20110909

200年の鍵







「 その旅の中で、一番心に残っているのはどこ? 」





投げかけたその問いに、彼は笑顔でこう応えた


「 巡った場所よりも、出逢った人の方が心に残ってるんだよね 」


奈良・京都を1週間歩いて旅した、という話を聞いての問いだった





「旅」とはどこに行くか、ではなく

”誰と出逢い、どんな時間を過ごすか”

むしろそれは、ガイドブックに載っているような類の名所巡りや、

予定表通りに進む旅には存在しがたいもの。

大抵は一期一会の場合がほとんどなのだが、

その出逢いが、人生を豊かにするための哲学や閃き、

人生を楽しむためのスパイスを与えてくれることがある。


一人旅のだいご味はそこにある。


もちろんボランティアの立場では、安全管理上計画表を提出し、

その通りの旅程をたどることになるのだが、

その中でも予期せぬ出逢いは隠されているものだ。

予定調和の旅にはない面白さ。




先週末の巡礼の旅の前の道草。

1mのワイン(!?)があると聞いて訪れたワインの谷。

そこで神のワインと人生を楽しむ人々、そして、200歳の鍵に出逢った。

200年間、人々の人生を見守ってきた鍵。

きっと、彼を手にする時はほとんどみんなボラーチョ(よっぱらい)だったに違いないが、

人々の喜びや悲しみを見守ってきた200年。日本はまだ江戸時代。

その頃と比べてると、世の中は劇的に変わり続けているけど、

人生を楽しむための基本原理はきっと変わっていない、そう信じたい。




いつの時代だって、人々はワイン1本で打ち解けあい、

幸せになれる。

ドン・ヘススの言葉を借りれば、

「人の歴史が始まった時には、既にワインがあった」

人の歴史はワインとともにある。




ワインが哲学と共に語られるのは、それだけ歴史のある飲み物だということなのだろう。

人々が集い、ワインが運ばれ、人生を語る。

それはたんにお酒を飲むという行為を越えて、ある種の儀式なのだと感じる。





”誰と出逢い、何と出逢い、そして何を感じるか”


人生も旅になぞらえるなら、きっと豊かに生きるとはそういうことなのだと思う。



そして、かたく閉ざした扉をなんの違和感もなく開けてしまうような

そんな鍵と錠のような。そういう出逢う前から定まっていたような出逢い。

その鍵はその錠にしか合わないし、その錠はその鍵でしか開かない。

200年経ったって、変わらない。

人生というものはあるいは、互いの鍵を求める旅とも言えるだろう。


自分は、きっともう出逢っているのだろう。

でも、その答えは200年後に確かめることにしたい。






行きの空港でばったり逢った空手家yazuru。

旅のきっかけはそんな偶然から始まる。

一人旅とは、厳密に言えば決して”独り”では完結し得ないもの。

様々な出逢いや、人々の優しさにふれながら、少しずつ紡がれていくもの。

やっぱり、出逢いに感謝したい。






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