20110430

あくとしびこ



”acto civico” → 

 「金曜の朝はアクト・シビコがあるから2時間目からお願いします」
 「アクト・シビコがあるから、全員コリセオ(競技場)へ移動するよー」

等の言葉から推察するに、日本の学校で言う、全校朝礼とか集会にあたるものでしょうか。


授業をする予定で訪れた3校目にて、突然始まったアクトシビコ。
一昨日の時点では何も言っていなかったのに、、

こういうことは、まぁよくあることなので、大人しく子どもたちとスタンドに座って参観することに。


どうやら、5月1日の「労働者の休日」に合わせた催しということで、一つ目の出し物は、1年生による"teatro"(寸劇)。それぞれハタラク人に模した子どもたちが6人ほど、椅子をお店に見立てて並んでいる。パン屋さん、看護婦(師)さん、大工さん、靴やさん、、これは相当かわいい。。

すると、おもむろに横に居た子どもたちが歌を歌う。けっこう長い。

歌の終了と同時に、おみせ屋さんたちはセリフもなく、そのまま退場、、、おわりかいーっ 

もう完全に出オチでした。



次はもう一つのクラスによる発表。(上写真)

ストーリーは、道端で靴磨きをして働く少年の物語。

靴磨きを頼んだ紳士が少年に質問。

「お父さんは?」

すると少年、

「家で寝ている。」

後ろの椅子の上で寝ていたのはお父さんだったのかぁー、、すると、掃除をしていたのはお母さんと姉妹。児童労働反対!みたいなまとめをしていたけど、カンバの男は働かないビール飲んで寝ているイメージなのかな。

でも、お金がないから朝から晩まで働いていて、子どもと過ごす時間がないと、日本みたいな相談を受けたこともあります。実際はどっちもどっちという印象を受けますがどうなんでしょう。

でもともかく、前回の「"Día del niño"(子どもの日)」でも同じようなストーリーの出し物をやっていました。"machismo"(男尊女卑)が特に強いと言われるカンバでは、どうやら鉄板ネタのようです。

それにしても、マイク近っ!先生、その場でめっちゃ言わせてるし、、!!

しかもフツウに見てる先生方も近くにいて、むしろそっちの方が気になってしまいます。
Cくんの取材した海南の牧もびっくりのバングラ包囲網には負けますが、どっちが主役か判らなくもなります。

運動会のダンスでもこんな感じでした。先生がめっちゃ近くで、躍らせている、という感じです。
練習の成果を発表、という発想とはまた違った感覚のようです。



次は、高学年の3人組が登場。でたっサンファンのSomething else!他に一切の飾りなし。
3人の歌声だけで、全校生徒を納得させるなんて。これはかなり期待できそうです。

けっこうおしゃれきめていて、シャツの襟、いつも以上に固めた髪型に気合いが感じられます。

なめらかなイントロの後、歌い出し。きれいな高い声でうめぇな、、と、思ったらクチパクじゃん、、!!

エンリケ・イグレシアスのバラードを完全なクチパクで3人、フルコーラス歌い切りました。途中ラップみたいなところは、びみょうな振り付けと表情で練習の成果を、、完成度っ。。

これは勝手に家でやってくれレベルです。

ちがうイミですごくおもしろかったですけど、観衆はどうゆうスタンスで眺めていたのでしょうか。そして、どういう基準で出し物を選んでいるのでしょうか、、歌っている人がびみょうに照れていると、見ている方もびみょうに恥ずかしくなってしまいます。



その後、高学年によるダンス。

これは練習の成果が伝わってきました。衣装も華やかで見応えがありました。エンリケさんのことは過去に埋もれてしまったようです。

そして最後は、先生を招いての無礼講ダンスタイム!


で、結局、アクトシビコってなんなのか、、。
今日の趣旨がイマイチよく分からないまま幕を閉じました。

定義付けは難しいけれど 

→みんなで一つの場所に集まって、記念日や祝日にかこつけた出し物を見てみんなで楽しむ。

という感じでしょうか。

日本でこんなぐずぐずの行事を、授業をつぶしてやったとしたら、それはたいそうな逆風が吹くことが予想されます。。個人的なカラオケは家でやってください等々。想像するだけでおぞましい。。

「やるからには、いいものを」の発想は、日本的な良さでもあります。

ただ難しいことは抜きにして、あるがままを楽しむというカンバ的姿勢にも学ぶところはあるんじゃないかなと感じます。

細かいことは気にせずに、ただ今がんばっている姿を純粋に楽しみ、応援する。

ボリビア人には、計画、反省、改善を。
日本人には、寛容さを。

互いの文化をいい感じに交流し合うことが大切なんですね。



子どもたちは今日もそうじを頑張っていました。

明日はみんなで、教室のペンキ塗りです。

晴れるといいなぁ。

"un brote"








