20111026

ぽい一日









写真のサイズでかくしてみました。


ちょっと、今さら感ありますが、、


自分のパソコンはサイズが小さいので、これくらいが程よいですね。





で、今日もいい一日でした。



今日も、たくさんの人に逢いました。



今日も、いい風吹きました。




ロス・アンデス小学校の複式学級で算数2コマ

たった3回目ですが、積み重ねが生きている感じです。

年度初めから入っていたら、きっともっとすごいことになっていたかもしれません。




まだまだ、式を立てるというところは厳しいところはありますが、

計算の訓練ではなく、考えさせるところに重点を置いて指導し続けること

具体物を用意し視覚的に示したり、操作活動を取り入れること

①今日の目標→②前時の学習内容→③学習課題(問題、計算、答え)→④まとめ

と、いった学習の流れを指導者が意図すること


巡回指導は、毎時間授業が用意されていないけれど

自分から開拓していけば、やる気のある先生と出逢うことができる


そういう点では、教育委員会配属も悪くないなぁと思っています。



よくも、悪くも自分次第、というところがいい。




教材を100用意しても、50も使わないのは当たり前。

うまくいかなかったことは、100しか用意できなかった自分の責任。

今日は、もうちょっと準備すればもっといけた。


自分の想像よりも子供たちががんばった。

そういういい意味での裏切りは、嬉しい。




先生と教材や今後の予定について話したり、

やたら甘いイチゴ味のソーダを飲んだり、

子どもたちと一緒に折り紙で遊んだり、

子犬の数を数えたり(5匹)、

昼ごはんをごちそうになったり、

ガードレールに座って車を待っていたり、

そろそろ繁殖期の蚊に狙われたり、、、





協力隊っぽい。すごく”ぽい”一日でした。




半年後にはやっぱり、今見ている景色を思い出すのでしょうか。





” ¡Hasta el jueves! ”


次は、来週の木曜日に、スペシャル教室をやろうということになりました。

僭越ながら最大限、期待に応えてやろうと思います。





今日は、データを持ってくるのを忘れたので、、

8月に撮ったウユニの写真です。



今どんな場所で、どんな時間を過ごしていたとしても、

今日も変わらず宙色の風が世界を染めている。

そういう心の風景をいくつもっているか、

それが、ココロの豊かさでもあると思う。




水浴びする豚の鳴き声が聞こえる、ロス・アンデス

そういう景色もまた、ココロの風景となるのでしょう


20111025

一年前の「出逢い」に






1年前の自分は、どんな道を歩いていたのか

どんな方向を向いて歩いていたのか



今、後ろを振り返った時

そこに道はできているのか





1年前に書きかけた、ブログの下書きに

1年後の10月24日、新しく文章を綴ってみる






タイトルは、 「 出逢い 」



そして早朝、バジェグランデの町を散策して撮ったこの写真





このタイトルと、この写真で

1年前の自分は

どんな言葉を紡ごうとしていたのか、、





でも、実際それを探ることにはたいした価値はないのだろう





最も重要なのは

今、自分がどうあるか

何を感じ、何に向かって歩んでいるか




今のすがたが、過去の自分を証明する唯一の手段だ

昔はすごかった的なヤンキー話ほど、つまらないものはない



じゃあ、今あなたはどうなの、、?





逆に、今おもしろい人は、どんな過去を経てきたのか興味がある

きっと、そういう順番だろう





 「 未来とは、今 」(blog ”aste aste”より)


バングラディシュのSaekoが、誕生日にお母さんからもらった言葉だそうだ

ステキな母上です

そして、そういう想いを受けて生きる娘も、輝いていることでしょう

(気に入ったので勝手に引用させてもらいました、ナマステ!)







