20151028

ドリーム・オブ・フィールド















ある男たちの、夢の話。












「 子供たちに、芝のグランドで、

    思いっきりサッカーをさせたい 」







そんな夢を描いた一人の男がいた。






彼は、20年近く前に、この島にサッカークラブを創った男だ。


島の子供たちによるサッカーのW杯、愛ランドリーグの第1回大会が神津島で開かれる。


その開催に合わせて、彼は、立ち上がった。


そもそも人口200人にもみたない、小さな島だ。


彼が昔やっていたポジションは、ゴールキーパー。


練習環境や指導者は、皆無と言ってよかった。





彼は、周りの人間をくどいてまわった。


一緒に夢を語れる仲間を探した。


仕事仲間、子供のいる親御さん、役場、そして漁師。


そして、


彼の情熱に、動かされた人たちがいた。


グランドを作り、ゴールを立て、ネットをはり、子供たちが遊べる環境を作った。


親が、先生が、子供たちを熱心に指導し、子供たちはそれに応えた。




第1回大会に出場。


第2回大会では、優勝。


これは奇跡としか言い表せない。


大島から小笠原まで、大小様々な島々。


子供の数だって、文字通りの桁違い。


まさにジャイアントキリングを成した、青ヶ島のレジェンドたち。








「 いつか先生になったらこの島に来て、子供たちにサッカーを教えてくれよ 」




10年前、この島で僕が出会ったのは、そんな熱い男だった。


夕刻になると、どこからともなく原付の音が聞こえてくる。



「 景気良くやろーぜ 」



手にしたレジ袋には、大量の冷えたビール。


「 俺たちは、トモダチだ 」


島に滞在中、ほぼ毎日の日課として、このやりとりは繰り返された。











そして、10年後、縁あって僕はこの島に戻ってくることができた。


そして、彼がもう此処にはいないことを知ることになる。


サッカークラブの子供たちの前で、彼の名前を口にした時の複雑な顔。。







時々、あれは夢だったのかな、とか思う。

夢のような景色の島で暮らした、浮世離れした日々。


全ては夢の中のできごとで、実際はそんなことはなかったのかも。


でも、今でもこの手にある彼の水色の名刺が、


それは夢ではないことを教えてくれる。








八丈島のコーチたちと飲んで語らうと、彼らの話が出てくる。


彼の呼びかけがきっかけとなり、八丈の人たちを動かし、


愛ランドリーグに向けた、八丈、三宅、御蔵、青ヶ島の交流試合が実現したそうだ。


「 そういう人たちを大事にしなきゃだめだぞ 」


ほぼ独学で学び、勝てるチームを作り、栄光を手にした。


そんな青ヶ島のレジェンドを語る、八丈のレジェンドたち。






10年前のこと。島から地元に戻ってからのある日、突然電話がかかってきた。


「 来週行くから、試合しようよ 」


まじで???


