20141129

美しさはもう、そこなわれてしまったのだけれど
















9月に訪れた台風14号は、文字通りの意味で校舎を破壊した。





8日の朝の光景は忘れられない。




ちょっと早出して、通学路を見渡した後、学校に向かう。

去年の秋、体育館の窓がわられたので

そういうことも起きてくるのかな、、とは思っていたが

北側の、窓という窓が全部われていた。

まずその光景が何を意味するのか、理解することができない。

人はあり得ない現実に出喰わすとりあえず、立ち停まるか苦笑いするか

できることはその程度らしい。


「まじかよ、、」不謹慎だが、ヘラヘラと笑ってしまった。



内部は想像通り、惨憺たるものだった。

粉々になったガラス片を見て、その厚さに驚く。

ワイヤーで補強されているガラスも割れていた。


水族館の中型水槽ぐらいある窓ガラスが粉々に割れ、

風に煽られたブラインドも吹き飛び、

飛び散ったガラス片と吹き込んだスコリアが、水浸しの床を埋め尽くしていた。

壁には無数の傷跡が残り、雨漏りが滴り天井に大きな染みを残していた。

ワイヤーで補強されているガラスも割れていた。

部屋の扉が吹き飛んでいた。


どこからどうすればよいか判らないような、まるで現実感のない状況。



まさに、壊滅って言葉がしっくりとはまる景色。



でも、何とかなる、いや何とかする。


職員だけでなく、行政、村の方々、たまたま別件で取材に訪れていた某テレビ局の人、


みんなで力を合わせて学校をとり戻す。




カメラマンは、被害と復旧作業の様子を熱心に撮影していた。


結局テレビで放送されたのは、しばらく間が空いた後の、

「学校の窓ガラスが割れた」という、

ごくごく事務的なアナウンスのみ。

当事者にならないと解らない、こういう冷たさ。

80枚損壊」ではあるが、その言葉以上に様々な意味を含む。



地震や津波のそれに比べたらぜんぜんマシだろう。

ただ、その80枚という数字にはたくさんの人の想いが詰まっている。

取材陣も憤っていた。この島までは取材に来ない。ニュースにならない。



でも、きっとそんな壊滅や現実なんて、たくさんころがっている。




イマジンが足りないだけだ。


世界に共感する心。心をやわらかく持たねば。




で、先週。窓ガラスがすべて入れ替えられました。

復旧できてない部屋もありますが、学校は1日休校になっただけで、

通常通り。運動会も無事に実施しました。






人は強い。


でも、自然はもっと強い。






同じような美しさはもう、そこなわれてしまったのだけれど、


前までとは違った、再生された新しい美しさが、


がれきに芽生えた一輪の花のように、


傷だらけの校舎に芽吹き始めているのを感じます。


何度だってやり直せばいい。


折れない心、立ち上がれると信じる心。



破壊と再生を繰り返して、また一年が過ぎていきます。












後日、もっと風が強いとされる体育館(北側の高台にある)に行ってみました。

海側の壁が傷だらけになっていました。

排気口のような所がぼっこぼっこになっていたので、そこに

落ちていた大きめのスコリアを思いっきり投げつけてみました。

が、、、全く手応えなく弾き返されてしまいました。

どれだけの勢いで吹き付けたんだろう、、まさに凶器です。











20140301

春を歌にして

El camino hasta al centro de limpio, Aogashima, Tokyo   20140301

















吹き抜ける風に、春が薫るようになってきた。



あたたかいというか、なまぬるいというか、あのココロオドル感じ。



嵐のように風が吹きすさぶ日もあったけれど、日々穏やかに季節は移ろっています。



空と雲と海が、やわらかくぼんやりと入り交じる、水平線。



これを春っぽいとか、海を見ながらつぶやくようになるのだろうか。





こないだなんか書こうとしてたのに、忘れてしまった。。



やはり、書きたいときに、

書きたいことを、

書きたいだけかく   


で、いくしかない。






さて、年度末ということで、校内はばたばたしている。



青ヶ島は小中併設なので、受験や教職員の異動、新年度の準備を絡めて、



文字通りのばたばたである。


人がばたばたと倒れないことを、切に祈る。



教職員は半数近くが異動することになる。



先月末に赴任説明会があり、様々な想いで春を待っていることだろう。



出会いと、別れの春。



この、期待と不安の入り交じる感が、非常に春らしい。



枯れ葉に混じり、やわらかい緑が芽吹く。春の兆し。



(でも注意をして見ると、そういうものは一年中あるのだけれど)