過去は今であり、今は未来

だとしたら何をしたらいいかは、はっきりしている





とはいえ、隊員総会の延期から早1ヶ月、



本業に専念!と、言いながらもなんだかもやもーや過ごした1ヶ月

そして大きな発表会を終えて、今年度も残すところ1ヶ月を切った





そんな俺に、このペリートは語りかけているのかもしれない、





「 くすぶってんじゃねぇぞー 」





そして、


「 最近シエスタ長過ぎんじゃねーか 」





とか、


「 日本へのおみやげとか考えて、ヤパカニとか行ってんじゃねーぞ 」





そう、おっしゃられているような気がしてならないのです



そういう、真心のある喝です



大変ありがたい



ラパスのJUNさん言うところの、24時間営業のスーパー的でない「やさしさ」です







来週、1コマもらって国際協力の授業をすることになった

来年度に向けて、算数の初期指導のタジェールを開くことになった

そういう提案に快く賛同してくれることは、活動の成果といってよい







世界中に散らばる仲間や、ボリビアにいる先輩や、日本にいる先輩からも


ココロある言葉をもらう


そういう出逢いが、自分を”向上”させてくれているのだと感じる




今、いい風が吹いてきているのなら、

自分の心に、その風をもっと吹かせたい

自分の魂に、もっともっといい風を吹かせたい


それだけはきっと、間違いなく人生の財産になる


そして、今しかできないこと






明日は、高校とオブレロ小学校に寄ってから、集落の分校へ

明日はどんな風が吹くのだろうか






20111023

帰るべき場所







先日、配属先の小学校の校長先生から、妻に電話があった。

来年の人事についてだ。


自分の口から直接伝えた方が良かろうということで、連休明けの朝の時間をねらい日本へ電話をかけることにした。



青年海外協力隊には、元の職場に籍を置いたまま活動に参加し、
帰国後には復帰できる現職派遣という制度がある。

僕の場合は公立校の教師なので、東京都の公務員として籍を置いたままでの協力隊参加ということになる。


東京都の現職教員応募資格の一つは、経験年数5年間以上。

つまり6年目の春に願書を書き、書類審査や試験等の諸々の選考を得て最短で7年目の春から訓練に参加ということになる。


現在の制度では1校での勤務年数は3~6年。

3年目から他校への異動の権利を得ることができ、特別な事情を除いては6年を過ぎると自動的に転勤ということになる。

つまり、6年間を経た僕は自動的に異動の対象になるわけだが、、



来年の4月から、他の学校で先生をやるのか。

それとも、元いた学校で先生をやるのか。


そういう選択肢を提示してくれることがまず、あたたかい。



一つの学校に、しかも初任校に長く留まるということの弊害も多い。

6年プラス2年間の協力隊活動、ということは9年目ということになる。

初任校で10年という伝説の男を知っているが、今の制度ではそれは超レアケースだ。


いずれにせよ、荷物は段ボール2箱半にまとめてきた。旅立つ準備はできている。



実際残るにしても、本人と校長の願い+特別な事情を込めた申請書類を提出し、後は上の判断ということになるのだが。


この2年間の経験は日本に返したいと思っている。

日本の教育から、日本を元気にしたい。

願わくばそれが、自分の母校。6年間勤めたその学校であればそれがベストだ。


今までの教え子たちの弟や妹たちにこそ、返してあげたい。そういう気持ちも強い。

最初にもった6年生は、今年から大学生に。

次にもった6年生は、来年から高校生に。

最後にもった学級は、来年から中学生に。


彼らがいつでも戻ってこれるような、

いつ戻ってきても変わらず迎えてあげられるような、

後1年は、そういう場所を作ってあげたい。

彼らがいつでも帰ってこられるような場所を。



自分が公立校にこだわる理由の一つはそこだ。


地元に帰れば、学校があり、仲間がいる。

そういう、いつでも帰るべき場所を。




この先のぼんやりとした人生のプランはある。

でも、それは日本に帰ってから妻とゆっくりと話し合ってから決めたい。



人事のことについては公の場で書くことは憚れるので、、

ただ、校長先生には一言。


「来年も一緒に働きたい」と、だけ伝えた。




自分が一つの場所にそんな長居できる人間だとは思わなかった。

シゴトもガッコウも、同じ場所に通い続けるのは苦手だった。
絶えず新しい環境に身を置きたい。そう考えていた。

最長は、小学生時代の6年間だろうか。。

自分は学校が好きなんだな、きっと。


帰るべき場所は、いつだって変わらずそこにある。




22-1の派遣期間もあと8ヶ月。

現職組はあと5ヶ月。

皆さんはどんな未来を描いていますか、、??