”豊かさ”とはなんでしょう。


本当の豊かさとは、空の広さを感じられること。

空を舞う小鳥に愛差しを向けられること。

本当はみんなもっていて、でもそれを忘れている。

ただそれだけのことではないでしょうか。



それが物質的な豊かさとは必ずしも比例しない、ということはもうみんな既に気付いていて。

そしてさらに、日本は大きな価値の転換を迫られていたとして、3月11日。日本を大きな悲しみがおそった。それがよかったなんて口が裂けても言えないけれど、ここから立ち上がることで、新しい日本の方向が定まっていくのではないかと夢想しています。

「がんばれる日本人だから」

先輩教師からのメールに綴られていた言葉が響きます。



3分1を原子力発電に頼っているという現代的な生活の現実。

きれいごとではなく、感情論ではなく、一人ひとりが何かを変えていかなければならない選択の岐路に立たされているのではないでしょうか。今の生活や経済基盤を維持しようと思ったら、原子力に頼らざるを得ない。そういう現実。

頭でわかっちゃいるつもりだけれど、なおざりに過ごしている毎日です。

もう一度取り戻さなければいけない。日本人が失ってきたものを。いや、それは現代的な豊かさと心の豊かさの両立とでも言うべきでしょうか。そういう新しい価値観をです。

こちらの報道は客観的ですが、オブラート無しなので国内にいるよりも情報はまわっていると思います。ただ、NHKワールドだけは日々堂々巡り。これはもはや罪とさえ思えてきます。



今回の震災で、日本が今まで世界にしてきたことが問われたような気がします。

つまり、自分が困った時にそれまでの周囲への態度が問われるというあれです。本当に困った時に手を差し伸べてくれるか、それともざまぁねぇと思われるか。過去ODAの内容にはいろいろ議論の余地があるかもしれませんが、今の日本は前者の立場にあるように感じます。地球の裏側から眺めていての私見ですが。

他の国と比べるわけではなく、純粋に誇りに思える。


一般に途上国と呼ばれている国の人々だって、募金をして日本に義援金を送ろうとしている。ボリビアは概算して給料約20分の1、物価5分の1ですが、いざとなったら募金してやろうといモチベーションを持っている。今までの、(俗にいう)先進国が途上国を支援するといった国際協力の在り方に変化が訪れているのかもしれない。

そういう新しい国と国とのつながりというのも模索していく岐路にある。先輩がそういう言葉を綴っていました。考えさせられます。



僕たちは今、そういう時代の過度期を生きている。



そんな時代だからこそ今できること。



目の前の命を。どうか大切に護ってほしい。それが願いです。


あなたの子がいつか、人や世界をつなぐ架け橋となり、未来の日本を支えていく存在になること願っています。


"un brote" = 蕾

そうそう。蕾のうちに冬の寒さをしっかり味わっておくと、春になって強く美しい花が咲くのだと聞いたことがあります。

今居る場所はきっと刺激が少ないことでしょうね。人生は旅ですから、これから未来、様々な場所で様々な根を伸ばしていくことでしょう。やがて芽吹く蕾はどんな花を咲かせるのでしょうか。

人生のチャレンジを心より祝福いたします。


がんばれ、おかんー!

敬具。

(4月29日、母になった友への手紙より)

20110428

犬ブロックと活動の終わり




いつか出るとは思っていましたが、ついに出ました。犬ブロック。

今日のフットサルの試合中、いい感じにスペースに出た縦パスを、これまたいい感じの老犬が見事にカラダを投げ出しナイスカット。

前足はやっぱり足なのか、それともハンドなのか、判断に迷うところです。まぁどっちにしろ、審判同様に石と同じ扱いなので、そのまま試合は流れるんですけどね。

個人的には一本、左足でイメージ通りのボレーシュートが決まったので、それだけで今日は満足して一日を終えられそうです。そんな単純なオレ、やっぱりシアワセ。



さて、本題。活動の話と、ごくごく私的な話をちょっと。

今、対象校から自発的に先生を募って”学級経営”の分科会を作り、そこをパイロットクラス(モデル教室)として、重点的に支援し、実践を行っています。

現参加校は中心地の5校、6クラスですが、実際は片一方のクラスだけとはいかないので、同学年のもう一つの教室や他の学年にもちょこちょこ顔を出しています。忙しいけど、充実している。一年過ぎたら、活動が急に動き出すとは聞いていましたが、まさに今そんな感じです。

