20131028

ヒトよりモノ


                                                                             16/01/2011, la ciudad de Uyuni, Cementerio del tren





何かを判断する時、

「そのヒトではなく、
   そのヒトの行っていること」


                      を見なければいけない。




誰々がやっていることだから、良いとか、良くないとか。


誰々のやっていることだから、仕方ないとか、許せないとか。



そういうフィルターは、物事の本質を曇らせる。






例えば、

あのヒトの言うことは間違いない、ってヒトがいたとする。

でも、そうではなくて、間違いないことをいい続けてきたから、

あのヒトの言うことは間違いないという信頼を得ている訳で、



順番が逆になっている。

もしくは、途中で目をつぶっている。





その理由は、その方が楽だから。きっとそれだけだろう。





新聞やテレビなどの情報を信じるのも、基本的には同じ構造だ。

でも大抵は間違ってなんかいないし、そう大きくはずすことはない。

ただ選ぶことを放棄しているのであり、それは考えることを放棄するのと一緒であり、


考えることをやめたニンゲンなんて、、、もはやただのアレである。






例えば、

お互い何を言ってもやっても、もう揚げ足を取り合っているとしか思えないような、

そんな反応しかできないくなってるヒトたちがいたとする。

それは多分、どちらも正しくて、どちらも少しだけ間違っている。

過去に決定的な、(それとも一方的な)何かあったのだろうな。

それは議論の中身がどうこういうよりも、人と人との関係性のこじれである。

だから、理論的風な正論を隠れ蓑にしているうちは絶対に解決はない。

そんな状態でどちらかが謝る、なんてことはあり得ない。


ていうか、どちらかが折れるくらいなら、そもそもこじれてなんかいない。





例えば、

あのヒトの書いた記事だから、

あのヒトのプロデュースだから、

あのヒトのブランドの新作だから、

あのヒトが立ち上げた会社だから、

あのヒトの書いた小説だから、

あのヒトの言ったことだから、



、、、それが本当に良いモノか。



それは自分自身で確かめなければいけないことであり、

そのための秤を磨いておくことは怠るべきではない。

それでも、自分の主観を完全に拭い去ることなんてできないだろうが、

そう言えるだけの秤を自分の中に持ちたい。



いいものはいい。

 よくないものはよくない。



ヒトを見るときは、そのヒトが今何を成しているか、今どこへ向かっているか、

そういうところを見るようにしてきた。

それは今も昔も変わっていない。いや、

昔に比べるとだいぶ寛容になってきたとは思うが。

だから尊敬するヒトに先輩も後輩もなく、残念ながら軽蔑するヒトに先輩も後輩もない。



そういう風にありたいし、自分自身もそういう目で見られて構わない。

あのヒトのやることだから、で許されてきた部分もある。




その年にならないと分からないこともあると思うが、

分からないなりに相手に伝えられることも、そのヒトの力ではなかろうか。





棚にあげず。自ら出る杭を打たず。優しいココロをもつ。


この線路を辿り、どこまで行くのか。


いや、むしろ線路すら頼りはせず、自分の足で道を選んでいくのだろう。


相棒はいつだって、傍にいるのだから。


As you stand, Stand by me, So...





                                                                                            El camino hasta el futuro






































以上。




20131025

虹の話の続き

   El día miércoles 30 de noviembre, Casa de la Cultura, Santa Cruz, Bolivia










2012年11月30日(水)JICA BOLIVIA ボランティア隊員総会



朝から強烈な夏の日差しが顔をのぞかせる、真夏のサンタ・クルス。

みんなで力を合わせればこんなすごいことができるんだ、を改めて実感させられた一日。











不完全で未完成の、青い淡い夢。









そして、今回のベストショット。

帰国隊員挨拶。今では町の写真屋さん。






「もう帰る人」のボクらにできること。残せるもの。

一人一人の心に、虹の話の続きを。







(2012年12月記)

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2013年秋。



先日、同期からメールが届きました。

この時、一緒に前に立っていた「もう帰る人」の中の一人からです。

彼女は、もう一人の「もう帰る人」と、帰国後に結ばれることとなりました。



二人とも、同期の中でも特に際立っていた(キャラ立っていた)二人です。

駒ヶ根マジックとかイリュージョンとか、もうそんなのどうでもいいやーのお祭り騒ぎ。







「 結婚式はいいかなって思っていたけど、みなが集うために 」






そういう素敵な二人のためになら、何でもやってやりますよ。

いや、何かやらせてくださいよ。



「 もし、本当に結婚するなら、司会でも4次会のセッティングでもなんでもやっちゃいますよ 」


あの時の自分の言葉にうそはなく、いつだって即解凍できる想いを抱いています。




サンキュー仲間たち。

やっぱり口だけで、ぜんぜん疎遠になってしまっているけど、嬉しいよ。

心からのおめでとう!!