僕がコーチをしていたチームに、遠征しにくるという。


約束の日に、半信半疑で待っていると、本当にやってきた。


一緒に練習をした。試合をした。そして、去っていった。


後で聞いたら、その都内への遠征費はすべて自腹だったそうだ。


そして、その必要性を役場に説き、


それから、村の予算で八丈の強化試合に参加できることになった。


その時の僕はあまりにも若く、迂闊だったので、


その重みに気づくことができなかった。







僕が島に戻って来た時には、チームはコーチ不在の状態だった。


ただ、サッカーが好きだということは伝わってきた。


でも、本当の楽しさは知っていない。真剣にはなれていない。そう感じた。


夢の続きを、見たくはないか。


僕は、その熱意に報いなければならない。


まずは、荒れていたグランドの石を拾い、


遺った意思を拾い集めるところからの第一歩。








今、校庭では、クラブや部活で子供たちが思いっきりサッカーを遊んでいる。


でも、それだけではない。


休み時間、放課後、休みの日も、


小学生も中学生も集まり、サッカーを遊んでいる。







いや、正確に言うならば、



この島では、既に、サッカーが文化として根付いていたのだ。


これは大会でのベスト4よりも、よほど価値があり、輝かしいことだ。


僕がしたのは結局、サッカーのおもしろさを、思い出させただけだったのだろう。


仲間と真剣に競い合ったり、暗くなるまでボールを追いかけたり、


彼らは、彼ら自身の手で、その憧れに触れることができたのだ。


そして何よりも、自分自身が、オトナたちが、それぞれの少年時代を取り戻している。






校庭は、担当の先生方が本当に、雨の日も、風の日も、炎天下も頑張ってくださり、


爽やかな芝が、青々と生え揃っている。


フィールドの半分は、サッカーのやりすぎで芝がはげまくっている。


そういうのを含めて、思っ切り運動させてくださる想いに感謝したい。




子供たちは、育ててくれた人たちに敬意をこめてここを


「コクリツ」と、よぶ。




このグランドには、たくさんの人たちの想いがつまっている。


この芝のグランドにかけた、夢。



ドリーム・オブ・フィールド



いつの日か、子供がゼロになるまで、


いや、ゼロになっても、、、その夢は終わらない。















追記。 10月は、僕のトモダチAさんの命日です。


子供たちに還すことが、今は、彼の想いに応えることになると思っている。


そして、先日帰郷したOBが、どうやら遠征メンバーだったらしいことが。


彼は、子供たちの憧れとして、サッカー熱を上げてくれた。


この島には、ちゃんとサッカーが文化として継承されているんだ。


いつか、海を見ながら、酒を酌み交わす日を心待ちにして。








20150831

カチューチンの思い出







時の流れは止まることはなく、誰にも平等に。



日の傾く速さが、夕日に染まる海が、

映し出される桜の葉のシルエットが、

今年の夏の終わりを告げています。



夏の名残を惜しむように、浜遊ぶもよし。

残りの課題に追われ、ラストスパートするもよし。

始業のベルは、誰しも平等に、時に無慈悲に。

今年もいい夏でした。





死ぬまでに一度は訪れたい絶景 in the world

ということで、日本人に負けないくらい外国籍の方々が多く参られます。

と、いっても島に入る足がないので数的には少ないのですが、

先日は、オーストラリアより10名以上の団体が訪れました。

たいこつながりです。

宵の口の池の沢、フリースタイルのドラミング&ダンシング、

そして、外輪山の淵から昇る十三夜の月。

完全な月でないところが、いっそう美しい。

島唄、島踊り、島酒。

我が輪になり、大きな和へ。なつかしい感じ。

飲んで唄って踊っている時に、諍う人はいない。

いろいろイロンはあっても、これはpeaceです。完全な。



いろいろゲストの方々としゃべっていると、

「旅の中で新しいグルーブが生まれた」

「仕事以外の時間を大切に、人生を楽しまなきゃ」

「音楽はボーダーを越える」

などなど。感情も感動もストレートに表現してくれます。



「ユーの英語は、スペイン語っぽいなまりがあるね」


これは、、何だか嬉しかったです。

僕の英語レベルは大学入試程度なので、あまり込み入った話はできませんが、

でも、異言語の人とコミュニケーションを図ることについては

経験があるというか、免疫があるというか。

上手に話せなくても、ちょっとぐらいなまっていても、伝えようとすればいい。

中高レベルの英語で、十分なんじゃないかと思います。

それより大事なのは、


伝えるスキルではなく、伝える内容の方。

真に国際的な人間は、自国の文化や歴史を知り

かつ誇りをもっているものです。

