20110917

真っ当な休日





9月11日(日)


朝、目を覚ますとまだ8時を少し回ったところだった。

昨日は日系の友達の結婚式で、ビールとウイスキーをしこたま呑んだ。
帰ってきてからラーメン風ソーメンを食べて、そのまま就寝。

深酒した日に限って、意外にはっきりと目が覚める。
まだ少しアタマにアルコールが回っているようだ。

鳥の鳴き声が聞こえる。今日は天気が良さそうだ。


もったいないので二度寝する。



10時。

表に出て顔を洗い、買い物にでかける。

日差しが強い。でも、そんなにいやな感じがしない。

冷蔵庫無し生活が2ヶ月。「なんか冷たい物のみたいなー」って時が一番困る。
食材はすぐに使い切れる量を買ってきて、即消費する。いつも必要なものを必要なだけ。

商店の中はクーラーが効いていて、ひんやりとしている。テレビから流れてくるNHK
日本のカリスマ編集長とやらが、トレンドだのファッションだのについて語っていた。

「ブレスレッドの重ねづけがトレンドで、緩めのはアウトオブトレンド」

「ミラノの男たちの着こなしを参考にしたモダンディーを提唱したい」

日本人の言葉って、カタカナバッカダナアマジデ

彼は鼻毛が出るのが嫌で、永久脱毛しているらしい。それにしても、どうやって鼻の中の毛を永脱するのだろうか。ていうかむしろ鼻毛を誰か(おそらく医者)に脱毛されているその瞬間こそ、最高にかっこワルいと思うのだが。。

そこまで気にしなきゃいけない社会や生き方が、幸せなのかはよく分からない。


ライターのガスが切れたので、新しいライターを買う。ライターはBICに限る。前に買ったもっと安いやつは、一発で壊れた。赤いライター。これぞライターって感じで、見る度にほれぼれする。


帰り道、もう既に空気が熱い。今日は暑くなるな。




野菜先生が育てているトマトが徐々に赤く色づき始めている。

もうすぐ食べごろか。いや、もう少し待って、パスタにしよう。




11時。

たまりにたまった洗濯物を処理することにする。

大家さんからは、土曜の午後と日曜だけ洗濯機を借りられることになっている。
二槽式であるが、特に脱水はありがたい。

ここ1ヶ月、週末は飛び回っていたので、ちょいちょい手洗い手絞りしながらつないできたが、やっとめぐってきた洗濯チャーンス!

巡礼をくぐり抜けたリュックも、埃まみれのスニーカーも、昨日久々に着たら大きな染みがついていたジャケットも。全部まとめて洗ってしまおう!



お隣の野菜先生が、カランボ(×コ)ラン(スターフルーツ)の実をジュースにしてくれた。

星の恵み50%ジュース。酸味は少ないがさわやかな甘さ、に葡萄の皮のようなほのかな渋味。この味は飲んだことがない。うまい。南国フルーツ最高!




11時半。

順調に洗濯、のはずが序盤にして突然の停電。。
いつものように待ってみるが、一向に戻る気配がない。

結局手洗い、手すすぎ、手脱水。
調子に乗って洗濯物全部ぶっこんだことを、少し後悔し始める。

でも知っている。天気が味方してくれれば、手しぼりの洗濯物もちゃんとすぐに乾くことを。手洗いをしていると、Tシャツの汚れやジーパンの色落ち具合などよく分かる。

愛着のあるTシャツにプリントされたボブ・マーリーに少しずつ味が出てきているのを眺める度に、自分がすごく真っ当な生活をしているような気になる。

東京では、指一本で済んでいた洗濯。でも今では、一番時間のかかるシゴトになっている。

汚れを落とし、すすいで、しぼって、干すまで。まるで神聖な儀式を執り行うように、丁寧に一つ一つの作業を行う。陽光に揺れる色とりどりの洗濯物。今日は天気がちゃんと味方してくれている。




