20111007

ボクのすきな人






自分がどういう人間がすきなのか、考えてみた。

あっ艶のある話じゃないです全然。人として、みたいな。





まず、哲学のある人間がすきだ!

自分はこれっていう考えをもっている人。
何かを学ぶことができるし、何より話をしていて面白い。

自分自身で選ぶことのできる人は、その人生も生き方も大抵魅力的だ。



でも、自分の哲学だけじゃだめだ。足りない。

理論だけ並べて、結局なんにもしない、というタイプの人もいる。

これはけっこう嫌いなタイプだ。




だから、自分の哲学を実践に移す熱意のある人が好きだ!

これはやる気とか、一生懸命さとか、一途さと言い換えてもいいだろう。

熱は周りに伝染する。

それが拙かろうと、多少偏っていようと、齋藤孝氏が例えるところの「その光を放つ一本の矢」は憧れの対象となり得る。

アツいという事はエネルギーに満ちているということと同時に、心と体が柔らかいということでもある。

内に秘めた情熱というのもあるだろうが、ちゃんと伝わる方がいい。


基本的にアツい人間はすきだ。

成長への可能性や向上心を感じるからいい。魅力的だ。




でも、自分の考えがあって一生懸命なだけではだめだ。まだ足りない。

それは一歩まちがえれば、ただのわがままであり自己中心的な行動であり、周りを振り回したり不幸にする可能性もある。

頑張っている人は基本応援したくなるが、何というかそこは冷静な評価も必要である。

「オレ、がんばってんだからいいでしょ」は、世の中では通用しないことが多い。

視野の広さや、周りへの気配りや思いやりなんてことが重要になってくる。




だから最終的には、やさしい人間がすきだ。というところに落ち着く。


自分の哲学を曲げるのではなく、他者の哲学を受け入れることのできるしなやかさ。

自分の思いを押し通すのではなく、相手のことを慮ることのできる寛容さ。

人の気持ちに敏感な人。傍に寄り添える力。心のとげを抜いてくれるような言葉。


他者への想像力のある人。それが一番いい。




哲学があって、熱意のある人は魅力的だけど、やさしくない人は苦手だ。

逆に言えば、それ以外がそんなに際立ってなくても、やさしい人はいい。

やさしい人っていうのは大抵、傷ついたり損をしたりすることが多いのだけど、それがまたいい。



やさしさ > 熱意 ≧ 哲学



「やさしさだけでは生きられない。でも、やさしくなければ生きている価値がない。」

どこで聞いたか、記憶に残っている。


究極、やさしさを持った人。それが一番いいという考えに至る。




自分はどうだろうか。哲学や熱意はある方か。。

だがやさしさはケースバイケース。まだむらがある。未熟だ。

でも、何かの役に立ちたいとは思っている。今この瞬間も。

人との出逢いが人を成長させる。まだまだ出逢いが必要だし、学ばないといけないことがたくさんある。 

そしていつの日か、世界を救うやさしさを。







"imagine"


世界を変えるのではなく、世界をつなぐ力を。


2 件のコメント:

  1. 世の中には「やさしい」と「甘い」を取り違えている人がいる。
    友が間違った行動を起こしても、「厳しく」言ってあげる「やさしい」気持ちを持ち合わせていない。
    ただ、やさしい言葉をかけていれば、自分はいい人間だと勘違いしている。

    時にはただただ「やさしい」が必要な時もある、でも24時間の「やさしい」の安売りは要らない。

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  2. 「やさしさ」の対極にあるのが「無関心」だと言います。

    ジュンさんの言うようなコンビニ的かつ”無責任”な「やさしさ」は、きっと本当の「やさしさ」からはほど遠いものなのかもしれませんね。。

    ちゃんと相手の事を考えて想いを注ぐからこそ、厳しい言葉も出てくる。ただのワルクチと厳しい言葉が違うという点も重要です。その本意は中々伝わらないのが歯がゆいところですが。。

    ジュンさんの言葉いいね。「やさしさ」の条件には、相手を想う「きびしさ」という要素も加えておきたいと思います!

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