伝えるべき内容、伝えたいという気持ちが持ち得ているかが重要なのです。






もうずいぶん前のことだと思っていたけど、ふいに思い出す時があります。


昼間の熱気を冷ます夕暮れの風に、

人気のない土の道を踏みしめている音に、

夕景を眺め深く息をしている間に、

風に揺られたシャッターのガタガタ音に、


決して戻らぬ時の流れを越えて、一瞬。空間も飛び越えて、ほんの一瞬だけ。

その場に立ち、目の前で、今にもその時を迎えているような、

そんな感覚に陥ることがあります。

決して戻ることはないのだけど、それは鮮やかに。


この島での暮らしも、そういう風になっていくのだろうか。


何気ない日常ほど鮮やかに。






今日は天気がよかったので、尾山展望公園から東台所神社を通って大凸部まで。

尾根づたいを歩いてみました。

これについては、また時間を割いて書きたいと思っています。

青ヶ島の神社やばいすこいです。



夏の終わりの風。



最近、任期という感覚が非常にしっくりときています。

島での生活は、どんどん居心地がよくなってきている。

仕事もどんどんやりやすくなっている。

だからこそ、今できることに、今やるべきことにベストをつくさなければならない。



もっと早く起きてれば、、、海に行っておけば、、、

百合の花を撮っておけば、、、ビール冷やしておけば、、、





写真は、任期終了間近の日曜日。

あまり通ったことがない地区の路地を入ってみた時のこと。

よく行ってた8年生のクラスの子が、お母さんと洗濯をしていました。

学校ではあまり笑顔を見せることがなかった子です。

話しかけると、はにかみながら答えてくれました。

学校での顔と家の顔は違うんだな。

そういうところももっと見て、かかわっていけばよかった。

そう思った日曜日の昼下がり。




できることは、その時、期を逃さずに。

天気のよい日曜には布団を干し、洗濯を。





カチューチンは犬の名前です。

「カチューチンの写真をちょうだい」って言うから

「何それっ?」のラリーを繰り返した後、

愛犬がもう年だから、記念に欲しいとのこと。

「一緒に写っているはずだからくれっ」とジョセリン(5年生)

今はもうきっと、あのカチュー犬は天に召されてしまっているのかな。。





その時に、あの写真が残っていればいいな。

カチューチンの思い出。

それは、時間も空間も越えて、生き続けるのでしょう。


そして、思い出を大切にするということは同時に、

今を大切にするということ。隣にいる大切な人に夕日の美しさを伝えるということ。

いや、ただ一緒に眺めるということかな。











20150728

隣りの楽園とディストピア









" The grass of your neighbor's is always greener than yours "
( 隣りの芝生は青い )
夏休みの前半、ちょっとだけ出島していました。
内地は暑いですね、、ニュースでは見ていましたが、
ホームで電車を待っているだけなのに、汗が止まりません。
かなりしんどいですが、それは僕の知っていた
「東京の夏」でした。
夜になっても暑い感じとかが、自転車をこぎながら感じる生ぬるい風とかが、
けして心地よくはないのだけれど、
それが、非常に夏らしいです。
八丈島で、協力隊のOB会(という名目で飲む会)がありました。
人口8000を切ったとはいえ、さすが八丈島。
初任校時代の同期、教育委員会、役場の職員から福祉関係、おいしいピザ屋さんまで。
幅広く、「えっ協力隊行ってたんすか?」の出遭いがあります。
同期にいたっては、初任者研修でキャンプファイイヤーとかしてたはずなのに、
10年研修で初めてそれが判りました。隠れJOCVは意外と多いのかもしれません。
そして、大学の先輩後輩並みに打ち解けられるのもいいし、家族、友人、通りすがりの人、
垣根なく楽しめるのがいい。非常に任地に近い感覚です。
さて、そこで語られていた言葉ですが、
「 夜になると、ちゃんとすずしくなるのがいい 」
昼間は、赤道直下の焼けるような日差しがありながらも、
夜になると涼しい風が吹き始める。
家族が友人が家の前に集う、っていうかただ単にぼんやりとすずんでいる。
Buena noche! と声をかけたり、世間話をしたり。
確かに、そんな景色がサンファンにはありました。
不思議なことに、それはどこの任地でも似たようなものだったらしいです。
青ヶ島にも、すずしい風が吹きます。
帰ったその日に、早速サッカーの練習がありました。
自分のやるべきことはもう成した(サッカー関連だけですが)と思える光景が、ありました。
10年前の約束は、果たせたんじゃないか、
というか、サッカーの魅力がそうさせるのでしょう。
お昼は流しそうめんパーティーに呼ばれました。
ZBさんとMさんが伐採してきた立派な竹をくり抜き、そうめん、冷や麦、そばが流れます。
子どもたちにとっては食べ放・飲み放の楽しい時間です。


