20110729

世界の中心




7月27日(水) エンコナーダ小学校前のカジェ。


放課後みんなで遊んでいたら、担任の先生が赤ちゃんを連れて通りかかる。

子どもたちの目は釘付けに。。

みんなすごくやさしい顔になって、やさしい言葉で語りかける。
まだ2年生だというのに、”慈しむ”ことを知っている。

女の子だけではない、男の子もメロメロ。

先日、JICA職員の方々とお食事する機会があった時に、赤ちゃんを連れてきてくださった。

やっぱりみんな顔がほころぶ。

「みんな、昔は赤ちゃんだった」発言にしんみり。

なぜか店員さんも抱きたいといって、赤ちゃんを抱えていってしまった。(それもけっこう長時間)

赤ちゃんの数が多いということは、それだけで、幸せ度数が高いということなのかもしれない。





赤ちゃんがそこにいるだけで

みんなの目線が集まる

みんなが笑顔になる

みんながやさしくなる

そしてそこが、世界の中心になる





毎日学校の中ではいろいろなことが起きていて、綴りたいこともたくさんあるのだけど、中々時間を割けないでいる。頭の中でもやもや考えてることを、自動的にメモにおこしてくれるような道具を誰か発明してくれないだろうか。。ドラえも~ん発明した人えらいっ




20110722

木曜日の幸福論

6月2日(木) アヤクチョ村、左食堂にて。姉弟写真。





7月21日(木)。雷と共に、冷たい雨が降り始める。



木曜日はアヤクチョ村の小学校へ巡回の日。

4年生のフェルナンド先生のクラスで、写真を見せた。
プレゼント用に何枚か印刷してきたものを持ってきたのだ。

その中の1枚に先月の2日に撮影した写真が混ざっていた。左食堂の子どもたちの写真だ。



「  Su mamá se murío  」



この写真を見た子どもたちがつぶやいた。


= 「 彼らのママは死んだ 」


それはつぶやきというよりはむしろ、「ここの家のママはクッキーを焼くのがうまいんだぜ」というぐらいの、

影のない明るいトーンでの「ここの家のママは死んだ」。


出産というのはリスクが高いというのを、教わったことがある。
この国の乳児死亡率が高いのと背中合わせに、母体へのリスクも高いということ。

そして同時に、確かに深く悲しいことだけど、それが特筆すべき悲劇としては語られないという現実がある。


親子の絆が特に深いボリビアのこと。下の男の子たちはきっとまだまだ母親が恋しい頃だろう。パンツもはかずに鼻水を出して地べたを這いずり回っている末っ子。お姉ちゃんが母親代わりとしてしっかりと面倒を見ているに違いない。そういうさびしさを乗り越えて、姉妹兄弟で力を合わせて生きているのだろう。。



この子たちの笑顔の裏には、そういう類の悲しさが秘められているのだ。と、、、



1年前の僕であったら、1枚の写真に必要以上に感傷的なキモチになってしまったかもしれない。

そして、胸のイタミにさいなまれて、自分は何もできないなんて、、自己に陶酔して満足して完結してそれでオワリ。

多分何もできない、ていうかしない。




でも、彼らの現実は少し違う。

そういう種々の悲しい出来事はあったとしても、彼らは決して不幸ではない。


ぎりぎり電気が通っている町に住んでいて、板を打ち付けただけの家に住んでいて、末っ子はパンツも履いていなくて、雨の日でもはだしでその辺を歩いていて、暇だから家の前のどぶで遊んでいて、ハエがたくさんたかっているベッドに姉弟みんなで寝ていて、母親を早くになくしてしまった。


だからと言って、必ずしも不幸だとは限らない。

この1年間、町の一人として暮らしていく中で、彼らのリアルに少しずつ近づいていくと、今まで見えなかったものが見るようになってくる。


板張りの家に住んでいるからといって、不幸だとは限らない。この蒸し暑い気候ではむしろ涼しく快適な位だ。


ぼろぼろの洋服を着ているからといって、不幸だとは限らない。生きるために必要なものがシンプルになっている。流行に流されるわけではなく、気に入ったものを大事にしているということ。