20111008

ずっとトモダッチ






マブダチの証、チャリの2ケツ


日本にいるダチに会いたくなった

それぞれ、夢を追いかけたり、結婚したり

近かったり、遠かったり

いろいろな人生を歩んでいるけど

オレらはいつだって

暗くなるまでボールを追いかけてた、あの頃に戻れる

そういう、一生のトモダチだ


こういうことは気恥ずかしくて言えなかったけど

どちらかと言えば、かなり疎遠にしていた方だけど

そういうとこちゃんとしてこうと思う

ちなみに、ダッチ(本名アダチ)というダチもいる


昔からの仲間

新しくできた仲間

そういうつながりを、ずっと大切にしていきたい

おっさんになっても、くだらないことで笑い合っていたい

心にいつだって、いい風を吹かせたい



最近、写真を撮ることに少し食傷気味だったが、

やっぱりこういう時間を切り取れる、というのはいい

ナイス笑顔ー^

ていうか少年。今、授業中だろー

この後、プラサでアイス食ってたし

でも、そういうのダイジ




幸せ、逆セタ







約1年前に幼稚園のブランコで出逢ったこの子たちとは、今ではすっかり仲良しだ。


「 まもる 」(2010/09/21)


結局、学校の向かいに住んでいたその姉妹とはあっけなく再会をすることになる。


お姉ちゃんのマリリンは中心地の公立校に通う小学校3年生だ。そのクラスへは頻繁に通うようになったので、かなり親しくなった。恥ずかしそうにする仕草は相変わらずだが、姿を見かけると必ず声をかけ駆け寄ってきてくれるのが嬉しい。


そして、もう一人幼稚園年長組のフェルナンダ。髪の毛はお父さんの色をもらったんだろう。お姉ちゃんに輪をかけて、いつも全力で突撃してくる。幼稚園に何回か行った時に印象に残っていたが、まさか姉妹だったとは、、


妹(その時は、妹か弟か自信がなかった、、)のゴルダ(おそらくあだ名「太っている子」)は、今年やっと幼稚園に上がったばかり。女の子っぽいかっこをしているが非常に腕白な女の子。今日は床に寝ながら、文字通り笑い転げていた。



1年前に比べると、若干大きくなったように感じる。

でも大きくなったのは彼女たちだけじゃなく、自分自身かもしれない。




マリリンはクラスのレイナ(ミスコン代表)に選ばれるなど、実はかなり女子力の強い子だということ。

サッカーの試合の後にみんなでだべる売店の主、ドン・ミンチョの孫たちであること。

お母さんが学校で軽食やジュースを販売しているので、毎日それを手伝っていること。

タクシー運転手のお父さんと共稼ぎなので、けっこう買い食いしたりおしゃれ小物なんか持っていたりする余裕があること。



そして、彼女たちは勝手に同情されたり感傷的に思われたりするような生活は送っていないということ。


やっぱりここでもそう。

たくさんの家族や親せき、犬や猫に囲まれて、毎日ハッピーにくらしているのです。


何だか、”まもる”なんて感じじゃなく、共に笑い合っている感覚。幸せのおすそ分けをしてもらっている感じ。




GNI(国民総所得)が日本の30分の1のボリビア。

経済的なものさしだけでは測れない、幸せの尺度。

現実を見る、そして受け入れるというただそれだけのことなのですが、ハッピーなこともアンラッキーなことも見据える。そういういうことで視野が広がっていくのかなと思う。


それは初めからそこに在ったもの。

自分がただそれに気付いただけのこと。

そういうことなんだろうな。



幸せをまたサガセタ喜び。





今日はお母さんの誕生日。



活動を終えて事務所へ向かう帰り道、近くを通りかかるといつもの「折り紙作って」「絵を書いて」のくれくれ攻撃にあうので、今日はお母さんへのプレゼントを作ろうということになった。