流し過ぎてだんだん楽しくなくなってくるのもまた、いとおかしです。

午後は自主的にサッカーを遊びます。
憧れの先輩が島に帰って来て、より一層サッカー熱が高まっているようです。
暗くなるまでボールを追いかける感じ。
自分の子どもの頃と同じ。サンファンの子どもたちと同じ。
そして、それは世界中きっと同じ。
東京の夏は、そこで暮らす人たちにとっては、
もはや末期のディストピア的な環境であるかもしれない。
殺人的な暑さ、ゲリラ豪雨、スモッグ、熱帯夜、、
でも、それすら久々に帰郷する者にとっては、やや感傷的に夏を感じさせるファクターとなる。
それは、南米の真夏のクリスマスに感じる違和感とは対照的な、これじゃなきゃ感。
「夏らしい、夏」だ。
もちろん、都市に戻れば、島の生活を感傷的に振り返ることになるのは明白でしょう。
ユートピアは大抵、隣りの庭にあるのだから。
青ヶ島の碧魅かれて、旅人が訪れる。死ぬまでに一度は訪れたい島。
都会から見れば、青ヶ島こそ失われた楽園なのは間違いない。
不便だと思うことはたまにあるけど、不幸や不運を感じることはない。


たまに、地元で友だちに会ったり、懐かしいラーメンを食べたり、ジュンク堂で立ち読みしたり


、、、したくなる時もあるけど、
ここは、都会にも他の島にもない、ここだけにしかないものがちゃんと残っているから。
協力隊時代に感じていた人生にとって大切なものを、シンプルに数えることができる。

