20101206

墓守り猫の欠伸






妻が仕事にでかけた後、朝の町を散歩してみる。



狭い路地。家の前を掃く人々の姿。人気のない横断歩道。色づき始めた木々。のら猫のあくび。

朝の何気ないゴミ出しの風景や横断歩道でゆっくり止まる車。
あぁここは日本なのだなとみょうに感傷的な気持ちになる。
そして何だか全てが輝いて、愛おしくて、
実際特別なことなんて何一つ起きていないのだけど。

入谷から鴬谷の駅の脇を通って上野公園まで。
途中、谷中霊園に足を伸ばしてみる。
ここだけ時間が止まったよう。
たくさんの鳥の声が聞こえる。なんだボリビアと変わらないんだな。
潔く落ちた椿の花が秋の彩りの中で存在感を示している。

墓の脇にある平らな石の上で転寝をしていた猫が、見慣れぬ侵入者の存在を認めると
そのずんぐりした身体をゆっくりと起こし、のそのそと近づいてくる。
ここが飼い主の墓所なのか、それともただ日当たりがいいから居座っているだけなのか。
墓の前に座ると、大きなあくびを一つ。

働いている時は気付かなかったけれど、こんなに穏やかな時間が流れていたんだな。
いつもは自転車で駆け抜けていただけだったけれど、こんな当たり前の時間があった事に気付くことすらなかった。8時までには必ず職員室の扉を開けてきた6年間。

歩道橋から眺めた山手線にはたくさんの顔が見えた。
彼らはきっとこの時間に墓地で野良ネコが気だるそうにあくびをしていることなんて知らない。




旅人目線で眺める東京。

ふいに徳川慶喜の墓に出遭う。
大河ドラマの影響でここにも大挙して人々が訪れたに違いない。
今はひっそりと誰を待つでもなくただそこに。
大政奉還後の日本を眺めたように、
新しい価値への転換をせまられる日本の未来を、ただそこで眺めている。

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