妹たちは自分がもらいたいということで頭が一杯だったけど、お姉ちゃんは黙々とがんばっていました。

おみやげを確保することに必死な妹たちをなだめて、何とかお母さんへのプレゼントを完成させる。

最後にメッセージと名前を書こうとするが、ここで字が書けないことに気付く。

自分の名前すら書くことが難しい。

お手本を書いてあげたり、なぞり書きをしたり、そこはいつの間にか青空教室になっていた。

最後まで"Feliz Cumpleaños"(誕生日おめでとう)の"Z"(セタ)が逆になっていたけど、フェルナンダは満足気だ。

お母さんの元へ駆け寄り、記念撮影。


そういえば久しぶりに写真撮ったな。


幸せの花を共にサカセタ喜び。




日本でも小学1年生でひらがなを習うということになっているが、実際は既にマスターしている子が多いし、少なくとも自分の名前だけは書ける、というのがほとんどだ。

成人識字率が、90%と言われるボリビア。(「ユニセフ白書2009」)

家庭でのサポートを、日本のように期待することは難しい。

みんなが当たり前に字を読んだり書いたりできる国はやっぱりすごい、と感心してしまう。

でもその一方で、シゴトが終わった後、休みの日に駆けつけ、子どもたちのために気持ちよく汗を流してくれるような、そんなサポートは日本にあるだろうか。

日本だったらもっと段取りや根回しが必要だろう。

その数字はきっと逆転するにちがいない。

でもだからこそ、ムリだと決めつけるのではなく、日本にだってちゃんと在るそれを見据えて共に築いていけばいい。



何はともあれ今夜は、いつも家族のために頑張ってくれているお母さんに精一杯の祝福を、、!

それはキミタチではなく、お母さんへのプレゼントなんだからね、、!!



20111007

ボクのすきな人






自分がどういう人間がすきなのか、考えてみた。

あっ艶のある話じゃないです全然。人として、みたいな。





まず、哲学のある人間がすきだ!

自分はこれっていう考えをもっている人。
何かを学ぶことができるし、何より話をしていて面白い。

自分自身で選ぶことのできる人は、その人生も生き方も大抵魅力的だ。



でも、自分の哲学だけじゃだめだ。足りない。

理論だけ並べて、結局なんにもしない、というタイプの人もいる。

これはけっこう嫌いなタイプだ。




だから、自分の哲学を実践に移す熱意のある人が好きだ!