裸足で歩いているからといって、不幸だとは限らない。暑い日なんかは逆に気持ちがいい。


地べたで遊んでいるからといって、不幸だとは限らない。無から有を想像している。与えられたもので”遊ばされている”のではなく、もっとクリエイティブかつワイルドに”遊んでいる”のだ。


ハエがたくさんたかっているベッドに寝ているからといって、不幸だとは限らない。家族みんなで一つのベッドで寝ることの温もりがある。


母親を早くになくしてしまったことは、、、不幸だと言えるかもしれない。。

だが、兄弟、姉妹、おじいさん、おばあさん、おじさん、おばさん、いとこ、はとこ、おいっ子、めいっ子、、、そしてそれに(義)をつけたものを加えると、、もうすごい数の家族で共に暮らすスタイルがフツウであるこの国。母親の代わりに姉弟の面倒を見る人はたくさんいる。(それでも母親の代わりにはならないだろうが)

そういうたくさんの家族で暮らすことの幸せ。


きれいなマンションに住んでいて、きれいな洋服を着ていて、ピカピカの運動靴を履いていて、でも遊ぶ暇がないほど習い事や塾に通っていて、一人部屋のベッドで一人で寝ていて、でも両親からの愛情に飢えていて、自分を不幸だと感じている東京の小学生を、僕はたくさん知っている。




どちらの方が「幸せ」で、どちらの方が「不幸」かなんて比べることはできない。


いやむしろ、比べる意味がない。



1枚の額縁に入った写真を鑑賞するように、ちょっと離れた場所(若干上から)から眺めるのではなく、もっと近くで日常として接してきたリアル。


彼らはもっと楽天的に、ハッピーに日々を生きている。


人生における「不運」や「不遇」はあっても、決して「不幸」ではないのだ。

それでも偶に、びっくりするほどの現実に出遭うこともある。

でも、それでも絶対に「不幸」ではないのだと、今はそう思う。



「やさしさ」の対局にあるものが「無関心」であるとして、その関心の向け方は、

僕らのものさしに当てはめ、ちょっと高い位置から「かわいそう」だなんてそういうことではない。

いや、そんな失礼なことはないでしょ。


もっと同じ目線で、対等な関係で。

「途上国を支援しにきた」のは、あくまでも技術的な問題で、根源的な”ゆたかさ”については基本的にはギブ&テイクの関係性だ。

そういうことを理解していると、違った世界が見えてくる。



自然を感じられること、家族が近くにいること、生きるために必要な極々シンプルな要素を理解していること。

この3つにおいて、彼らは限りなく「幸せ」であるのだと、今は感じている。



降り続くこの冷たい雨は、僕の感傷的な心を演出するコドウグではなく、

家族の温もりを、小さな幸せを感じることのできる、ささやかな「幸せ」だ。


数ある「不運」や「不遇」を乗り越えて、木曜日。彼らは今日も変わらぬ表情を見せる。

いろんなことを乗り越えて見せる、フツウの笑顔。

それは「不幸」な者が見せる笑顔ではない。絶対に。


そして僕は、今日も写真を撮る。

そしていつも、小さな幸せをもらっているのは僕の方だ。






20110720

雨上がり







7月17日(日)


激しく打ち付ける雨が、南風の冬休みの終わりを告げた午後、
空はぼんやりと夕焼け色に染まり始めていた。

サンファンに「還ってきた」

たった1週間のラパス滞在ではあったが、妙にこの景色を懐かしく感じるのは、
赤く染まりかけた雲のせいだけではあるまい。

水たまりには雨上がりの空が映る。

自分の住む町に還ってきた。そういう確かな感覚を今ひしひしと感じている。




昨夜、サンタクルスの扉を開けた時に感じた空気の手触り。

東京から沖縄についた時のような、湿気混じりの空気の重さ。
明らかに高地のそれとは違う空気の感触に、懐かしさを覚えてしまったのはなぜだろう。

タクシーの運転手にラパスから帰ってきたことを告げると、

「サンタクルスは温かくて最高だろ?ラパスは寒いし、空気が薄いし人の住むところじゃない」とまくし立てる。



ラパスで出会ったタクシー運転手は、

「ラパスは最高だろ?美しい山に囲まれていて、気候だって涼しいところがあれば暑いところもある」と饒舌に語る。


確かに高地はからっとしていて、そんなに寒さが厳しいという感覚はなかった(朝晩は冷え込むが)。汗もかかない。虫もいない。坂が多いことと、ビールがぬるいことを除けば暮らしやすいのだろうなとも感じる。

