20111007

9時、6時







9月30日(金)



それは、唐突にやってきた。






ちょっと立ち止まって考えていれば、とっくに気づいてたことなんだろうけど。


“ INTERCAMBIO DE EXPERIENCIAS PEDAGÓGICAS DISTRITO SAN JUAN 2011 ”


今年一年の実践を交流する、発表会が開催された。

いわゆる、というか活動の集大成、もしくはピーク、だ。



でもぜんぜん唐突ではなく、いいイミで言えば分業(またの名は、お互い干渉せずに自由に)しながらそれぞれの学校での活動を積み重ね、今日のこの日を迎えたわけで。

致命的なコミュニケーション不足により、JICAの行事と重なってしまっていたこともあって、各校を巡回しそれぞれの実践を地道に深めること。それが当日出席できない代わりに、自分のできることだと考えていた。

そう思って迎えた出発前日での、出張の延期決定。



これを幸運と呼ぶべきかは迷うところだが、出足の鈍い(計画性がない分直前にめっちゃがんばる)お国柄。最後の1週間で関われる意味は非常に大きい。




そして終わった後、

「やっぱりこれに参加しないってのは、ありえんだろー」

という当たり前の結論にいたったわけです。



この日は全校休校になり、100km奥のコムニダ(集落)からも先生方が大挙して訪れた。その数は100名を越えていた。これに市長、議員、教育長を始め、サンタクルスからの来賓も迎え入れ、研修会は盛大に開催された。


まずは、 

貴重な経験の交流の場であること。

そして、

去年はなかった。でも、今年はやった。開催の意義は大きい。




発表者は8名。
  

○サグラド・コラソン3(午前)小学校 5年環境教育、ロセ・マリー先生
○エンコナーダ小学校        6年理科、ファウスト先生
○サグラド・コラソン2(午後)小学校 3年学級経営、オブドゥリア先生
○アヤクチョ小学校         4年算数、マルセロ先生
○サンファン学園          全校での取り組み、ユキコ・ホンダ先生
○サグラド・コラソン3(午前)小学校 3年学級経営、ジョエリーネ先生
○サグラド・コラソン2(午後)小学校 2年算数、ソレダ先生
○サグラド・コラソン2(午後)小学校 6年学級経営、ヘンリー先生



内容は高尚な研究発表というものではなく実践報告いった装いで、これならやってみよう、明日からできるかも、といったヒントが随所に散りばめられていた。

1学級を除いて全ての活動に関わってきたので、見えていない部分が分かったというところもある。先生方が日常的にがんばってきたことがよく伝わってきた。


今年の初めに、昨年の授業観察からの提言というかたちで「こういう風になったらいいな」ということを研修会の中で伝えていたのだが、よくよく考えてみると、結構それが生かされているように感じた。


学級経営の発表をした3クラスは特に重点的に関わってきたので言うまでもないが、

例えば、「学習のルールや共同生活のきまりを浸透させること」や、「研究授業は一人の先生のものではなく、学年の提案授業として共同して取り組むこと」等々。


話を聞いていないようでいて、ちゃんと聞いていたということだろうか。。

少しは役に立ってきたのかなと感じる一方で、よくよく考えると僕の言っていたことは、日本の教育に即しているわけで、PROMECA(JICAの協力の元行われた「学校教育の質改善プロジェクト」)で大事にされてきたことと重なる。