これはやる気とか、一生懸命さとか、一途さと言い換えてもいいだろう。

熱は周りに伝染する。

それが拙かろうと、多少偏っていようと、齋藤孝氏が例えるところの「その光を放つ一本の矢」は憧れの対象となり得る。

アツいという事はエネルギーに満ちているということと同時に、心と体が柔らかいということでもある。

内に秘めた情熱というのもあるだろうが、ちゃんと伝わる方がいい。


基本的にアツい人間はすきだ。

成長への可能性や向上心を感じるからいい。魅力的だ。




でも、自分の考えがあって一生懸命なだけではだめだ。まだ足りない。

それは一歩まちがえれば、ただのわがままであり自己中心的な行動であり、周りを振り回したり不幸にする可能性もある。

頑張っている人は基本応援したくなるが、何というかそこは冷静な評価も必要である。

「オレ、がんばってんだからいいでしょ」は、世の中では通用しないことが多い。

視野の広さや、周りへの気配りや思いやりなんてことが重要になってくる。




だから最終的には、やさしい人間がすきだ。というところに落ち着く。


自分の哲学を曲げるのではなく、他者の哲学を受け入れることのできるしなやかさ。

自分の思いを押し通すのではなく、相手のことを慮ることのできる寛容さ。

人の気持ちに敏感な人。傍に寄り添える力。心のとげを抜いてくれるような言葉。


他者への想像力のある人。それが一番いい。




哲学があって、熱意のある人は魅力的だけど、やさしくない人は苦手だ。

逆に言えば、それ以外がそんなに際立ってなくても、やさしい人はいい。

やさしい人っていうのは大抵、傷ついたり損をしたりすることが多いのだけど、それがまたいい。



やさしさ > 熱意 ≧ 哲学



「やさしさだけでは生きられない。でも、やさしくなければ生きている価値がない。」

どこで聞いたか、記憶に残っている。


究極、やさしさを持った人。それが一番いいという考えに至る。




自分はどうだろうか。哲学や熱意はある方か。。

だがやさしさはケースバイケース。まだむらがある。未熟だ。

でも、何かの役に立ちたいとは思っている。今この瞬間も。

人との出逢いが人を成長させる。まだまだ出逢いが必要だし、学ばないといけないことがたくさんある。 

そしていつの日か、世界を救うやさしさを。







"imagine"


世界を変えるのではなく、世界をつなぐ力を。


9時、6時







9月30日(金)



それは、唐突にやってきた。






ちょっと立ち止まって考えていれば、とっくに気づいてたことなんだろうけど。


“ INTERCAMBIO DE EXPERIENCIAS PEDAGÓGICAS DISTRITO SAN JUAN 2011 ”


今年一年の実践を交流する、発表会が開催された。

いわゆる、というか活動の集大成、もしくはピーク、だ。



でもぜんぜん唐突ではなく、いいイミで言えば分業(またの名は、お互い干渉せずに自由に)しながらそれぞれの学校での活動を積み重ね、今日のこの日を迎えたわけで。

致命的なコミュニケーション不足により、JICAの行事と重なってしまっていたこともあって、各校を巡回しそれぞれの実践を地道に深めること。それが当日出席できない代わりに、自分のできることだと考えていた。

そう思って迎えた出発前日での、出張の延期決定。



これを幸運と呼ぶべきかは迷うところだが、出足の鈍い(計画性がない分直前にめっちゃがんばる)お国柄。最後の1週間で関われる意味は非常に大きい。




そして終わった後、

「やっぱりこれに参加しないってのは、ありえんだろー」

という当たり前の結論にいたったわけです。



この日は全校休校になり、100km奥のコムニダ(集落)からも先生方が大挙して訪れた。その数は100名を越えていた。これに市長、議員、教育長を始め、サンタクルスからの来賓も迎え入れ、研修会は盛大に開催された。


まずは、 

貴重な経験の交流の場であること。

そして、

去年はなかった。でも、今年はやった。開催の意義は大きい。




発表者は8名。
  

○サグラド・コラソン3(午前)小学校 5年環境教育、ロセ・マリー先生
○エンコナーダ小学校        6年理科、ファウスト先生
○サグラド・コラソン2(午後)小学校 3年学級経営、オブドゥリア先生
○アヤクチョ小学校         4年算数、マルセロ先生
○サンファン学園          全校での取り組み、ユキコ・ホンダ先生
○サグラド・コラソン3(午前)小学校 3年学級経営、ジョエリーネ先生
○サグラド・コラソン2(午後)小学校 2年算数、ソレダ先生
○サグラド・コラソン2(午後)小学校 6年学級経営、ヘンリー先生



内容は高尚な研究発表というものではなく実践報告いった装いで、これならやってみよう、明日からできるかも、といったヒントが随所に散りばめられていた。

1学級を除いて全ての活動に関わってきたので、見えていない部分が分かったというところもある。先生方が日常的にがんばってきたことがよく伝わってきた。


今年の初めに、昨年の授業観察からの提言というかたちで「こういう風になったらいいな」ということを研修会の中で伝えていたのだが、よくよく考えてみると、結構それが生かされているように感じた。


学級経営の発表をした3クラスは特に重点的に関わってきたので言うまでもないが、

例えば、「学習のルールや共同生活のきまりを浸透させること」や、「研究授業は一人の先生のものではなく、学年の提案授業として共同して取り組むこと」等々。


話を聞いていないようでいて、ちゃんと聞いていたということだろうか。。

少しは役に立ってきたのかなと感じる一方で、よくよく考えると僕の言っていたことは、日本の教育に即しているわけで、PROMECA(JICAの協力の元行われた「学校教育の質改善プロジェクト」)で大事にされてきたことと重なる。