実際は、「こんなかたちがいいよね」と話していた内容が、だんだん具体的になり、動き出したら想像以上に歯車が回っているという感じで、うまいこと行き過ぎているなぁというのが実感です。

あまり難しく考え過ぎずに動き出した一歩が、どんどん広がりを見せている。うまくつじつまがあった、と言ったら語弊があるでしょうか。それほんとに大丈夫か?と思ったことでも、先生方が考えてやっていることが以外と効果を生んだりして。

そんな幸運と周囲の支えがあって、毎日きれいな夕日を拝むことができることの幸せ。


”学級経営”について簡単に説明すると、「みんなが勉強したり共同生活したりする教室を、より楽しくより過ごしやすい環境にするための指導や支援」ということになります。共同生活を通して、子どもたちは様々な事を学んでいくわけで、学校はただ、国語や算数を勉強するためだけにあるのではないということです。

日本ではとても大切な視点なのですが、わりとなおざりにされがちです。

実はそんなに難しいことではなく、ちょっと視点を変えたり、ちょっと意識するだけで、子どもたちが劇的に変わる、というのはよくあることです。例えば、教室環境を整えたり、クラス目標を作ったり、子どもたちへの声のかけ方を工夫したり。ボリビアでいうと、時間割を守ったり、7~80分間続く授業の合間に休憩をとったり等々。こちらから見ると、だから集中力が続かないんじゃないのかなぁと思うことがたくさんあります。逆に日本の子どもたちよりも辛抱強くて関心もしたり。

この国の教育が抱える問題が、あまりに根本的かつ重大過ぎて、小手先のカイゼンでは正直、砂漠に水を撒くようなものに思えてきてげんなりしてしまいます。昨年やっていたような授業の指導法についてどうこう議論する以前にもっと基本的なことから始めるべきじゃないか。

CPのドナイレと話してそういう結論になりました。

そのための先生なり役所側の支援を話し合い工夫し、モデル教室の中で実践していくということになります。自分の仕事としては、日本の実践モデルを元に、それぞれのクラスで合いそうなものを先生と話し合う中で考えることから初めています。教室に副担任的な感じで集中的に通ったりもしています。それが実は一番きいていたりして、、単純なことですがそれがうまくいっている秘訣なのかなとも思っています。



昨夜、モデル校の一つの3年生のクラスから招待があって行ってきました。夜の7:30開始です。

こんな夜更けに何をやるのだろうと思っていたら、何て言うか、、「感謝の集い」でした。

保護者を招待しての夜会では、自分たちが頑張って取り組んでいること、机といすを直すのに力を貸してくれたこと、なぜこのタイミング??と思うことしきりでしたが、子どもたちの作ったお菓子とソーダ、それに感謝状で一通り和みつつ、最後は期待以上に盛り上がったニーニョVSアドゥルト(コドモ対オトナ)の綱引き大会で幕を閉じました。

子どもたち全員に活躍の場があったこと(一人一つの発表)、そして大人たちの笑顔。

日本で言うところの「お楽しみ会」的な感じでしょうか。

何か言葉を、と言われて感謝のキモチを述べていると、あれっまだ早くないか、、??あと1年残っているのに、なんかもう活動残り3ヶ月みたいな雰囲気になってしまいました。。

このクラスはみんなの教室をきれいにしようということで、そうじやゴミ拾いなんかも率先して取り組んでいます。まだそんなに日は経っていないのですが、教室以外の場所でも自主的にゴミを拾ったり、ほうきで掃いたりする姿が見られるようになりました。クラスの雰囲気もそれに比例してとても穏やかで温かくなってきたように感じています。

ある時、先生が下校前のゴミ拾いの指示を忘れたことがあったそうです。その時、ある子が「今日はゴミ拾いしないの?」と言って、その後みんなでいつも通りに掃除をしたのだそうです。

最後には、こういう言葉を先生の口から発表してもらって、他の先生方にそういう感動や実践を広められたらそれは最高じゃないか。

先生は感激したのでそれを(ちょっと大袈裟に)ほめ倒したら、

「プロフェソール・ヨータローみたいだね」と言って、子どもたちは笑っていたそうです。

それを先生の口から聞いた時、正直ボランティア活動を始めてから一番嬉しかった。
もう、ナカノールでも何でもいいですw

サンファンは小さな町です。田舎侍の僕たちには立派な冊子や教科書は作れないかもしれない。

でも、そういう教師のやりがいというか魂を伝えることができたらいい。今はそういう風にも思えるようになりました。



帰り途に、レストランに居た一家に呼び止められピザとジュースをごちそうになる。


「いつ日本に帰るんだい?」

、、、まだ一年残っているんですが。。

活動をさらに深めるか、それとも広げていくか。考えどころです。
でも自分のヨクバリな性格を鑑みると、多分深めつつ広げるということになるのではと。

「プロフェがいなくなったら、みんなさびしがるよ」

そのセリフもさすがに早過ぎだろうと思いつつ、自分ももう既にめっちゃ悲しくなるんだという予感はしています。サッカーの試合に当たり前に犬が乱入してくる光景すらも、すごく懐かしくなるにちがいない。いったい何百人とお別れを言わなきゃならないんだろうか。。でも、それはすごく幸せなコトなんでしょうが、やっぱり別れは苦手です。