そういった意味で、これはPROMECAの成果と言えるのではないだろうか。


実際、それは僕が着任した昨年の7月に既に終了していたのだが、現在もその経験は生きている。


授業の中身や指導計画等々、まだまだ課題は山積みだが、それでも一歩ずつ確実に歩を進めている。


何ていうか自分が主体でないということが妙に嬉しかった。

先生方の口を通して、自分の伝えたいことは語られていたからだ。


こういうことが、先生たちの力で運営され続けて欲しいと心から願う。








日本の教師のすごいところは、豊富な教材をや最新の教具を使いこなすことではなく、学び続ける、さらに良い教育を求め続ける向上心にある。

教師自身が学び続ける。それが日本の教育の質を支えている。

ぶっちゃけ研究授業を引き受けたり、外の研究会に属しても給料は変わらない。

すべては自分自身の向上のため。すなわち、子どもたちに返すためだ。

そういった教師の経験が蓄積され、こうして国際協力の場で他国へ輸出されているわけである。

日本の教育がすべていいとは思わない。いろいろと弊害はある。

しかし、”学び続ける”という教師の魂を伝えること、それが日本の教育を伝える最良の方法であり、一教師にできるすべてだと考えている。






休憩時間、エンパナーダやジュースを口にしながら談笑する先生たち。





奥に展示してある教材の周りに先生方が集まり、和やかに話をしている。

教材研究というかたさはない。世間話も交えながらの交流。

日系人もボリビア人も、私立も公立もない。

何だか、すごくいい雰囲気だった。




やっぱり日本もボリビアも変わらないんだなぁ。先生たちは学ぶ魂をもっている。




会の終了後、会場にはゴミは落ちていなかった。

これは奇跡的なことで、研修会の後には例え少人数でもかなり無残な状態になるのが常だから、正直驚いた。

会場の外にもゴミは落ちていなかった。みんなゴミ箱を利用していた。


「ボリビア人が捨てる、日系人が拾う」なんて言う人もいるけど、実際は人による。

拾うボリビア人もいれば、捨てる日系人もいる。

要は意識の問題だ。


まず、先生たちが見本を見せよう!それがいくつかの発表を貫いていたテーマであった。

先生方で会場を片付け、清掃を行う。


子どもたちもそれに応える。美しい光景だと思った。






発表には表れないけど、こういうことこそが尊いのだと思う。



少しずつだが、確実に何かが変わり始めている。

自分はその流れの中にひと時、その身を置いただけだ。

やっぱり自分は助けにきたのだと、改めて感じる。



オブドゥリア先生が休憩時間に流そうと、スライドを作ってきた。

それは、今年の初めからの奇跡をまとめたもので、僕の撮った大量の写真を使っていた。

すなわち自分の関わってきた活動そのものであった。


「昨日の夜の9時から、朝の6時まで」


初めて作ったので時間がかかったといいながら笑っていたが、目は少しうるんでいた。

これだけでかい発表会の前夜に、、でも自分も教師だからそういう気持ちはよく分かる。



こういう時に僕は泣いてもいいのかもしれない。





発表の中で、クラスを代表して来ていたサラティエルくんとメルちゃんが

こっちに向かって"Gracias a Prof.Yotaro"と言ってくれた。

でもそれは言葉にしなくてもいい。言わなくてもちゃんと分かっているから。

本当に大事なことは、言葉にしないでもちゃんと伝わっているから。




8分の長編のエンドロールに、関わった人々の名前と感謝の言葉が流れた。

そこには、庭園作りに力を貸してくれた同僚のオマルの名前があった。

「あなたのやった仕事はこんなに美しい」そう告げて、それを彼に見せた。


発表が終わって、花を枯らしてしまったら元も子もない。

この日が終わりではない。新たな始まりである。

彼と一緒に学校を訪れ、新たな計画を考えた。

やはりこれはピークなどではなくて、頂上へと登り続ける道の途中なんだな。





システムは政治に任せる。

人と人の関わりの中でしか生まれないシゴト。

オレはそれをやるだけだ。


さぁ次は何を始めようか、、




2 件のコメント:

  1. ytr風吹いて来たんちゃう!?イイネ!!!
    地球の裏側から刺激をもらって明日もまた頑張れます。

    返信削除
  2. ほんまですかねー♪こっちも地球の裏側から届く言葉にたくさん栄養もらってます。やっぱり現場でカラダ張ってる人間の言葉は重い、、!

    2人の時はマジメな話、3人集まれば下世話な話、おいしいもつ鍋、又はホルモン連れてってくださいcon Datu♪

    返信削除