20110428

犬ブロックと活動の終わり




いつか出るとは思っていましたが、ついに出ました。犬ブロック。

今日のフットサルの試合中、いい感じにスペースに出た縦パスを、これまたいい感じの老犬が見事にカラダを投げ出しナイスカット。

前足はやっぱり足なのか、それともハンドなのか、判断に迷うところです。まぁどっちにしろ、審判同様に石と同じ扱いなので、そのまま試合は流れるんですけどね。

個人的には一本、左足でイメージ通りのボレーシュートが決まったので、それだけで今日は満足して一日を終えられそうです。そんな単純なオレ、やっぱりシアワセ。



さて、本題。活動の話と、ごくごく私的な話をちょっと。

今、対象校から自発的に先生を募って”学級経営”の分科会を作り、そこをパイロットクラス(モデル教室)として、重点的に支援し、実践を行っています。

現参加校は中心地の5校、6クラスですが、実際は片一方のクラスだけとはいかないので、同学年のもう一つの教室や他の学年にもちょこちょこ顔を出しています。忙しいけど、充実している。一年過ぎたら、活動が急に動き出すとは聞いていましたが、まさに今そんな感じです。

実際は、「こんなかたちがいいよね」と話していた内容が、だんだん具体的になり、動き出したら想像以上に歯車が回っているという感じで、うまいこと行き過ぎているなぁというのが実感です。

あまり難しく考え過ぎずに動き出した一歩が、どんどん広がりを見せている。うまくつじつまがあった、と言ったら語弊があるでしょうか。それほんとに大丈夫か?と思ったことでも、先生方が考えてやっていることが以外と効果を生んだりして。

そんな幸運と周囲の支えがあって、毎日きれいな夕日を拝むことができることの幸せ。


”学級経営”について簡単に説明すると、「みんなが勉強したり共同生活したりする教室を、より楽しくより過ごしやすい環境にするための指導や支援」ということになります。共同生活を通して、子どもたちは様々な事を学んでいくわけで、学校はただ、国語や算数を勉強するためだけにあるのではないということです。

日本ではとても大切な視点なのですが、わりとなおざりにされがちです。

実はそんなに難しいことではなく、ちょっと視点を変えたり、ちょっと意識するだけで、子どもたちが劇的に変わる、というのはよくあることです。例えば、教室環境を整えたり、クラス目標を作ったり、子どもたちへの声のかけ方を工夫したり。ボリビアでいうと、時間割を守ったり、7~80分間続く授業の合間に休憩をとったり等々。こちらから見ると、だから集中力が続かないんじゃないのかなぁと思うことがたくさんあります。逆に日本の子どもたちよりも辛抱強くて関心もしたり。

この国の教育が抱える問題が、あまりに根本的かつ重大過ぎて、小手先のカイゼンでは正直、砂漠に水を撒くようなものに思えてきてげんなりしてしまいます。昨年やっていたような授業の指導法についてどうこう議論する以前にもっと基本的なことから始めるべきじゃないか。

CPのドナイレと話してそういう結論になりました。

そのための先生なり役所側の支援を話し合い工夫し、モデル教室の中で実践していくということになります。自分の仕事としては、日本の実践モデルを元に、それぞれのクラスで合いそうなものを先生と話し合う中で考えることから初めています。教室に副担任的な感じで集中的に通ったりもしています。それが実は一番きいていたりして、、単純なことですがそれがうまくいっている秘訣なのかなとも思っています。



昨夜、モデル校の一つの3年生のクラスから招待があって行ってきました。夜の7:30開始です。

こんな夜更けに何をやるのだろうと思っていたら、何て言うか、、「感謝の集い」でした。

保護者を招待しての夜会では、自分たちが頑張って取り組んでいること、机といすを直すのに力を貸してくれたこと、なぜこのタイミング??と思うことしきりでしたが、子どもたちの作ったお菓子とソーダ、それに感謝状で一通り和みつつ、最後は期待以上に盛り上がったニーニョVSアドゥルト(コドモ対オトナ)の綱引き大会で幕を閉じました。

子どもたち全員に活躍の場があったこと(一人一つの発表)、そして大人たちの笑顔。

日本で言うところの「お楽しみ会」的な感じでしょうか。

何か言葉を、と言われて感謝のキモチを述べていると、あれっまだ早くないか、、??あと1年残っているのに、なんかもう活動残り3ヶ月みたいな雰囲気になってしまいました。。