いつも
「日本に待っている人たちがいるから」

と言うことにしています。

1年後には、日本の教室で担任をやっているなんて想像できないな。でも、日本には必ず還ります。次の任地は日本。そういう意志です。

ただ、なんかすごく活動の終わりを意識してしまいました。こんなこと初めてでした。



写真はその3年生のクラスの子どもたち。

「日本は小さな島」ということを始めて知ったと言っていましたが、というわけで日本大好きです。


愛するものが増えることは人生の不幸ではない。たとえ別れの寂しさが在ったとしても、それは生きることの喜びである。だって今、毎日が愉しいからね。生きている感じがする。この生活が終わってしまうのは寂しいけれど、またどこかで逢えるはずだ。


ボリビア人は「向上心がない」とか、「だからこの国はよくならない」とか言われることがありますが、そんなことはないんじゃないかな。

「この子たちが、ボリビアの未来を築いていく」

そういう言葉に、お父さんお母さんは真剣な表情でうなずいていましたから。




各クラスの様子は、後々紹介していきますー

20110422

セマナ・サンタ




"Semana Santa" → セマーナ・サンタ

サンタ週間??

ではなく、「聖なる一週間」を意味する、キリスト教の伝統行事ということで

日本では全く馴染みがなかったので、少し調べてみました。



キリストがイスラエルに入場した日からの

受難、死、そして、復活、

その一週間を祝い、記念する伝統行事なのだそうです。


今日は教会の鐘が一段とはげしく聞こえてくるのはそのせいでしょうか。

今は、木曜日の夕刻。

十字架に張り付けになる前に、弟子たちの足を洗い

最後の晩餐をした日。

その翌日の金曜日、人類の罪を背負いゴルゴダの丘を登る。

土曜日の晩からは復活の徹夜祭が始まります。

仲間の先生(ポトシ出身)に、何か特別なことをするのか聞いてみたところ

この間は肉とアルコールは禁止で、

一皿に乗っかった12種類の料理を家族で食べるのだそうです。

ソパ・デ・マニ(ピーナッツのスープ)なども出るそうですが、
この国に、肉(牛骨)でだしを取らないソパがあるのかちょっとナゾです。

ボリビア人の主食である、肉とビールを奪われてしまったら
後はフライドポテトしか食べるものがなくなってしまうんじゃないかと、
ちょっと心配にもなりますが、

でもその辺はカトリコ(カトリック)なので粛々と対応するとのことです。

サンファンでは今、厳かにミサが開かれています。


そのせいで今日は仕事が半日で終わりになったのだなと、今になって納得。

そして、明日からは三連休となります。
この町では分りませんが、
明日はキリストの受難を模したデスフィーレ(行進)が行われるとのことです。

今夜は厳かに過ごしたいと思います。



さて、そんな折、

政情不安のため、日本へ避難帰国という書き込みを見つけてしいました、、

ブルキナファソです。

うちの隊次からは一番の大所帯で参加していた国です。

特に親しい仲間もいて、この知らせは本当にショックです。

またもや、言葉を失ってしまいます。。

生きて帰ればいい、と言っておきながらもやっぱりショックです。

こうなったらもはや、こういうことの方が当たり前で、

何もないことがむしろ特別なんじゃないかとさえ、思えてきます。



受難の後には、栄光の復活があるのか。

今は暗く長いトンネルも、いつかは光に辿り着く。

そう信じたいです。


教会の鐘がいつもより力強く、夜空に響いています。


写真は、オルロ・ソガボン教会の坑道より今年1月に撮影したものです。
あれからたった3ヶ月で、自分の周辺が大きく変わってしまった。

その時当たり前に在ったものが今はもうない。
きっとずっと変わらずにあるだろうと、特別に思わなかったことの数々。
今ここに在ることの幸せをかみしめる。


月並みなまとめの言葉は、今日は慎みます。



" arco iris "