以前お隣に住んでいたフナトのおばあちゃんは、ラパスの娘の家で元気に暮らしていた。サンファンにいたときよりもちょっとふっくらして元気そうだった。笑顔も自然だ。

ぶっちゃけ富士山より高い場所で暮らすのは大丈夫かと思っていた、、娘さん曰く「北海道生まれだから、一年中蒸し暑いところよりも少し涼しいところの方があっている」のだとか。

何はともあれ、元気な顔が見られて安心した。




住めば都。という言葉があるが、、


今、素直な感覚として、サンタクルスの方がいいなと感じている自分がいる。

それが、その土地で生活をする、ということなのかもしれない。

今は、「こっちの方がビールがうまいから」ぐらいの理由づけで止めておくとしよう。




「プロフェヨータロー!」

ヤパカニ行きの乗り合いタクシー乗り場で、アヤクチョ小学校の先生とその子供たちに声をかけられた。奥地の集落にあるその学校へ巡回に行くと、いつも歓迎してくれて「泊まっていけ」と言われる。7年生の長女と幼稚園生の妹ともけっこう仲良しだ。学校に行くといつも傍に来て声をかけてくれる。また学校で逢うのが楽しみだな。

握手をして、タクシーは走り去る。


約3時間の道のり。窓ガラスを激しい雨が打ち付ける。

こんなに降り続くのはこの土地ではめずらしいことだし、それに今は乾季だ。

フロントガラスの先は水しぶきで霞み何も見えない。こんなコンディションでの運転は慣れてないだろうな、、と考え思考を別に向ける。


ヤパカニに着く頃には雨は上がっていた。

サンファン行の乗り合いタクシーに乗ろうと、荷物を置くために荷台を開くと、



「プロフェヨータロー!!」


オブレロ小学校の3年生のロシオだ、、!あぁこの子たち知ってる。姉妹だったんだね。
まさかこんなところでも会うとは。。家族の誕生日ということで、例の休憩のまったくない極甘ケーキ(緑色のシロップでコーティング)を抱えていた。

助手席をお父さんとシェアする。目がロシオにそっくりだ。

「家でいつもプロフェヨータローの話をするんだよ。うちの娘はとても満足している。」

後ろを振り向くと、ロシオとそのお姉ちゃんが何だか楽しそうにはしゃいでいる。

実際、特別なことは何もしていないと思う。もともと子供たちや先生が持っていたものだ。ちょっと手伝って、背中を押してきただけ。でも、自分は幸せ者だ。先生をやっていて一番うれしいのはこういう瞬間。





サンファンに着き道を歩いていると、

「ヨータロー!!!」

ふと左を見ると、もとサッカーコーチのミルトンだ。しかも、角のポジョ屋の看板娘といちゃいちゃしている。いつの間にかに付き合ってたんだあいつらっ!?たった1週間の間に世の中は大きく変化しているらしい。



自分はこの町が好きだなぁ。

きっと、そういうのがその土地で暮らすという感覚なのだと思う。

短い2週間の南風の冬休みは、この雨とともに去る。明日から、学校が再開する。

この感じだと去年のように”寒い”からというだけの理由で、冬休みがずるずると伸びることはないだろう。

校舎にまた、子どもたちの声が響き渡る。

この町に来て、もう1年が経とうとしている。

いろいろなことがあったけど、今こうして明日の光を見つめている。


水たまりに映る、雨上がりの空。

今はそういうものに希望を感じる。



晴れやかなキモチで部屋の扉を開くと、そこには、、ボリビア生活史上最低の惨状が。。。


オリカエシノフリダシ

20110710

正式に意見




22-1の中間報告会について、もやもやしていたことがあったので、考えをここに記したいと思います。


これは一般論というよりは、教師として、という前提で進めた論になります。

読み返してみて一部、過激な表現があり、公開するに相応しくないかなと思われる箇所がありました。読んで、不快な思いさせてしまったら申し訳ない。その際には、ぜひご一報を!