天気が曖昧だったり、新しいものと古いものが混沌としている感じ。



曖昧な未来に放たれる歌。




中学の卒業生は、卒業と同時に島から旅立つ。15の春。




希望を謳い、旅立ちに花を添える。



あなたたちの帰る場所は、いつでもここに。







                                                                                        IKNOSAWA, Aogashima, Tokyo   20140209










20140202

笑う門には











たのしいから、笑うのか。





笑うから、たのしいのか。














人生の岐路に立ったときには、何を選ぶかなんて



たいして重要じゃない



それを、どう選ぶか。



そして、その選択にどう向き合い、歩んでいくのか。



選択する勇気と、運命に従う覚悟さえあれば、自ずと道は開けていく。



腹をくくって、今を生きる。



選ぶ前に、完璧なプランを立てようとすると、選ぶ事ができなくなる。



かといって、着地を考えずに飛ぶことを勇気とは言わない。



必要最低限の準備と、全てを笑いとばす心があればいい。



やっぱり、笑顔でいるから、いいことがあるんじゃないかな。



いろいろドンマイ。悔やんでもしょうがないさ、、愉しもう。





誰かに笑わされるんじゃない、たのしくて笑うんだ。















笑う門には、いろいろいいこと来たれ!!




ラフ&ピース





20140129

花屋の店先にならばない












休みの日には、近所を散策するのが一つの楽しみになっている。







それは単に、



他にはあんまりやることがない



ということを証明しているようなものだが。。



のんびり路傍の草花や空を仰ぎながら、いつもの坂道を下っていく。





この島で暮らし始めて、もうすぐ季節は一巡り。
















桜はどこにも見当たらないけれど、足下に芽吹くさわやかな緑に


ささやかな春の訪れを感じる。



若草の匂い。名も無き黄色や桃色。なだらかな斜面に素朴な彩りを添える。



風に運ばれてきたひとひらのサクラ。美しさに足を止める。












日に日に濃くなる緑や、潮風、染まりゆく世界に薫る夏



始まりを告げる遠雷。打ち付ける雨。雨。雨。



定規で引いたような、視界全てに広がる水平線。本当の海の青さを知る。



ゆるやかに暮れゆく空。今日も一日がゆっくりと終わる。














海から吹く風に、秋の気配が感じられるようになると



注ぐ日差しも透明感が増し、さらさらと山肌を照らし始める。



鮮やかな赤や黄色に紅葉はしないが、空の高さに雲の流れ。



けっして留まることのない、自然の移ろいを感じる。






         





冬は冬で、控えめに新芽を伸びるし花が咲くことを知る。
        (「ブランド野菜」写真参照)


急な坂道を下るように日が短くなる。お昼過ぎに傾く日差し。



西風が吹くと凍える冬。風が止むと穏やかな小春日和。



けっして留まることのない、自然の移ろい。



美しく変わりゆく世界。そして、その繰り返し。
















歩いて10分たらずの道。




「おっ、こんなところにも新しいイロが。」




花屋の店先にはけっして並ばない花を、今はとても愛おしく思う。




日々、移り変わる景色。日々、新しい出会い。



こんな風に花を咲かせるんだ。



名も知らぬ草の、ひそやかな春待ち。








変わらないのは、人のココロ。




と、言いたいところだが、変わりゆくことこそ人生。



だからこそ、




おだやかに、しなやかに、すこやかに。




そして、時にはげしく。




転がるように生きて行こうぜ。




Like a Rolling Stone!!




転がる石には、苔は生えねえ。







2014年。もうとっくに始まってますね。。


新年のご挨拶が遅れましたが、今年もゆっくり深く息を吸って。





20140125

海は





















海は、あたえる。














海は、うばう。













だから、










海は、美しい。


















自然の中で生かされ、




そして、また




自然の中に還っていく。




ごくごく当たり前のことを、当たり前と感じられるようになるには、




あと、どれぐらいかかるのだろう。




島で生まれ、島で生きるということ。




つよく、やさしく在るということ。




海は今日も、ただ其処に。