"arco iris" = 虹


4月16日。サンタクルスからの帰り道。乗り合いタクシーの中で、

僕は虹を見た。

それは完璧なアーチを描いていた訳ではなく

すぐに途切れて、今にも消えそうだったんだけど

作りかけの階段のような、

空へ真っすぐと伸びていく七色のそれは

今の僕らを象徴しているような

そんな儚さと、未来への希望を感じさせる

そういう景色だった。




今回の隊員総会のテーマは、" arco iris "

今までとはスタイルを変え、任国の人々との交流を深めるフェリア形式での開催となった。
協力隊の事業紹介、分野別に分かれ工夫を凝らしたブースの数々、日本の文化紹介、日本の被災地支援を呼び掛け、ステージでの歌と伝統舞踊。

「次はいつやるんだ?」の声。サンタクルスの市民は想像以上に日本に関心がある。

そして大盛況のうちに、フィナーレの "Somos el Mundo" で幕を閉じた。


それぞれの専門分野をもっている人たちが力を合わせると、こんなにすごいことができるんだ、、総会の運営の方々が最初に思い描いていた「夢」そのものの姿がそこにあった。

各々フクザツに抱えているものがあったとして、前向きな動機で一つにまとまり、そして味わった充実感。こういうのは本当に大切にしていかなければならない。かたい話はたくさんあると思います。

でも純粋に。

虹の橋を架けようと一人ひとりがまさにボランティア精神をもって努力したことで、日本とボリビアだけでなく、隊員やJICA職員との間にも前よりも強く、きれいな橋が架かったようなそんな一日でした。

こういう流れはいいかたちで引き継いでいきたい。
そいういう人間関係は、必ず活動に生きてくるはずだから。

半年後は自分たちが引っ張っていく立場になる。活動も終盤に差し掛かる頃だ。

自分のこと。周りのこと。

よい流れを未来に残せるように、やっぱり日々できることを大切に。

いつもまとめがだいたい同じだけど、やっぱりそれしかないのかなぁ。最後は。


空を見上げるのは後ろを振り返るためではなく、前に進むため。

さっきにわか雨が降った。ひょっとしたら虹が出てたかも、、でもやっぱりいいや。見に行くのは止めよう。虹は探すもんじゃないから。

20110421

惜しまれながら





惜しまれながら散っていく~ 英雄にあこがれ~♪

惜しまれながら去っていく~ 先輩にあこがれ~♪



去る3月23日(水)

サンタクルスのビルビル空港より、20-4の先輩隊員たちが日本へと旅立った。

すごくお世話になってきた先輩隊員たちとの別れなので、何と言っていいかすごく寂しいような逆に背中を押されているような不思議な感覚だった。



「一生会えないわけじゃないし」

でも、きっと、簡単に会うことはないのだと思う。

だとしても、そういう出会いと別れを繰り返して人は成長していくのだから変に感傷的になる必要はないのだろう。

僕らも1年後は次の任地へと旅立つ身。ここに残り、通り過ぎていく旅人たちを見送ってきた人々の想いの方がずっと切ない。


この日からちょうど1年後。どんな気持ちでこのゲートをくぐるのだろうか。

次の桜は日本で見るのか、等と考えると妙に郷愁にかられる。



「日本に帰ってからが、この2年間で学んだことが試されるとき」

日本に帰ってから次の進むべき道を模索したり、震災の情報に胸を痛めたり。
実際に行こうと思えば行ける距離にいるだけに、きっと葛藤は大きいのだろう。
今の自分に何ができるのか。残酷なくらい問われる瞬間だ。

でもきっと先輩たちは、悩みながらも自分の道を切り拓いていくのだと思う。
そういう強さをもった人達だったから。

僕は帰ったら帰国したらすぐに職場に戻り、4月からはまた担任として新しいクラスを受け持つことになるだろう。それは今はすごく幸せなことだと思っている。

ここでの経験を次は日本を元気にするために使いたい。次のことを具体的に考えられるのは、現職参加の強みかもしれない。

そのための今を。いや、結果それが役に立った、というニュアンスの方が正確か。今はこの国の人々と共に築いているのだから。

活動もどんどん加速がついてきた。終わりを意識したのは初めてかもしれない。


最後に、2つ。

技術移転というのは、何も現地の人に対してだけではないと思う。
隊員の技術や想いを、後輩隊員に引き継ぐというのも、立派な技術移転になると思う。

想いを継ぐものが、これからも任国で活動を続けていくのだから。

今回の先輩隊員たちのインパクトは相当なものだったから、僕らが学ぶべきことはたくさんあった。その意志をこの国の空の下で、引き継いでいきたい。

そしてそれを、次の世代にも。



もう一つ。

英雄には憧れるが、散ってはいけない。

必ず何があっても生きて帰る。

究極はそれだけでいい。


さぁ始めますかー

何て考えてたら、20-4を見送ってもうすぐ1ヶ月、、、このペースだと1年なんてもう。。

立ち止まる暇はない。さぁ行こう!