そういった意味で、これはPROMECAの成果と言えるのではないだろうか。


実際、それは僕が着任した昨年の7月に既に終了していたのだが、現在もその経験は生きている。


授業の中身や指導計画等々、まだまだ課題は山積みだが、それでも一歩ずつ確実に歩を進めている。


何ていうか自分が主体でないということが妙に嬉しかった。

先生方の口を通して、自分の伝えたいことは語られていたからだ。


こういうことが、先生たちの力で運営され続けて欲しいと心から願う。








日本の教師のすごいところは、豊富な教材をや最新の教具を使いこなすことではなく、学び続ける、さらに良い教育を求め続ける向上心にある。

教師自身が学び続ける。それが日本の教育の質を支えている。

ぶっちゃけ研究授業を引き受けたり、外の研究会に属しても給料は変わらない。

すべては自分自身の向上のため。すなわち、子どもたちに返すためだ。

そういった教師の経験が蓄積され、こうして国際協力の場で他国へ輸出されているわけである。

日本の教育がすべていいとは思わない。いろいろと弊害はある。

しかし、”学び続ける”という教師の魂を伝えること、それが日本の教育を伝える最良の方法であり、一教師にできるすべてだと考えている。






休憩時間、エンパナーダやジュースを口にしながら談笑する先生たち。





奥に展示してある教材の周りに先生方が集まり、和やかに話をしている。

教材研究というかたさはない。世間話も交えながらの交流。

日系人もボリビア人も、私立も公立もない。

何だか、すごくいい雰囲気だった。




やっぱり日本もボリビアも変わらないんだなぁ。先生たちは学ぶ魂をもっている。




会の終了後、会場にはゴミは落ちていなかった。

これは奇跡的なことで、研修会の後には例え少人数でもかなり無残な状態になるのが常だから、正直驚いた。

会場の外にもゴミは落ちていなかった。みんなゴミ箱を利用していた。


「ボリビア人が捨てる、日系人が拾う」なんて言う人もいるけど、実際は人による。

拾うボリビア人もいれば、捨てる日系人もいる。

要は意識の問題だ。


まず、先生たちが見本を見せよう!それがいくつかの発表を貫いていたテーマであった。

先生方で会場を片付け、清掃を行う。


子どもたちもそれに応える。美しい光景だと思った。






発表には表れないけど、こういうことこそが尊いのだと思う。



少しずつだが、確実に何かが変わり始めている。

自分はその流れの中にひと時、その身を置いただけだ。

やっぱり自分は助けにきたのだと、改めて感じる。



オブドゥリア先生が休憩時間に流そうと、スライドを作ってきた。

それは、今年の初めからの奇跡をまとめたもので、僕の撮った大量の写真を使っていた。

すなわち自分の関わってきた活動そのものであった。


「昨日の夜の9時から、朝の6時まで」


初めて作ったので時間がかかったといいながら笑っていたが、目は少しうるんでいた。

これだけでかい発表会の前夜に、、でも自分も教師だからそういう気持ちはよく分かる。



こういう時に僕は泣いてもいいのかもしれない。





発表の中で、クラスを代表して来ていたサラティエルくんとメルちゃんが

こっちに向かって"Gracias a Prof.Yotaro"と言ってくれた。

でもそれは言葉にしなくてもいい。言わなくてもちゃんと分かっているから。

本当に大事なことは、言葉にしないでもちゃんと伝わっているから。




8分の長編のエンドロールに、関わった人々の名前と感謝の言葉が流れた。

そこには、庭園作りに力を貸してくれた同僚のオマルの名前があった。

「あなたのやった仕事はこんなに美しい」そう告げて、それを彼に見せた。


発表が終わって、花を枯らしてしまったら元も子もない。

この日が終わりではない。新たな始まりである。

彼と一緒に学校を訪れ、新たな計画を考えた。

やはりこれはピークなどではなくて、頂上へと登り続ける道の途中なんだな。





システムは政治に任せる。

人と人の関わりの中でしか生まれないシゴト。

オレはそれをやるだけだ。


さぁ次は何を始めようか、、