人間的にはもちろんすきですし最高の仲間だと思っています。だからこそお互いにシビアな目をもった方がいいかな、という思いです。


「相手のためを思うのなら、直接本人に言う」というのが、大原則です。

「〇〇ちゃんが〇〇してたよ」なんて先生への告げ口は、相手のためを思っていない。自分はいい子でしょう?のアピールです。そういう時は、

「〇〇ちゃんにそれを注意してごらん」と言って、もしそれで聞かないようなら先生のところにもう一回おいで、というとだいたいはそれで終わります。つまり、それほどではなかったということ。

柔らかく書いても気づかないので、今回はストレートに書いています。
お互いが切磋琢磨できる関係であることを願って。




聴講者の感想からは、内容の濃さと同時に、発表時間の長さについて指摘がありました。


教師の世界で言えば、基本的に授業は1コマ(45分)に収めるというのが一つのプロ意識です。

もちろん現場はもっと柔軟で、児童の学習の様子に合わせて計画をその場で修正していくというのが実際です。

ですが、例えば子どもの考えが引き出せるまで時間を費やして、全員が終わるまで作業させ続けて、先生がしゃべり続けて、好きなだけ時間を使って、、それがどんなにいい教育だったとしても、それはいい授業とは言えない。

そういう授業は計画性のない、行き当たりばったりの授業にありがちなことで、残念なことにボリビアの教室ではそういった光景がよく見受けられます。先生が時計を意識していないので、作業の途中で鐘がなり授業が途切れる。作業が途中で終わるか、休み時間を無視して作業を続けさせる。。


チャイムが鳴っているのに授業を続ける先生。

僕はそういう先生が嫌いでした。そういう人に限って授業の内容が芳しくない。

逆におもしろい授業をする人であれば、授業の後だって質問に行っていた。自分の興味や関心が刺激されて、勉強っておもしろいなって思うようにもなる。

いい授業は45分で終わるけど、その後も続いていく。

先生がやめよう、と言っても学ぶことをやめないのです。

もともと、45分に収まらないのなら、50分や2コマ連続で指導案(授業の計画)を作ることもあります。

大切なのは、それを計画するということ。だから、ハンセイがありカイゼンがある。


今回のケースで言えば、10分に収まらないのなら、15分、ぎりぎりの20分で計画を練って話す内容を整理し、それで評価をすればいい。

むしろ10分がムリなら「20分や30分の発表がしたい」と、事前に交渉すればいい。



「リハーサルをやらないのに、時間オーバーをどうこういうのがおかしい」

それ以前に、本番を想定して練習を1回でもやったのか?話したいだけ話して時間オーバーして、それを事務所があつらえてくれないというのはただの言い逃れに過ぎない。単純に指摘に腹を立てているだけかもしれないですが。