20110420

世界はなんて美しい



空の話の後から、何だか気になって空を見上げる機会が増えたように感じます。

そうすると、必然的にいい空に出会える確率も増えて来るわけで、

いつも見ていたはずの夕焼け空でも、あぁこんな景色があったんだなと思わずカメラを構えてしまいます。ノスタルジックな情景です。日本に還った後も、きっとこの景色を思い出すと思います。実際、昼間の太陽に照らされると、そんなに整った景色ではないのですが。

昼間の影が焼きつくような暑さも、よく考えたらいろいろといけてないんじゃね?ってことも、日が暮れ逢魔が時になると、何だかすべて美しく郷愁をもって見えてくるから不思議です。

それで今日もいい一日だった、と思えるぐらいだから、自分は本当にしあわせだと思う。
世の中には、それだけじゃ癒せない深い悲しみが在るのですから。


意識化するって大切なんですね。

空を見上げることで、仲間たちとのつながりもなんだかふとくなったような気がします。目には見えないんですけど。


ボリビアの仲間からこんな内容のメールが送られてきました。

以下引用です。

「実は、何も無い私だけど一つ自慢できることがありまして、、、。それは「人運」なのです。今回も、やっぱりみなさんとこうして出会えているということで、改めて自分の[人運]の強さと素晴らしさを確信しているところです。ご先祖様や、神様、出会えた皆様に感謝です。」

出会いに恵まれているということは、その人自身に引きつける何かがあるのだと思います。
ごくまれに、会う人を不幸にしていく類の人もいますから、、やっぱりその人の人柄、人徳だと感じます。

それぞれの心地よい距離感ってのがあると思います。
僕はどちらかというと集団行動は苦手です。
が、心のキョリというのでしょうか、そういうものってちゃんと伝わっていくのでしょう。

それに、多分メンバーが多少ちがっていても、きっと同じくそれぞれのバランスで最高のチームになったんじゃないかな、と思います。それは教室の中でも言えることで、誰々と一緒だからではなくて、このクラスを最高のクラスにする。そういうことなんだと思います。


「あなたに会えてよかった」と思ってくれる人たちと一緒にいるのは、幸せなことです。

それは友人でも、恋人でも、ボランティア活動にも言えることで、

こんなやつと仕事したくない、こんなところで働きたくない、こんなことしたくない、、、などと思っているうちは、周りが助けてくれることは決してないでしょう。

意識するのと、無意識なのに関わらず、まず自分が愛することで周りは変わっていくのだと思います。

そんなうまくいくことばかりではないでしょうし、どうしようもない出会いもあるでしょうが、、、様々な出会いを通して人は成長するのですから、やっぱり出会いには感謝したいなぁと思う今日この頃。

これから先あなたは、どんな空を見上げていくのでしょうか。

今、目の前にある困難もすべて自分の糧にすることができたのなら、きっと世界は味方してくれる。

そう信じています。



今日もいい夕焼け空でした。

世界はなんて美しい!

20110419

空の話の続き




結局いつも、一番何かをもらっているのは自分かもしれない。




『4月7日の空』を撮りませんか、、?


この呼び掛けに対して、50人以上の仲間から世界中の『4月7日の空』が贈られてきた。
遅くなりました!と、メッセージが届く。それは1週間経った今でも続いている。

"picasa"上に作成した『4月7日の空』ギャラリーは今、世界各国の空で埋め尽くされている。



3月に入り、ニジェール隊の突然の退避帰国。
それと前後するように、東日本を襲った大震災。
仲間の無言の帰国に何もできない日々。
そして、同期隊員との突然の別れ。。
他にも他にも、言葉にできない悲しみや苦労を抱えて迎えたこの日。

言葉を失うような日々。


みんな、おそらく何かしたいと考えていたはずだ。
伝えたい言葉も、想いも、心の中にぐっとため込んでいた。

でもそれを、どう表現すればいいか。どこへ表現すればいいのか。
やっと活動が軌道に乗り始め、慌ただしい日常を過ごす人も多かったのではないか。
逆に頑張り過ぎて、思いがけずお休みをもらっている人も想像以上にいるのだろう。

