9月11日(日)
朝、目を覚ますとまだ8時を少し回ったところだった。
昨日は日系の友達の結婚式で、ビールとウイスキーをしこたま呑んだ。
帰ってきてからラーメン風ソーメンを食べて、そのまま就寝。
深酒した日に限って、意外にはっきりと目が覚める。
まだ少しアタマにアルコールが回っているようだ。
鳥の鳴き声が聞こえる。今日は天気が良さそうだ。
もったいないので二度寝する。
10時。
表に出て顔を洗い、買い物にでかける。
日差しが強い。でも、そんなにいやな感じがしない。
冷蔵庫無し生活が2ヶ月。「なんか冷たい物のみたいなー」って時が一番困る。
食材はすぐに使い切れる量を買ってきて、即消費する。いつも必要なものを必要なだけ。
商店の中はクーラーが効いていて、ひんやりとしている。テレビから流れてくるNHK。
日本のカリスマ編集長とやらが、トレンドだのファッションだのについて語っていた。
「ブレスレッドの重ねづけがトレンドで、緩めのはアウトオブトレンド」
「ミラノの男たちの着こなしを参考にしたモダンディーを提唱したい」
日本人の言葉って、カタカナバッカダナアマジデ
彼は鼻毛が出るのが嫌で、永久脱毛しているらしい。それにしても、どうやって鼻の中の毛を永脱するのだろうか。ていうかむしろ鼻毛を誰か(おそらく医者)に脱毛されているその瞬間こそ、最高にかっこワルいと思うのだが。。
そこまで気にしなきゃいけない社会や生き方が、幸せなのかはよく分からない。
ライターのガスが切れたので、新しいライターを買う。ライターはBICに限る。前に買ったもっと安いやつは、一発で壊れた。赤いライター。これぞライターって感じで、見る度にほれぼれする。
帰り道、もう既に空気が熱い。今日は暑くなるな。
野菜先生が育てているトマトが徐々に赤く色づき始めている。
もうすぐ食べごろか。いや、もう少し待って、パスタにしよう。
11時。
たまりにたまった洗濯物を処理することにする。
大家さんからは、土曜の午後と日曜だけ洗濯機を借りられることになっている。
二槽式であるが、特に脱水はありがたい。
ここ1ヶ月、週末は飛び回っていたので、ちょいちょい手洗い手絞りしながらつないできたが、やっとめぐってきた洗濯チャーンス!
巡礼をくぐり抜けたリュックも、埃まみれのスニーカーも、昨日久々に着たら大きな染みがついていたジャケットも。全部まとめて洗ってしまおう!
お隣の野菜先生が、カランボ(×コ)ラン(スターフルーツ)の実をジュースにしてくれた。
星の恵み50%ジュース。酸味は少ないがさわやかな甘さ、に葡萄の皮のようなほのかな渋味。この味は飲んだことがない。うまい。南国フルーツ最高!
11時半。
順調に洗濯、のはずが序盤にして突然の停電。。
いつものように待ってみるが、一向に戻る気配がない。
結局手洗い、手すすぎ、手脱水。
調子に乗って洗濯物全部ぶっこんだことを、少し後悔し始める。
でも知っている。天気が味方してくれれば、手しぼりの洗濯物もちゃんとすぐに乾くことを。手洗いをしていると、Tシャツの汚れやジーパンの色落ち具合などよく分かる。
愛着のあるTシャツにプリントされたボブ・マーリーに少しずつ味が出てきているのを眺める度に、自分がすごく真っ当な生活をしているような気になる。
東京では、指一本で済んでいた洗濯。でも今では、一番時間のかかるシゴトになっている。
汚れを落とし、すすいで、しぼって、干すまで。まるで神聖な儀式を執り行うように、丁寧に一つ一つの作業を行う。陽光に揺れる色とりどりの洗濯物。今日は天気がちゃんと味方してくれている。
12時半。
またまたアクシデント。もう少しで終わるところで、さらに洗濯物発見。とりあえず水につけたところで、またまたピンチ!水が止まる。まじか。。。
洗いかけの洗濯物。リュック。スニーカー。。。
洗えない、すすげない。これは困った。洗濯機はなくてもいけるけど、水がないと無理だ。
手も洗えない。料理もできない。トイレも使えない。
、、、どうしよう。
とりあえず休憩。景色すべてを溶かすような真夏の日差し。でも日陰は涼しい。
子猫が昼寝をしている。
寝顔を眺めていると、時々夢を見ているのか寝返りをうったり、寝ぼけたように手足を動かしている。だいぶ大きくなってきた。寝る子は育つというからな。
猫という生き物は本当によく寝ている。“寝子”だ。語源は“寝る”から来ているに違いない。
子猫があくびをする。
13時。
電気復活、したらしい。遅いっちゅうねん。
13時半。
何気に水復活。これで続きができる!
