自分がどういう人間がすきなのか、考えてみた。
あっ艶のある話じゃないです全然。人として、みたいな。
まず、哲学のある人間がすきだ!
自分はこれっていう考えをもっている人。
何かを学ぶことができるし、何より話をしていて面白い。
自分自身で選ぶことのできる人は、その人生も生き方も大抵魅力的だ。
でも、自分の哲学だけじゃだめだ。足りない。
理論だけ並べて、結局なんにもしない、というタイプの人もいる。
これはけっこう嫌いなタイプだ。
だから、自分の哲学を実践に移す熱意のある人が好きだ!
これはやる気とか、一生懸命さとか、一途さと言い換えてもいいだろう。
熱は周りに伝染する。
それが拙かろうと、多少偏っていようと、齋藤孝氏が例えるところの「その光を放つ一本の矢」は憧れの対象となり得る。
アツいという事はエネルギーに満ちているということと同時に、心と体が柔らかいということでもある。
内に秘めた情熱というのもあるだろうが、ちゃんと伝わる方がいい。
基本的にアツい人間はすきだ。
成長への可能性や向上心を感じるからいい。魅力的だ。
でも、自分の考えがあって一生懸命なだけではだめだ。まだ足りない。
それは一歩まちがえれば、ただのわがままであり自己中心的な行動であり、周りを振り回したり不幸にする可能性もある。
頑張っている人は基本応援したくなるが、何というかそこは冷静な評価も必要である。
「オレ、がんばってんだからいいでしょ」は、世の中では通用しないことが多い。
視野の広さや、周りへの気配りや思いやりなんてことが重要になってくる。
だから最終的には、やさしい人間がすきだ。というところに落ち着く。
自分の哲学を曲げるのではなく、他者の哲学を受け入れることのできるしなやかさ。
自分の思いを押し通すのではなく、相手のことを慮ることのできる寛容さ。
人の気持ちに敏感な人。傍に寄り添える力。心のとげを抜いてくれるような言葉。
他者への想像力のある人。それが一番いい。
哲学があって、熱意のある人は魅力的だけど、やさしくない人は苦手だ。
逆に言えば、それ以外がそんなに際立ってなくても、やさしい人はいい。
やさしい人っていうのは大抵、傷ついたり損をしたりすることが多いのだけど、それがまたいい。
やさしさ > 熱意 ≧ 哲学
「やさしさだけでは生きられない。でも、やさしくなければ生きている価値がない。」
どこで聞いたか、記憶に残っている。
究極、やさしさを持った人。それが一番いいという考えに至る。
自分はどうだろうか。哲学や熱意はある方か。。
だがやさしさはケースバイケース。まだむらがある。未熟だ。
でも、何かの役に立ちたいとは思っている。今この瞬間も。
人との出逢いが人を成長させる。まだまだ出逢いが必要だし、学ばないといけないことがたくさんある。
そしていつの日か、世界を救うやさしさを。
"imagine"
世界を変えるのではなく、世界をつなぐ力を。
世界を変えるのではなく、世界をつなぐ力を。
世の中には「やさしい」と「甘い」を取り違えている人がいる。
返信削除友が間違った行動を起こしても、「厳しく」言ってあげる「やさしい」気持ちを持ち合わせていない。
ただ、やさしい言葉をかけていれば、自分はいい人間だと勘違いしている。
時にはただただ「やさしい」が必要な時もある、でも24時間の「やさしい」の安売りは要らない。
「やさしさ」の対極にあるのが「無関心」だと言います。
返信削除ジュンさんの言うようなコンビニ的かつ”無責任”な「やさしさ」は、きっと本当の「やさしさ」からはほど遠いものなのかもしれませんね。。
ちゃんと相手の事を考えて想いを注ぐからこそ、厳しい言葉も出てくる。ただのワルクチと厳しい言葉が違うという点も重要です。その本意は中々伝わらないのが歯がゆいところですが。。
ジュンさんの言葉いいね。「やさしさ」の条件には、相手を想う「きびしさ」という要素も加えておきたいと思います!