「 とりっくおあとりーとー! 」
「 二日おくれのハロウィンですー 」
休日の玄関チャイム。
扉を開けるとプチ仮装の子どもたち、と子犬。
いや、
もはや仮装にすらなっていない子もいるし、、
ただの、休みの日にお菓子をもらいに行くだけ、の行事になっているんじゃ、、
階段の途中で待ち伏せして、逆に驚かせてみました。
ここ青ヶ島にも、ハロウィーンの波は押し寄せています。
ところで、この島には、広告がない。
何かを宣伝して売ろうとか、
そういう感じがない。
コマーシャリズムの波も、黒潮の海を越えることはできないのか、
むしろ、マーケットの外になっている、という方が正確か。
お金を使うところが、一つの商店、たばこ屋さん、村営のサウナと
島内に点在する4つの自販機、そして村役場しかないという点も
商売っ気のなさと無縁ではないだろう。
で、商業主義の外で生活するとどうなるかというと、
「あれがない、これがない」
とか、
「あれがあったらなぁ、、」
などとは、あまり思わなくなるから不思議だ。
これが内地だったらきっと、もっと探そうという気になるのだと思う。
もっと安いもの、もっと質のいいもの。
選択肢が多いということは、時に不幸でもあるのだろう。
今日は、いつも良くしてくださっている漁師さんから、
さわらとビンチョウまぐろをいただいた。
夕方には、かんも(さつまいも)も。
島にあるものから選び、生活している。
島でとれたものを分け合い、暮らしている。
それはそんなに立派なことではなく、質素な生活を送っているわけではない。
無いなら無いなりに、豊かに暮らしているということだ。
舶来のイベントや季節感を、無闇に煽ったりしないところが良い。
路傍に目につく白菊の花に、秋の訪れを感じ、
嵐に堪え、それでも佇むマグサの様子に、秋の深まりを感じる。
季節を知らせるのは、商店街の様子でもなければ街角のポスターでもない。
日の短さに、冷たく感じられる風に、新しい草木の彩りに気付いた時に、
移ろう季節を、今という季節を感じる。
自然はカレンダーをめくるように変化していくのではなく、
もっとゆるやかにしなやかに、移ろっていくのでしょう。
妻と二人。そんな話をしています。
2013年も、あと2ヶ月となりました。
自然の美しさとたくましさ、そして人の優しさに触れて生きています。
青ヶ島のブランドとは、そうした島の懐の深さなのでしょう。
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