企業の常識は、世の中の常識ではない。そのことについてはまた別の機会に綴りたい。

もし、公式なリハーサルがあるというのなら、こちらの資料ももっと事前に準備をし、内容だって自己満足に終わらないものを用意しなければならない。

僕は今あるような内輪の中間報告会には、そこまでのリハーサルは必要ないと思う。

ある国では、現地の言葉で、国内の諸関係者を呼びボランティアの活動をアピールするという形式をとっているそうだ。このケースなら、リハーサルは必要でしょう。

要は意識の問題で、それぞれが内容を高めていけばいい。


「そんな細かいこと気にするな」という意見には基本的には賛成だが、その言葉は人を選ぶ。

若いとか年をとったとかいう問題ではない。

そういうビックマウスは、やることをやっている人がいうからいいのであって、そういう型破りさをただかっこいいと思っているだけの人は正直、サムい。

「やることはやってきた」口では何だって言える。

でもそれが自己満足ではいけない。そういう客観的な目を持つことが重要で、それが向上心につながる。問題は、ほんとにそれで満足してんの、、??ということ。

正直、発表の服装なんてどうでもいいと思っている。
フォーマルなジーンズもあれば、くだけたスーツもある。

ようは”カタチ”よりも”ナカミ”ということ。


時間なんてちょっとぐらいオーバーしたって、服装だって、かたちだって細かいことは気にしなくていい。でも大事なのはその”ナカミ”。

自分の用意した資料を見返してみるといい。判る人は判っている。

もしそれで何も感じないのなら、今の時点でいいと思っているのなら、もう何も言うことはない。


人を批判する時は、自分のことを棚に上げないと難しい。
つまり、自分のことには目をつぶる。

だから、自分に対してもそういう問いを投げかけていきたい。
だいたいは言われなくても分かっているのですが、客観視して実際に行動に移すのは難しい。

でも、そういう向上心がなければ、教師としてこの先つらい。


社会が変われば、子どもも変わる。

でも、変わらない教師がいたとするのなら、その出会いは不幸だ。

普遍的な良さというのもあるけれど、専門の引き出しを広く多くもつというのも教師の技術である。 

「自分このままでいい」と思っている人は、基本的に教師を辞めてほしいと思っている。というか、向いていない。

教師は「教える」ことのプロである以上、「学ぶ」ことのプロでなければならない。

でも、実際にはいろいろな人がいるから強要はしない。


ただ、正直いい迷惑だ。それは仲間に対してではない。

教室で向き合う子どもたちがだ。



と、こういうことはみんな全てわかっているんです。

だからこそ、自分を客観的に見る目が教師には必要になってくる。

30を過ぎてそれなりに実践を積んでくれば、周りから何かを言われることは減ってくる。
それは実践が成熟してきたということもあるし、言いづらくなってきたということでもある。
自分なんかも特に、がんばってきた自負もあるし、弁も立つ。

なおさら、よくないことを言ってくれる人はいないだろう。。

自分で気づけなかったら、オワリだ。

それは職人気質があり、一人親方的な教員の最大の欠点とも言える。


最終的には、「おれについて来い!」でいい。

でもそのために、向上を。


型破りでやって、その割にナカミが今一つだとして、それでいい(それがいい)世界がどこにあるのだろうか、、?アーティストなんかはそういう感じなのかな、、??死んだ後に評価されるとか。でも教師は生きた人間を相手にするシゴトなので、それでは済まされない。実害がある。やめてほしい。


