20110929

ポコペロブエノ







”ポコペロブエノ”


この何かの呪文のように聞こえる短いフレーズは、

ボクのカラダとココロに刺さっていたトゲの何本かを一瞬で消し去るような、そんな力を持っていた。


"Poco pero bueno"


「少しだけど、いい」



夕陽が空の淵を染めて、次の仕事場に向けて駆け足でさよならを告げる時間。

遅れてやってきたセニョールが、僕にかけた一言。

砂埃にまみれた空に、やけに赤い夕陽が不自然に丸く浮かんでいた。

何だか、自分がどこかの国の羊飼いになったような気分で、一日に感謝しゆっくりと「ありがとう」と言いたくなった。





造園ブームは爆発的な広がりを見せ、ついに学校の敷地外にも及んでいた。

午前の部の3年生達が手がけ始めた"jardin"(庭園、というより花壇)作り。

午後にも最集合し、少しずつ土地を開墾(この言葉が相応しい)してきた。

先生や子供はもちろんだが、お父さん、お母さん、お姉ちゃん、その辺のおじさんまでも、みんな非常に協力的である。

それぞれが道具だの花だのを家から持ち寄って、汗を流している。男子はけっこう早い段階で興味を、ビー玉や地から湧いてくるアリの大群、水路の探検に移していたが、不公平を口にするものは少ない。みんな好きでやっていることがよく伝わってくる。




魔法使いのセニョールはみんなが帰った後にやってきた。

僕は最後に様子を見ようと立ち寄った。

すると自転車に、大きなシャベルと鉄のクマデを括り付けてさっそうと現れた。

「もう今日はみんな帰ったよ」

「あぁそうか。仕事が終わってからきたから遅くなっちまったよ」

といいながら慣れた手つきで結び目をほどき、自転車から道具を自由にする。

すごいな。仕事終わりに、しかも一人で土地を耕しにきたのか。。

この頃、手を抜いてないといいつつも、総会の準備に向けて心ここに非ずな日々が続いていたところ。素直な自戒の意味を込めて、、

「少ししか手伝ってあげられなくて、申し訳なく思っている」


”ポコ・ペロ・ブエノ”


「少ないかもしれないけど、いいシゴトをしているよ」

その言葉を残し、シャベルを担いで颯爽と茂みを抜けていった。



自分では全然ピンとこないのだけど、

来る前に思い描いていた”こうあるべき”や、”自分が去った後にも残る支援”とはきっと全然違うことには気づいているのだけど、

赤く丸い夕陽が「明日もその調子でがんばれよー」と去り際に言っているようで、きっとこれでいいんだな、と思った。


逃げる意味ではなく、そういう自分にしかできない、カタチにならない何かを遺していくこともありなんだと思った。


魔法使いは自らの手で黙々と、最前線へと突入していた。

しばらく一緒に作業していると、コシネラ(調理師)のセニョーラがチチャを運んできてくれた。

いつもは甘ったるく感じるそれが、この日の喉には心地よかった。

彼女は半年前に、僕らの関わっていた活動を「エルモーソ(美しい)」と言った。



シビアな目で見たら、この日のチチャみたいに全然あまいんだろうけど、

そういう”ポコペロブエノ”や”エルモーソ”なことを少しずつ積み上げていくことが、世界を変える一歩になる。

今はそう信じている。

ていうかそれは、ほぼ確信に近い。





今では、写真に写っている奥の金網のところまで、きれい耕されている。

「 作るよりも、維持する方が難しい 」

この庭が、5年後も10年後も変わらずにそこに在ったとしたら、

それはもう、本当にすごいことだと思う。

研究所や橋や体育館や、そういうものを造るよりも、もっとずっと難しく、そしてずっとずっと尊いことだと思う。




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