ある男たちの、夢の話。
「 子供たちに、芝のグランドで、
思いっきりサッカーをさせたい 」
そんな夢を描いた一人の男がいた。
彼は、20年近く前に、この島にサッカークラブを創った男だ。
島の子供たちによるサッカーのW杯、愛ランドリーグの第1回大会が神津島で開かれる。
その開催に合わせて、彼は、立ち上がった。
そもそも人口200人にもみたない、小さな島だ。
彼が昔やっていたポジションは、ゴールキーパー。
練習環境や指導者は、皆無と言ってよかった。
彼は、周りの人間をくどいてまわった。
一緒に夢を語れる仲間を探した。
仕事仲間、子供のいる親御さん、役場、そして漁師。
そして、
彼の情熱に、動かされた人たちがいた。
グランドを作り、ゴールを立て、ネットをはり、子供たちが遊べる環境を作った。
親が、先生が、子供たちを熱心に指導し、子供たちはそれに応えた。
第1回大会に出場。
第2回大会では、優勝。
これは奇跡としか言い表せない。
大島から小笠原まで、大小様々な島々。
子供の数だって、文字通りの桁違い。
まさにジャイアントキリングを成した、青ヶ島のレジェンドたち。
大島から小笠原まで、大小様々な島々。
子供の数だって、文字通りの桁違い。
まさにジャイアントキリングを成した、青ヶ島のレジェンドたち。
「 いつか先生になったらこの島に来て、子供たちにサッカーを教えてくれよ 」
10年前、この島で僕が出会ったのは、そんな熱い男だった。
夕刻になると、どこからともなく原付の音が聞こえてくる。
「 景気良くやろーぜ 」
手にしたレジ袋には、大量の冷えたビール。
「 俺たちは、トモダチだ 」
島に滞在中、ほぼ毎日の日課として、このやりとりは繰り返された。
そして、10年後、縁あって僕はこの島に戻ってくることができた。
そして、彼がもう此処にはいないことを知ることになる。
サッカークラブの子供たちの前で、彼の名前を口にした時の複雑な顔。。
時々、あれは夢だったのかな、とか思う。
夢のような景色の島で暮らした、浮世離れした日々。
全ては夢の中のできごとで、実際はそんなことはなかったのかも。
でも、今でもこの手にある彼の水色の名刺が、
それは夢ではないことを教えてくれる。
それは夢ではないことを教えてくれる。
八丈島のコーチたちと飲んで語らうと、彼らの話が出てくる。
彼の呼びかけがきっかけとなり、八丈の人たちを動かし、
愛ランドリーグに向けた、八丈、三宅、御蔵、青ヶ島の交流試合が実現したそうだ。
「 そういう人たちを大事にしなきゃだめだぞ 」
ほぼ独学で学び、勝てるチームを作り、栄光を手にした。
そんな青ヶ島のレジェンドを語る、八丈のレジェンドたち。
10年前のこと。島から地元に戻ってからのある日、突然電話がかかってきた。
「 来週行くから、試合しようよ 」
まじで???
僕がコーチをしていたチームに、遠征しにくるという。
僕がコーチをしていたチームに、遠征しにくるという。
約束の日に、半信半疑で待っていると、本当にやってきた。
一緒に練習をした。試合をした。そして、去っていった。
後で聞いたら、その都内への遠征費はすべて自腹だったそうだ。
そして、その必要性を役場に説き、
それから、村の予算で八丈の強化試合に参加できることになった。
その時の僕はあまりにも若く、迂闊だったので、
その重みに気づくことができなかった。
その重みに気づくことができなかった。
僕が島に戻って来た時には、チームはコーチ不在の状態だった。
ただ、サッカーが好きだということは伝わってきた。
でも、本当の楽しさは知っていない。真剣にはなれていない。そう感じた。
夢の続きを、見たくはないか。
僕は、その熱意に報いなければならない。
まずは、荒れていたグランドの石を拾い、
遺った意思を拾い集めるところからの第一歩。
遺った意思を拾い集めるところからの第一歩。
今、校庭では、クラブや部活で子供たちが思いっきりサッカーを遊んでいる。
でも、それだけではない。
休み時間、放課後、休みの日も、
小学生も中学生も集まり、サッカーを遊んでいる。
いや、正確に言うならば、
この島では、既に、サッカーが文化として根付いていたのだ。
これは大会でのベスト4よりも、よほど価値があり、輝かしいことだ。
僕がしたのは結局、サッカーのおもしろさを、思い出させただけだったのだろう。
仲間と真剣に競い合ったり、暗くなるまでボールを追いかけたり、
彼らは、彼ら自身の手で、その憧れに触れることができたのだ。
そして何よりも、自分自身が、オトナたちが、それぞれの少年時代を取り戻している。
校庭は、担当の先生方が本当に、雨の日も、風の日も、炎天下も頑張ってくださり、
爽やかな芝が、青々と生え揃っている。
フィールドの半分は、サッカーのやりすぎで芝がはげまくっている。
そういうのを含めて、思っ切り運動させてくださる想いに感謝したい。
フィールドの半分は、サッカーのやりすぎで芝がはげまくっている。
そういうのを含めて、思っ切り運動させてくださる想いに感謝したい。
子供たちは、育ててくれた人たちに敬意をこめてここを
「コクリツ」と、よぶ。
このグランドには、たくさんの人たちの想いがつまっている。
この芝のグランドにかけた、夢。
ドリーム・オブ・フィールド
いつの日か、子供がゼロになるまで、
いや、ゼロになっても、、、その夢は終わらない。
追記。 10月は、僕のトモダチAさんの命日です。
子供たちに還すことが、今は、彼の想いに応えることになると思っている。
そして、先日帰郷したOBが、どうやら遠征メンバーだったらしいことが。
彼は、子供たちの憧れとして、サッカー熱を上げてくれた。
そして、先日帰郷したOBが、どうやら遠征メンバーだったらしいことが。
彼は、子供たちの憧れとして、サッカー熱を上げてくれた。
この島には、ちゃんとサッカーが文化として継承されているんだ。
いつか、海を見ながら、酒を酌み交わす日を心待ちにして。