12時半。

またまたアクシデント。もう少しで終わるところで、さらに洗濯物発見。とりあえず水につけたところで、またまたピンチ!水が止まる。まじか。。。

洗いかけの洗濯物。リュック。スニーカー。。。

洗えない、すすげない。これは困った。洗濯機はなくてもいけるけど、水がないと無理だ。

手も洗えない。料理もできない。トイレも使えない。




、、、どうしよう。


とりあえず休憩。景色すべてを溶かすような真夏の日差し。でも日陰は涼しい。

子猫が昼寝をしている。

寝顔を眺めていると、時々夢を見ているのか寝返りをうったり、寝ぼけたように手足を動かしている。だいぶ大きくなってきた。寝る子は育つというからな。

猫という生き物は本当によく寝ている。“寝子”だ。語源は“寝る”から来ているに違いない。


子猫があくびをする。




13時。

電気復活、したらしい。遅いっちゅうねん。




13時半。

何気に水復活。これで続きができる!

これでガスより電気より、水が大切だということがはっきりした。


 ガス < 電気 < 水


人間、水がないのが一番こまる。
  



14時。

洗濯終了。気づけば3時間近くかかっている。

最初に干した洗濯物は、もう既にほとんど乾いていた。


パスタをゆでて、昨日の披露宴の残りものをアレンジして和風パスタを作る。うまい。日本人はやはりしょう油か。さすがに疲れたので、洗い物はせずにそのまま昼寝をする。




16時。

ゆっくりと目を覚ます。日差しが少し柔らかくなっていた。

外に出てゆっくり一服。

トマトの色が朝よりも濃くなっている。太陽の光を一日浴びるとこんなに色づくなんて。


育つものが身近にあるくらしは、いい。



大家さんの飼い犬たちがやってきた。ジョンとラッキー。
以前けんかでぼろ負けしたラッキーの耳は、痛々しい傷を残しながらもちゃんと真っ直ぐに立っていた。動物は自分で治す力を持っているのだな。


今日も、今日の日の余韻を残しながら日が沈んでいく。


もうすぐ虫の声が響いてくるだろう。

ここは東京で聞いていたような音は聞こえないが、自然の音がそれはまた賑やかに聞こえてくる。

鶏の朝の挨拶、小鳥のさえずり、風が木々を揺らす音、犬同士が吠えあう声、虫の三重奏。


「自分がすごく真っ当な生活をしているような気になる」

最近読んだ小説に、こんな一説があった。



真っ当な休日、真っ当な食事、真っ当な生き方。



テレビがなくても、冷蔵庫がなくても、洗濯機がなくても、インターネットが使えなくても、冷房がなくても、車もバイクも自転車もなくても、ガスが切れて火がつかなくても、トイレに便座がなくても、アイスコーヒーが飲めなくても、電気がなくても、さすがに水がとまったらちょっときついけど、人は生きていける。




トマトの色の変化に気付くこと

太陽の熱さを肌で感じること

子猫の寝顔を眺めていること

水の冷たさを感じながら服を洗うこと

ジョンとラッキーの顔をゆっくりなでてやること

一日の終わりに夕日を見送ること



そういうことをしていると今、自分がすごく「真っ当な生き方」をしているような、そんな気になる。

自然を感じることは、都会よりは田舎の方が容易いのだろうけど、そういう視点を常に忘れないでいたい。僕にとっての故郷は、やっぱりトウキョウだから。

平凡な住宅地に暮らしながら、真っ当に生きていく。みたいな。




さて、たまった宿題を片付けるとするか。。


真っ当な一日の終わり。物音がして外に出てみたら巨大ネズミの死骸が横たわっていた。驚きのサイズだ。うちの雄ネコぐらいのサイズがある。そして、まさに断末魔の表情と姿勢。この世のすべてを呪っているような凄惨な最期。おそらくラッキーのやつが一撃を加えたのであろう。腹がかなりグロいことになっていた。

そういうことも、真っ当なことの一つとして受け止められるようになっている。


本を読む。電気を消す。おやすみなさい。

あの躯はどうやって処理すべきか。どうか夢に出てきませんように、、!







