

半年後は自分たちが引っ張っていく立場になる。活動も終盤に差し掛かる頃だ。

自分のこと。周りのこと。

よい流れを未来に残せるように、やっぱり日々できることを大切に。

いつもまとめがだいたい同じだけど、やっぱりそれしかないのかなぁ。最後は。


空を見上げるのは後ろを振り返るためではなく、前に進むため。

さっきにわか雨が降った。ひょっとしたら虹が出てたかも、、でもやっぱりいいや。見に行くのは止めよう。虹は探すもんじゃないから。