きっと皆もやもやとした気持ちの中で、日々を過ごしていたのだと思う。
ジャマイカの隊員が綴っていた、ネットを離れれば、の幸せ。


自分もきっと同じです。

だから空を見た時、一人ひとりの詩を読んだ時、心に染みた。

写真もそうだが、そこに添えられた一編の詩に心を打たれる。

いつもそこにある、見慣れた空。
突き抜けるように青く青く澄んだ空。
どんよりと雲が垂れこめた鈍色の空。
夏の到来を感じさせる空。
教室を抜け出した子どもと一緒に見上げた空。
妻が贈ってくれたいつか二人で見上げた春の空。
いつも物思いにふける空。
一年前の駒ヶ根のような小雨まじりの曇り空。
そして、雨上がりの夕焼け空。
子どもが切り取る、誰にも真似できない空。
慌ただしい日常の中、レンズ越しに切り取った空。
穏やかな日常に感謝したい清々しい空。
エベレストと共にある神々しいまでのアカネ空。
帰り路に見上げた夕焼け空。
部屋を出るとそこにある満点の星空。
そして、夜明け前の空。

まだまだ、、抱えきれないほどの空と、想いがそこにはあった。


「そうだ、この空は世界とつながっているんだ」



KTCに入所してからちょうど365日経った、この日。



みんなで空を眺める。

その行為に何か意味があるかと問われると、

おそらく、ない。



ただ、その行為に意味を持たせることはできる。

一人ひとりの物語を綴って、想いを紡いで、志をまた一つの方向に向けることはできる。

心や夢は一人ひとり違っていても、人はその想いや志の向きを一つに重ねることはできる。

例えそれが、空を見つめるわずかな瞬間であったとしても。

僕たちはいつでも、あの場所に還ることができるはずだ。

きれいごとじゃすまない世の中です。でも、もう一度信じてみたいんだ。

力を失いかけた一つひとつの言葉をもう一度。



いつも下ばかり見て歩いているわけではない。

いつも空ばかり見てぼんやり過ごしているわけではない。

この空が世界とつながっていることを感じながら、

この瞬間の世界中の仲間や大事な人たちのことを想いながら、

今を生きる。より愉しく、美しく。


この空をまたいつか共に見上げる日まで。

必ず元気で。また逢おう。

それが今の僕にとっての「夢」とか「希望」


みんなの言葉読んで感じたこと。



スペシャルサンクスは22-1モロッコ隊員の太陽に一番近い男。
彼の企画にインスパイアされました。
今回はすんません、、次回もしよかったら参加してくれます、、??
うちらの「夢」は際限なく広がってくんでー^


『4月7日の空』ギャラリーはこちら。


https://picasaweb.google.com/104975715258074198131/tOqDpI#

20110415

『4月7日の空』



5分歩けば目眩がするような、真昼のつよい日差し。
空の色や雲のかたち、そして自分の影が強烈なコントラストを描いている。
ここは一年中、夏真っ盛り。蚊も湿気も夏真っ盛り。

小さな町を少し歩けば、そこら中から声をかけられる。
この町の人達はみな、ちゃんと名前で呼んでくれる。
そういつながりを持てたことは、かたちのない通知表のようなものである。
与えられた環境に感謝しつつ、次のステップへ。

そういえば、
いつも見慣れている、この青い青い空をじっくり眺めるなんて久しぶりかもしれない。
太陽が雲に隠れたその一瞬、ぼわわーっとその周辺に丸い環が輝いた。
そして数秒後、雲間から光がもれた。神々しいまでの輝き。

この空も、宇宙の一部なんだな、とちょっと大げさに感動してしまった。


でも、いつも見ていないだけで、自然はいつだって様々な表情を見せている。
人間だってその一部で、自然と共に生きる生かされているという感覚。
そういう自然のアタリマエ。そういうものを、もっと感じていきたい。


『4月7日』というのは365分の1のただの記号だけど、そういう言葉にも一つずつ意味を与えることができたのなら、僕らはもっと今をつよくやさしく生きられるんじゃないか。

力を失いかけた言葉にだって、もう一度。



今日は、「そうだこの空は世界とつながってんだ」を想う、記念日。


                                       ボリビア 中野陽太郎

20110405

永訣の空





Kさん


僕がきみと始めて言葉を交わしたのは、KTCへと向かうバスの中だったね。
2010年4月7日水曜日。あの時は小雨が降っていたっけ。

第一印象で覚えていたこと。

きみの向かう国のこと。幼稚園で働いていたということ。そして、強い意志を秘めた眼差し。

その後、同じ班のメンバーとなり、きみの意志が本物だってことがよく分かった。
はにかむような柔らかな笑顔と穏やかな言葉の奥に秘めた志。
きみなら、きっと理想の幼稚園を作ることができる。
いや、理想を託せるならこういう人だな。そう思わせる何かがあった。