このクラスはみんなの教室をきれいにしようということで、そうじやゴミ拾いなんかも率先して取り組んでいます。まだそんなに日は経っていないのですが、教室以外の場所でも自主的にゴミを拾ったり、ほうきで掃いたりする姿が見られるようになりました。クラスの雰囲気もそれに比例してとても穏やかで温かくなってきたように感じています。

ある時、先生が下校前のゴミ拾いの指示を忘れたことがあったそうです。その時、ある子が「今日はゴミ拾いしないの?」と言って、その後みんなでいつも通りに掃除をしたのだそうです。

最後には、こういう言葉を先生の口から発表してもらって、他の先生方にそういう感動や実践を広められたらそれは最高じゃないか。

先生は感激したのでそれを(ちょっと大袈裟に)ほめ倒したら、

「プロフェソール・ヨータローみたいだね」と言って、子どもたちは笑っていたそうです。

それを先生の口から聞いた時、正直ボランティア活動を始めてから一番嬉しかった。
もう、ナカノールでも何でもいいですw

サンファンは小さな町です。田舎侍の僕たちには立派な冊子や教科書は作れないかもしれない。

でも、そういう教師のやりがいというか魂を伝えることができたらいい。今はそういう風にも思えるようになりました。



帰り途に、レストランに居た一家に呼び止められピザとジュースをごちそうになる。


「いつ日本に帰るんだい?」

、、、まだ一年残っているんですが。。

活動をさらに深めるか、それとも広げていくか。考えどころです。
でも自分のヨクバリな性格を鑑みると、多分深めつつ広げるということになるのではと。

「プロフェがいなくなったら、みんなさびしがるよ」

そのセリフもさすがに早過ぎだろうと思いつつ、自分ももう既にめっちゃ悲しくなるんだという予感はしています。サッカーの試合に当たり前に犬が乱入してくる光景すらも、すごく懐かしくなるにちがいない。いったい何百人とお別れを言わなきゃならないんだろうか。。でも、それはすごく幸せなコトなんでしょうが、やっぱり別れは苦手です。

いつも
「日本に待っている人たちがいるから」

と言うことにしています。

1年後には、日本の教室で担任をやっているなんて想像できないな。でも、日本には必ず還ります。次の任地は日本。そういう意志です。

ただ、なんかすごく活動の終わりを意識してしまいました。こんなこと初めてでした。



写真はその3年生のクラスの子どもたち。

「日本は小さな島」ということを始めて知ったと言っていましたが、というわけで日本大好きです。


愛するものが増えることは人生の不幸ではない。たとえ別れの寂しさが在ったとしても、それは生きることの喜びである。だって今、毎日が愉しいからね。生きている感じがする。この生活が終わってしまうのは寂しいけれど、またどこかで逢えるはずだ。


ボリビア人は「向上心がない」とか、「だからこの国はよくならない」とか言われることがありますが、そんなことはないんじゃないかな。

「この子たちが、ボリビアの未来を築いていく」

そういう言葉に、お父さんお母さんは真剣な表情でうなずいていましたから。




各クラスの様子は、後々紹介していきますー

2 件のコメント:

  1. ヨータローの蒔いた種が、少しずつ芽をだしてきたことが伝わ

    ってきたよ。

    継続は力なりっていうけど、よいものはよいものとして共通理

    解してずっと続いていくといいね。

    ここの国の先生たちはがんばりやだから、きっとできると思う

    よ。

    子どもたちの未来のために、先生や親が希望を持っていきたい

    ね。

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  2. 今やっていることなんて、砂漠に水を撒いているようなもんだけど、それがいつかちゃんと大地に根をはってくれればいいな。

    PROMECAの遺産もあり、けっこうモノはあると思う。欠けているのは、それがずっと循環していけるようなシステムと、モチベーションの持続。keiちゃんの言う通り、ここの先生たちはほんとがんばりやだと思う。だからこそ、目に見えない何かをしっかりと伝えていきたい。

    目に見えるものも、見えないものも、しっかりと伝えているあなたたちの活躍に刺激をうけてます。さぁもう1年切ったよー

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