誰の発表が心に残ったということは言えるが、その優劣はつけられない。つける必要もない。

それぞれの条件がまるでちがうからだ。

ただ、プロとして参加している意識があるのなら、、という話。 



自分のことを棚に上げて、子どもに何を教えられるというのでしょうか。
でも聖人君子である必要もないと思います。人間ですから、あくまで理想で。

何回も失敗します。でも、大切なのは向上心だというわけです。

型破りで、その結果(目に見えるものと見えないもの)がサムかったら、それは本当に残念です。


自分が転んだ時、「なぜ助けてくれない」「それ以前に道が悪い」等々、人のせいにしては後には何も残らない。

失敗しても誰かのせい。成功してもそれは誰かのおかげ。

「自分で立ち上がる方法を考える」ことが、自分を向上させる第一歩。


何はともあれ、自分の欠点を指摘してくれる仲間や先輩の存在はありがたいです。

文章ってこわいですね。一方的に言葉を紡いでしまうと、どうしても攻撃的になってしまう。
基本は対話ですね。これを元に、前向きなギロンが生まれたら最高です。

「ちがう」と思うことは「ちがう」、「いい」と思うことは「いい」

そういうスタンスで積み上げていきたいものです。

もし、聞く耳をもっていなかったとしたら、、いやだとしてもやっぱり仲間でしょうね。

ただ、こういう話はもう二度としないでしょうが。

WAKA WAKA

            22-1ボリビア隊。13名。今から約1年前、語学研修の最終日。
            通りすがりのブラジル人に頼み撮影。
           


任国へ赴任してから、もう1年が過ぎたのですね。。


ボリビアでは、先週7月1日に、サンタクルスにて中間報告会が開催されました。

それぞれが制限時間の20分いっぱいを使い切る、もしくは収まり切らない、というほどのアツい報告の連続。。

もちろんその長さだけでなく、内容にもそれぞれの葛藤や成長が表れていたところが良かった。

普段あまり口にすることはないのですが、それぞれがどんな思いでこの1年間を過ごしてきたのか、温めていた想いや活動の様子がよく伝わってきました。

特に、

「日本の技術を教えることばかりを考えていた」

その彼女が、ボリビアの作品の持つ良さに気付き、徐々に関係を築いていく過程。

苦悩と葛藤、そしてそこからの回復の物語。一つ映画が撮れそうなそんなストーリーでした。

きっと彼女は、これからも、いい作品を作り続けていくことでしょう。



発表時間については、持ち時間は20分(発表10分、質疑10分)ということでしたが、それを収めるのはやはり難しかったです。想いがそれだけあふれていたとの証明にはなるでしょうが。そして、それを仕切っていくのも難しかったことと思います。

本音は時間オーバーもいた仕方ないかな、と思っています。

実際に自分も、発表だけで20分を越えてしまいました、、家でリハーサルをしてかなり早口でいかないとムリだということは分かっていたのですが、、本番は語り過ぎました。。

時計を用意していたのに、計り忘れたというのも凡ミスです。

次回の反省に。。



いろんなイミで抜群の存在感を発揮している隊次なわけです、、笑?



同期のみんなが集結したわけですが、「もう1年たったんだねぇ。。」なんてしみじみ。

写真は、1年前の語学訓練の最終日にみんなで撮ったもの。

1年前にあって、今はないものはたくさんあります。 失うにはイタすぎるものも。


でも、誰かへの怒りや不満で結びつくのではなく、前向きな目標に向かうことで一つになりたい。 

そのスピードや目的地が違ってもいい。

一つの大きな理想(それを夢とか希望と呼ぶこともできる)に向かって、同じ方向を向いて歩んでいくこと。僕たちはそういうことを通して、いろんな悲しみを乗り越えていきたいと思っています。


次の目標は、それぞれの活動と、3ヶ月後の隊員総会。

総会委員はKTC卒業生の他に、日系社会ボランティアの3名+22-2のメンバーを加えた大所帯。

でも多いのは数だけではないです。

この仲間となら、何かすごいことができそうな気がする。描ける夢もたくさん。

もう打ち上げの話をしているのは不純でしょうか、、?笑


始まりの1年。そして、折り返しの1年。

みんないろいろありながらも、前を向いて進んでいます。


"WAKA WAKA"は、22-1BOLIVIAのチーム名。

あの時のネツを忘れずに、新たな夢を描きたいと思います、、! 

20110709

冬期逅愁

            エンコナーダ小学校での冬期講習の様子。4・5・7・8年の6名。
             課題別のプリントを用意して、個別指導を行いました。




冬真っ盛りの南半球。

と、言っても今日は「これで冬か?」というほどの陽気。

日本で言ったら、「まだ5月だけど、今日は夏みたいに暑いねー半ソデでいけるわー」ぐらいの感じで差し支えないと思います。

で、何はともあれ"vacaciòn"、2週間の冬休みを迎えたわけです。

英語なら”バケーション!”ですが、スペイン語だと”バカシオン~!”になり、ちょっと語感があれですけど、まあまあ。みんなバカしよるわけです。


そんな中、冬休みに補習授業をやりたいなぁと先生方に相談していました。

ところが、、子どもは多分来ないよ、とのこと。
どうやら長期休業に入ると、農作業に借り出されしばらく帰ってこないということらしいです。

最後の巡回日の午後にやろう、ということに決まっていたのですが当日、校長先生の一存で「今日はやめて休み中にやろう」ということになりました。内容は算数をメインに日本文化紹介、及びレク的な活動。