隣りの八丈島には「楽園」という名のピザ屋さんがあります。


都会の味と、世界とつながる扉がそこにはあります。


いつもお世話になっています! 人生を楽しく、美しく、生きよう。

















暑中お見舞い申し上げます。

まだまだ暑い日が続きますね。

お体に気を付けて、お過ごしください。

また再開できる日を心待ちにしています。








教室に戻ってきたら、ひまわりが自分の背丈を越えそうなくらい伸びていました。


あまり手をかけ過ぎない方がよくのびるのかな。


または、よそん家の子は育つのが早いか。

20150624

夏至の花







22日は、夏至だったようです。


通りで日が長くなっていた訳です。


海昇海落なので、ずいぶんと広い角度で空を駆けているのが分かります。


300度位あるようにも感じます。



給食でたこ飯がでました。夏至に因んだ三重県の郷土料理らしいです。


稲がたこのように(8本足で)しっかり根付くようにとのことですが、


たこの足って、けっこうふんばり効いてないんじゃないでしょうか。





梅雨の切れ間に、仲間が還ってきました。


いや、彼が太陽を運んできてくれたというべきでしょうか。


この島では、生と死はとても身近にあります。




輝く生は、時に暗い影をかくす。


死があるからこそ、生がより色鮮やかに。


霧の季節は、青ヶ島の碧を育みます。


2週間もすれば、また新しい草花が芽吹いている。


自然は立ち止まらずに、移ろい続けます。


親友から嬉しい知らせが届きました。


ふっとい志をもって、強く優しく生を全うしてほしいです。


他にも、嬉しい便りが届くのですが、つい返事を返しそびれて、


気づいたらもうすぐ7月。今頃は期末テストでしょうか。


きみなら大丈夫。昔から、頑張る力があったから。





さて青ヶ島は、もうすぐ、百合の季節です。





そして、プール開き。


夏休みまで、何回入れるでしょうか。



「 おいしいな ガツンとみかん 夏休み 」



子どもの感性が光ります。


夏はもうすぐそこです。






20150608

6月7日と十力の金剛石







6月7日は、



「いろいろなことを、ちゃんとしなきゃな」と、一年で一番想う日だ。


親しい人、懐かしい人、疎遠にしている人、ずっとずっと疎遠にしていた人、


旧知を温め、今の自分の立ち位置を確かめる。


さびついていたスペイン語脳にも油をさし、


自分が大事にしていたものを思い出しながら、ほこりを払っていく。


母や父への感謝。


そして、己の無精さに嫌気がさすも、それでも温かい人のつながりに



今日も背中を支えられる。



ちゃんと返事を書こう。ちゃんとつながっていこう。


と、心底思う。










今朝も目を覚ますと窓を雨粒がたたいていた。


最近、朝方はずっとこうだ。ずっと梅雨っぽい。


サッカーの練習に体育館へ。



この1年間で、子どもたちは本当にうまくなった。


限られたメンバー、限られた環境の中で、キセキ的に上達している。


だから、こっちも欲が出てきて、勝つための練習を始めたりしてしまっている。


そして、サッカー熱が高まるにつれて、何だかチームとしてのまとまりが、、


温度差といってもいいだろう。


これはよろしくない。サッカーを楽しむことを忘れていないか。


がっつり勝つための練習を始めてる自分、「もっとちゃんとしよう」




サッカーは「あそぶ」ものでしょ。ちゃんとあそぼう。




僕たちが取り戻す「栄光」とは、守るべき「誇り」とは。


自分がここでやりたかったことは。友の意志を継ぐことだ。


伊豆諸島のW杯、アイランドリーグまであと、2ヶ月を切っている。






さて午後、村を歩く。



給食で使えそうな桑の実を探すが、どれも熟しきれていない。


ガクアジサイの花がとてもきれいだ。


一方で、一時隆盛を極めたドクダミの勢いに陰りが見られる。


ゆっくり歩くと自然の変化がよく分かる。


1〜2週間で装いか変わる。ちょっとシゴト忙しいな〜が続くと、


もう同じ景色はやって来ない。ちゃんと焼き付けておかないと。


神子の浦からの眺めは、大洋を感じさせる。


くずれかけた崖の岩肌には、アジサイの白い花弁が美しい。


Tさんがいつものようにマイ鎌をもって、草むらから現れた。


「かんも」をやると、土中に埋めてあった芋をくれた。


枝豆のようなものが地面から伸びている。大根の種はこうやって取るのか。


散歩から戻ると2時間近く経っていた。でもあんまり疲れはない。


ツマと人混み疲れを思い出す。そういえば今日お金を使っていない。


トビウオをさばく。しばらく冷凍していたので、味はどうだろう。


パスタとカルパッチョ、骨身は塩焼きにしてみた。


よし、うまい。多少くさみがあるのは、鮮度の問題か。


魚をもらったらすぐにちゃんとさばかないと、もったいない。




先日届いたアイスコーヒーの豆をひき、ドリップする。


ちゃんとした手続きを踏んで味わう。


ツマが贈ってくれたマグカップは、たたくと澄んだ響きがある。



島はもうすぐ、濃い霧に包まれます。文字通り。



整備工場のRさんは、「梅雨が一番好きな季節だ」と言っていた。



「だって霧が晴れた時の太陽のまぶしさ。最高だね〜」


そういう生き方、最高だ。


ちゃんと目を凝らせば、其処にある輝きにちゃんと気付くはず。


王子の足元に、十力の金剛石があったように、


いつだって、それはそこにあるのだ。





「生きてるって感じがするよね」と、Rさん








やがて来る夏を待とう。