20101229

真夏のクリスマス





12月24日(金)
南米ボリビアはサンファンのクリスマスをお届けします。

本日も快晴、朝から真夏の日差しが降り注ぎます
暑くてちょっと場違いな感じですが、ツリーやイルミネーションも街を彩っています。

市役所では、子どもたちにおもちゃとお菓子を配りました。
こういう時の"una fila"(1列)は必ず小さい子を前にするのがボリビア流。
自然と優先させてあげるところがいい。こういう縦社会は大事だよなぁ。

昨日、お菓子の袋詰めを手伝いました。
だいたい同じ値段のものを詰めていたのですが、途中で品切れになったりetc.
けっこう中身にばらつきが、、最後の方は結構適当になっていたので
まぁ運だめし的な要素もあるわけです。こういうところもボリビアっぽい。
そして、運が悪かったとしてもたいてい文句は言わない。が、
不満そうな顔をする子どもは正直者。でも頼むからゴミは拾おうよ、、

何はともあれ、子どもたちはみんな嬉しそう、、!
クリスマスは子どもたちの笑顔のためにあるのだと改めて思う。
もちろんおもちゃとかお菓子をあげるということではなく、

 子どもが子どもらしくいられること。 笑顔でいられること。

もし、争いが続いていたとしたら。

 「 子どもの笑顔 = 平和 」

 夏休み教室を開き、子どもたちと歌を歌ったり飾りを作ったりしました。
そうやって一つ一つ準備していくことが楽しみでもあります。

カトリックが多いボリビアでは、"Navidad"(クリスマス)は一年で一番重要な日のようです。
夜には大きなミサがあります。
そして、一番大事な家族と一緒にまったり過ごす日。
世界の平和を祈り、家族と温かい時間を過ごす。

親戚もみんな集まって賑やかに食事を楽しみ、
そしてカウントダウンの打ち上げ花火、、!
町中では爆竹の音がばんばん響きます!
サンタクロースも町中で見かけます!(でもかなり暑そう)
派手にお祝いするお祭りムードのクリスマス!
夜中の12時にはサンタ(パパノエル)もやってきます!
熱覚ましにスコールだって降ってきます!
だいたい朝まで飲んで、25日の朝は二日酔い。。

来年はもうちょっと計画的にシゴトを進めて
周りの人をもっと幸せにできるような
そんな日に。




¡Feliz Navida! (メリークリスマス!)

世界中のみんなは、どんなクリスマスをお過ごしでしょうか、、?





20101206

商売敵






しょうばい‐がたき 【 商売敵 】

〔名〕同じ商売で、互いに自家の商売を盛んにしようと競い合う相手。商売上、職業上の競争相手。同業間の競争者。あきないがたき。


どんな品物でも取り扱い、24時間店を開けて休まずに店を開き、
便利さをひたすら追求してきたコンビニエンスストア。
どちらが先に店を開いたのか細かい事情は分からないが、行き過ぎた競争社会の末期的状況の現れがここにはある。

成長のためには、「適度な」競争は必要だとも言える。

ただし過剰な競争は人間の大切な何かを奪い去っていく。
そしてたいてい、それが欠けたことにすら気付かない。

この商売敵の物語はどちらかの廃業によって幕を閉じるのか、それとも正当な成長への試験場として互いの商売の発展に寄与するのか。
ただし客の目から言わせてもらうと、どちらの店に入るかなんて理由はまずない。
どちらもさほど差がない。

東京夜景







平日の夜に出かけることなんて、東京で働いているときはまずなかった。

洗濯だって米を炊くのだって指一本で事足りるし、
移動するためにいつ来るかわからないタクシーを待つこともない。
隙間から入ってくる埃や虫を掃除したり、水のしたたる水道管に一晩中悩まされることもない
快適で便利な暮らし。

その分、自由な時間も増えるはずなのだが、なぜだかいがそしかった。正確には忙しく感じていた。

その「なぜ?」はよく分からないが、おそらく途上国のもつ”豊かさ”と関係があることはまちがいないだろう。経済的な発展とともに我々が失ったもの。

それは「時間」かもしれないし、「人と人との結びつき」かもしれない。

「東京の夜景は残業の明かりでできている」

そう教えてくれた友達がいた。彼はまた都会の夜景の一部となって働いていた。
そして自分もまた東京近郊の夜を照らす明かりの一部となっていたことに気付く。

彼は余暇と創造の関連性についても記していた。

もちろん、シゴトに誇りを持つ職人気質は今でも大事だと思っているが
夜景を楽しむような時間の使い方も悪くないと今では思っている。

コンビニの隣りにコンビニがあるなんて、、資本主義の末期的な状況。
余剰時間をさらなる成長に費やした、その競争の果てにあるものは、、

経済的な成長と、こういった”豊かさ”を両立できたとしたら、それって最高に幸せだと思う。
KTC統括の吉水さんが書いていた言葉。

「発展(経済)と幸せの両立」

それこそが、これからの日本が目指すべき道なんじゃなかろうか。

今までは何となくきれいだな、としか思えなかった夜景。
今はなおさら労りと愛しさがわいてくる。

そんなに頑張り過ぎなくていいよ。

世界には様々な幸せのかたちがあるんだということを学んで帰りたい。

その明かりをともす何千何万ものハタラク人たちへ「お疲れ様!」

そして何よりも誰よりも、隣りにいるあなたへ「お疲れ様!」

墓守り猫の欠伸






妻が仕事にでかけた後、朝の町を散歩してみる。



狭い路地。家の前を掃く人々の姿。人気のない横断歩道。色づき始めた木々。のら猫のあくび。

朝の何気ないゴミ出しの風景や横断歩道でゆっくり止まる車。
あぁここは日本なのだなとみょうに感傷的な気持ちになる。
そして何だか全てが輝いて、愛おしくて、
実際特別なことなんて何一つ起きていないのだけど。

入谷から鴬谷の駅の脇を通って上野公園まで。
途中、谷中霊園に足を伸ばしてみる。
ここだけ時間が止まったよう。
たくさんの鳥の声が聞こえる。なんだボリビアと変わらないんだな。
潔く落ちた椿の花が秋の彩りの中で存在感を示している。

墓の脇にある平らな石の上で転寝をしていた猫が、見慣れぬ侵入者の存在を認めると
そのずんぐりした身体をゆっくりと起こし、のそのそと近づいてくる。
ここが飼い主の墓所なのか、それともただ日当たりがいいから居座っているだけなのか。
墓の前に座ると、大きなあくびを一つ。

働いている時は気付かなかったけれど、こんなに穏やかな時間が流れていたんだな。
いつもは自転車で駆け抜けていただけだったけれど、こんな当たり前の時間があった事に気付くことすらなかった。8時までには必ず職員室の扉を開けてきた6年間。

歩道橋から眺めた山手線にはたくさんの顔が見えた。
彼らはきっとこの時間に墓地で野良ネコが気だるそうにあくびをしていることなんて知らない。




旅人目線で眺める東京。

ふいに徳川慶喜の墓に出遭う。
大河ドラマの影響でここにも大挙して人々が訪れたに違いない。
今はひっそりと誰を待つでもなくただそこに。
大政奉還後の日本を眺めたように、
新しい価値への転換をせまられる日本の未来を、ただそこで眺めている。