これでガスより電気より、水が大切だということがはっきりした。
ガス < 電気 < 水
人間、水がないのが一番こまる。
14時。
洗濯終了。気づけば3時間近くかかっている。
最初に干した洗濯物は、もう既にほとんど乾いていた。
パスタをゆでて、昨日の披露宴の残りものをアレンジして和風パスタを作る。うまい。日本人はやはりしょう油か。さすがに疲れたので、洗い物はせずにそのまま昼寝をする。
16時。
ゆっくりと目を覚ます。日差しが少し柔らかくなっていた。
外に出てゆっくり一服。
トマトの色が朝よりも濃くなっている。太陽の光を一日浴びるとこんなに色づくなんて。
育つものが身近にあるくらしは、いい。
大家さんの飼い犬たちがやってきた。ジョンとラッキー。
以前けんかでぼろ負けしたラッキーの耳は、痛々しい傷を残しながらもちゃんと真っ直ぐに立っていた。動物は自分で治す力を持っているのだな。
今日も、今日の日の余韻を残しながら日が沈んでいく。
もうすぐ虫の声が響いてくるだろう。
ここは東京で聞いていたような音は聞こえないが、自然の音がそれはまた賑やかに聞こえてくる。
鶏の朝の挨拶、小鳥のさえずり、風が木々を揺らす音、犬同士が吠えあう声、虫の三重奏。
「自分がすごく真っ当な生活をしているような気になる」
最近読んだ小説に、こんな一説があった。
真っ当な休日、真っ当な食事、真っ当な生き方。
テレビがなくても、冷蔵庫がなくても、洗濯機がなくても、インターネットが使えなくても、冷房がなくても、車もバイクも自転車もなくても、ガスが切れて火がつかなくても、トイレに便座がなくても、アイスコーヒーが飲めなくても、電気がなくても、さすがに水がとまったらちょっときついけど、人は生きていける。
トマトの色の変化に気付くこと
太陽の熱さを肌で感じること
子猫の寝顔を眺めていること
水の冷たさを感じながら服を洗うこと
ジョンとラッキーの顔をゆっくりなでてやること
一日の終わりに夕日を見送ること
そういうことをしていると今、自分がすごく「真っ当な生き方」をしているような、そんな気になる。
自然を感じることは、都会よりは田舎の方が容易いのだろうけど、そういう視点を常に忘れないでいたい。僕にとっての故郷は、やっぱりトウキョウだから。
平凡な住宅地に暮らしながら、真っ当に生きていく。みたいな。
さて、たまった宿題を片付けるとするか。。
真っ当な一日の終わり。物音がして外に出てみたら巨大ネズミの死骸が横たわっていた。驚きのサイズだ。うちの雄ネコぐらいのサイズがある。そして、まさに断末魔の表情と姿勢。この世のすべてを呪っているような凄惨な最期。おそらくラッキーのやつが一撃を加えたのであろう。腹がかなりグロいことになっていた。
そういうことも、真っ当なことの一つとして受け止められるようになっている。
本を読む。電気を消す。おやすみなさい。
あの躯はどうやって処理すべきか。どうか夢に出てきませんように、、!
、、、そんなことを書き留めてから、パソコンをろくに開く間もなく、一週間が過ぎ去った。
それはそれで、真っ当な平日の過ごし方と言えるだろうか。
そしてまた、安息日。また、真っ当な休日を過ごすとしようか。
明日は、午前、午後と子供たちとの約束が入っている。
真っ当な休日を過ごせそうなことは、どうやらマチガイない。
完熟トマトは、休みが明けて月曜の昼にパスタでいただきました、とさ。(respeto "momoの空")