で、ふたを開けると、初回、7・8年生からの6名。先生だけでなく、村人誰もいない、、まるで正月の朝のような閑散とした風景。



冬期乞集。。


教室で聞いた時は、けっこうみんな参加したいと声を上げていたが、、呼びかけを全て託してしまったから仕方がない。

ただ、それだけの障害(?)をくぐり抜けて参加するだけあって、全員意欲は高い。

7・8年生へのリサーチ結果から、「分数」の習熟にしぼり教材を作成した。
1日目はつまづき調査ということで、すべてを網羅したプリントを課してみる。


うーん、できない。。実態をまとめると以下のようになる。
(〇…できること、△…できないこと・課題)

〇同分母の足し算・引き算はできる。
△掛け算・割り算については、方法は知っているものの、習熟が足りない。
△約分、通分ができない。故に異分母どうしの計算、帯分数の混ざった計算ができない。
△分数を表す面積図が描けない。逆に面積図を分数に表すことができない。
〇集中して問題に取り組むことができる。


要するに、計算の方法は知っていて、簡単な計算ならできるということ。

しかし、分数を足すという意味を彼らは理解していなかった。

それはただのパズルの解き方を教わっているようなもので、計算の方法のみを教わっているだけということ。分数という概念がすっぽりと抜け落ちている。



冬期抗習!!


一日目。面積図を使って見せたり描いたりしながら、分数の意味を考える。

「やればできんじゃん!」一日目にしてほぼ理解できたようである。

彼らはできないのではない。「教わっていない=経験がない」のである。



問題の解き方だけでなく、考え方や図などを盛り込んで自分で考えられるようなプリントを作り、個別に課題を与えて進めていった。KUMON式というやつでしょうか。

6人(やる気のある)という人数もちょうどよかった。
一人ひとりの進度を見ながら、丁寧に教えることができる。
その場で丸付け、つまづいたところはヒントを与え自力で解かせる。

そして、とにかく褒める。できたことを褒める。花マル、70/70(日本の100点満点)を連発!!


教える対象は少なかったが、教えるということの繊細な作業を改めて顧みることができた。



これは確実に学力もやる気ものびるだろうなぁ。


7年生在籍の留年組のミルトンがこう言っていた。

「もう留年はしたくない」

彼はけっこうできが良かった。飲み込みも早い。留年した理由は先生との関係がうまくいかなかったかららしい。

メンバーの入れ替わりはあったが、人数は横ばい。

7・8年生の参加者については、クラスの起爆剤となって欲しい。

ミルトン!ミリアン!お前たちがクラスを変えるんだ、、!!
そして、無事に過程を終了。



冬期幸修♪


何よりものんびりした空気がよかった。こんな感じで先生やっていくのもいいなぁ。

「明日は何時から?」

「もう一つ奥の集落に行くよ、、」

「じゃあ次は月曜日?」

「いや、ラパスに行くから、、」

できることの喜びは、学ぶ意欲を刺激するらしい。


他の学級ではたくさんの子どもたちに囲まれて、歓迎されて、大騒ぎで、ギアはいつもトップにいれていた半年間。

穏やかに子どもたちと向き合えたことが最大の収穫。

これを子どもの口から先生に伝えたい。


7年生の畑に水を撒く。
冬を感じさせない穏やかな風が、誰もいない校庭を吹き抜けていく。

いや、待てよ。。このまま枯れてしまって水やりのタイセツさを学ぶのも悪くないなぁ、、あえてこのままにしておこうかな。。

児童一人ひとりと向き合う。みな当たり前のように口にするが、実はすごく難しいこと。30人40人と向き合っていたら、それは物理的に不可能だ。

でも方法はある。一日は24時間で平等だけど、それを実現する方法はある。




さて、帰り道。

バカシオンということもあってか、通りも閑散としている。ていうか誰もいない。
タクシーが来ない。タクシーが来ても乗客がいない。出発しない。帰れない。

そうさ、時間はたっぷりある。

何も急ぐ必要はない。

毎日そんな感じの昼下がり。


冬期逅愁。


初秋のような穏やかな陽が、木漏れ日となってさらさらとそそぐ。

もう1年。まだ1年。

あの人に手紙でも書こうかな、、