僕は、本気で市長にだってなれるって思ってたよ。


「死んだらいい人」って言葉はウソだと思う。


だって、きみは始めて言葉を交わした瞬間から、尊敬すべき仲間であり、みなに愛される存在だったからだ。

誰よりも机に向かっていた時間は長かったんじゃないかな。
でも、みんなで集まる時には必ず、きみの笑顔がそこにあった。
バレーボールの奇跡の優勝も、きみのトスのおかげだ。
サーブがやさしくてジェントルマンだったこと。
でも本気を出したら強烈なスパイクを決めてたよね。
そういうきみの性格、、らしいなぁ。
文化祭。みんなで女装して、オオケガしたのだって今となってはいい思い出だ、、笑

毎晩の長い点呼、と称した他愛もないおしゃべり。


毎日顔を合わせて、もう家族みたいな感じだった。

勝手にそう思っていた。だから、こんなに早くお別れが来るなんて思っていなかったんだ。




あれが最後の点呼になるなんて思っていなかった。

今という時を大切に、なんて言葉。いつだって失ってから気付くんだ。遅すぎるよ。



きみからもらった言葉を、そのままきみに返したい。


「あなたに出会えたことが 僕の財産です。 本当にありがとうございました。

 あなたの国の人たちは あなたに出会えて、絶対に幸せだと思います。

 もう一度、ありがとうを言わせて下さい。本当にありがとうございました。」



こんな言葉をもらっていたんだなんて改めて気付いて、心底泣けてきた。
もちろん自分のやってきたことに自信はある。いつだって真剣だ。
でも、まだ、そんな言葉をかけてもらえるような、大層な人間じゃないよ。



「班長みたいな園長をめざします」



でも、だから、

きみのその言葉。背負わせてもらっていいですか?


「あなたみたいな先生をめざします」


穏やかな笑顔の奥に秘めた、あつい志。
言葉少なく、そして努力を重ねる不言実行の姿勢。
そして何よりも、人と人との絆を大切するKさん。


子どもたちが豊かな心を育んでいけるような、そんな学校を作りたい。
校長なんてなりたいとは全然思わなかったけど、理想の学校を作れるのなら、それも悪くないと今なら思える。
自分はまだ何もなしてはいないのだけれど、きみの志を背負いたい。

その覚悟はあります。

僕はよく感情に流されたり、つい言葉が過ぎるところがある。サーブだってガチで撃って女子を泣かせてしまうことだってさ、、反省。まだまだ見習いたいところはたくさんある。

だからきみの想いを背負わせてください。




最後に、

みんなからもらったメッセージカードの中で、きみのだけがちがっていたんだ。

その時は慌ててたのかな、ぐらいにしか思っていなかったけど。

それは、多分何かのサインだったのだと思う。

僕たちは世の中に溢れるそういう予兆にもっと気付くべきだし、やはり今ともっと真剣に向き合うべきだと思うんだ。


今僕の住む町では、夜空に南十字星が輝いている。

空を眺める度に思い出す。



僕らは絶対に忘れない。



だからきみはずっと生き続ける。

僕らの中でずっと生き続ける。



最後にもう一度だけ言わせてください。





本当にありがとう。



22年度1次隊 駒ヶ根訓練所 4班班長 中野陽太郎






きみの言葉を一つ一つ噛みしめています。おそらくみんながそうあるように、自分自身もまた、言葉にできない悲しみに想いを綴ることができずにいる。

でも何よりも、知らせてくれてありがとう。知ることができてうれしい。悲しいけど、うれしい。

家族の方や仲間たちにどんな言葉をかければいいのか。己の言葉の無力さを痛感する。
国代表の方。全体に送るメールをどんな想いで綴り、そして送信ボタンを押したか。
ただただ、感謝の言葉を述べるだけです。そして、遺族の皆様へのご配慮にも感謝いたします。

もしこの言葉が彼の元に届くのであれば最高の幸せです。そして、同じ任国のみなさん、特によき隣人であり4班の班員でもあったK丸くん。4班の代表として、しっかり彼を見送ってあげてください。班長、いや監督命令です。どうか、よろしく頼みます。



死んだように生きるのではない。

今を生きるのである。

過去と向き合えない人間は、今を生きることはできない。

今を生きる人間は、自分の未来と向き合うことができる。

だから前を向こう。過去は変わらない。

今できることは、顔を上げて、前を見て、立ち上がること。

一歩踏み出すこと。

おおげさかもしれないが、生きる。

今をより愉しく、美しく。



Kさんのお別れに臨んで、安らかなご冥福を心よりお祈りいたします。