、、、そんなことを書き留めてから、パソコンをろくに開く間もなく、一週間が過ぎ去った。

それはそれで、真っ当な平日の過ごし方と言えるだろうか。

そしてまた、安息日。また、真っ当な休日を過ごすとしようか。


明日は、午前、午後と子供たちとの約束が入っている。

真っ当な休日を過ごせそうなことは、どうやらマチガイない。 


完熟トマトは、休みが明けて月曜の昼にパスタでいただきました、とさ。(respeto "momoの空")

6 件のコメント:

  1. 途中で文字が変わっているあたりが書き留めていたんだなぁ、まさに日記。まっとうな生活か。わたしはなっとうな生活。最近、毎日食べています。なんのこっちゃ。シンプルなものの中に幸せが溢れている。見つける喜び、見つけた喜び、やね。

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  2. つい先日読んだ文章がね、ytr君の言葉とリンクする感じです
    良かったら読んでみて☆↓
    http://www012.upp.so-net.ne.jp/renjitalk/leo/zenhabits/scarce.html

    とさ♪

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  3. 日本で真っ当な生活を送るために俺は日々奮闘してます。
    真っ当な人間になれるのはいつの日やら…

    今日ytrに似た人電車で見たでー
    それでytrのこと、だつのこと、
    サンフアンのこと思い出した。

    まだ帰国して半年ちょいやけど、
    なんかスゲー想い出深い日々になってる。

    真っ当な人間になれたら
    サンフアン行こうかな。


    その時は3人で行けたらおもろいやろうなー
    とか考えながら...

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  4. keiko!!

    シンプルな中に、というか選択股の限られた生活という感じでしょうか。でもそれは全然不安でもないし、そんなに不便でも不安でもない。何かを失うということは怖がることではないんだね。その隙間にすっぽりと新しい何か暖かいものが流れ込んでくるような感覚です。

    なっとうくのいくなっとうは、サンファンでも中々お目にかかれません。なまじ日本がチラつくとよくないね、、スクレの町にはどんな幸せが隠れていますかー?

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  5. momoさん!!

    ”減らす喜び”ですか、、確かに。。

    選択することを怖れているのではなく、怖れているのは失敗すること。
    減らすことを怖れているのではなく、怖れているのは何かを失うこと。

    例えば日本社会には、そういう気質が強いと思います。ちょっと神経質なくらいに。

    それでも日本が好きですが、自分も考えさせられるところが大きい。自分や他人への寛容さは我々の学ぶべきところなのでしょうね。

    まちがうことを怖れるな。失うことを怖れるな。

    生きることの喜びはもっとシンプルなところにあるのでしょうねー^

    ですが、、わけありかぼちゃチーズバー(なんじゃそりゃ)、渋皮栗入栗きんとんロール(舌噛みそう)なんてややこしいものにも幸せ感じちゃったり、、それも人間っぽくてよろしい。それにしても、渋皮栗納豆て、、どんなだ!?

    幸せな夢に包まれて一日を終えられますようお祈りしております、とさ。

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  6. isaoくん!!

    あなたはオレが出逢ってきた多くの人たちの中でも、至極まっとうなニンゲンだと思っています。

    そのニンゲンっぽさを隠さないところが最大の魅力なんでしょうねーだからだと思うけど、この町の人たちは今でもisaoのことをよく覚えている。チョレロ伝説は健在、、というのは冗談で、、

    「最近来ないけど、どうしてんの?」ぐらいのテンションでよく聞かれる。連絡がないと反ギレっぽくなるやつもいる。

    何ていうか、そういうカタチにならないけどはっきりした何かは今でも砂埃と野焼きの煙にまみれた大地に根付いてる。

    きっと、ぜんぜんピンとけえへんのやろうけど、きっとそうやって伝わって、広がって、やがてつながっていくのだと思う。

    少なくともこの町では、ISAOは”対象外”ではないってこと。こういう風に遺される決して見えへんけど、そこに在るものを眺めていると、自分たちも励みになるよ。


    いつの日かサンファンを訪れるような時は、必ず声かけてね!いや、必ず訪れないといけないだろうね。そういう場所ですよ。ここは。

    そういう帰る場所を持っているオレたちは幸せもんですよ。まじで。

    そうそう、メッセージくれったってことはオレ対象内?

    「ナカノ、セ~~~フ!!」

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