本当に残念だけど、今はトウキョウに戻ることは難しいです。

でも、何か力になれることはないか、考えてみます。




みんな笑顔。でも、おれ目つぶってる。

いつもそんな感じですが、これからもよろしくー




虹の話の続きを!






20131023

冬瓜を知らない人生なんて
















挽き立てのコーヒーの味を知らない人生なんて




三日ぶりに晴れた空の青さを知らない人生なんて



道ばたに咲き出した野菊の可憐さを知らない人生なんて



しげみから空に飛び立つ小鳥の名前を知らない人生なんて



猫の背中をなでた時の気持ちよさを知らない人生なんて



夕暮れ時の海風の無慈悲さを知らない人生なんて



薄暗い墓地の傍を歩く畏さを知らない人生なんて



冬瓜の美味しさを知らない人生なんて



秋の夜長に愉しむウィスキーの味を知らない人生なんて



背景に音楽のない人生なんて



雨に負けぬ花の美しさを知らない人生なんて



誰かのやさしさに気付けない人生なんて




今日という日の夕焼けの美しさを知らない人生なんて
















ぜんっぜん、生きていけるし







でも、この世界のことを少しだけよく知っていたり、

ちょっとした変化に気付く事ができたり

暗かった世界に飛び込んでみたり





そういうことで、そういうことだけで人生は、

ちょっとだけ豊かになるのだろう







今日は曇っていても、きっと明日は晴れる



台風が2つ近づいてきたとしても、いつかは晴れる



そういう日をただ待つのではなく、信じて生きる



次に船が着いたら、浜見舞だ







今を生きる、ということは



人生を愉しむ、ということだ



人生一度きりだ、愉しくやりましょうぜ




知らなくてもいい


でも、知っていたらちょっと世界が輝く


タイクツな世の中に、魔法のスパイスを






” La Vida es linda ”


ウツクシイ人生を






















20131022

羊飼いの少女






































遠く丘の上の空との境目、一途に草を食む羊たちが視界に入る











「こんにちは。こんなところで何をしているんだい、、、?」





「朝からずっと外で過ごしているんだよ」


「もう日が傾いてきたから、お家に帰るところなの」





「君たちはどこの住んでいるの、、?」





「あっち」




「どこ?」





「もっとずーっと向こうの方」





「それにしてもここは、ずいぶんと景色のいいところだね」





「もちろん、ここは世界で一番美しいところだから」






「日本人に会うことはある、、?」





「日本?どこにあるの?」





「ここからは地球の反対側、美しい島なんだ」





「この島と一緒だね」





「そうだ、折り紙って知ってる、、?」










太陽の島"Isla del Sol"


青く澄んだ母なるラゴに浮かぶ島


音の無い砂浜に、穏やかで滑らかな波が打ち寄せる


子豚や子やぎがやさしく草を食む光景を


荒野に立つもの言わぬ野犬や羊の群れを


もう会うことはないだろう人たちのことを


もう訪れることはないかもしれない美しい景色を





秋の夜長にふと思い出す





そういう幾多の景色を通り過ぎ、心の風景となっていること

描いてきた軌跡が、今につながっていること







星の巡礼者達は、今日も荒野を辿り、道を拓く








手を振りながら、丘の向こう側へと少女たちは消えていった









「 世界全体が幸せにならないうちは、個人の幸福はありえない 」





なんて、宮沢賢治のように純粋な精神は、もはや持ち得ない僕だけど


この子たちが今日も幸せであるのなら、

世の中にはまだ希望が灯っていると言えるんじゃないか




20131017

嵐の前の猫








台風が足早に過ぎ去りました。

空気に薫る秋の色が、また一段とこくなってきたように思えます。

日が落ちるのもずいぶんと早くなってきました。






昨晩より、家族、友達、元上司、教え子たちから、メールが送られてきました。

安否を気遣ってのことです。


今のところ、カーブミラーが折れてたり、飛来物が道を塞いでいたりするぐらいで、

ケガや事故などの情報が入ってきてないです。

でも、港や崖の方はきっと大きな被害があるのかもしれない。

学校は臨時休業日。

明日元気な顔を見られたら安心するのかもしれない。



と、いうわけで、

無事です。ただ、こういう連絡はあたたかい。






この島は地形的に超水はけが良いので、大島のような被害には至りませんでした。

ただ、昨夜は本当に家が吹き飛ばされるんじゃないかと思うほどの

強風が吹き荒れ、内地で味わう台風とはちがう、

育ち盛りの台風の勢いを、オールナイトで体感することができました。



島の子は言います。ニュース番組の台風中継で、

「すごい風です、、!」と言ってるのを聞くと腹立つと、、

あの程度の雨風はこの島では、デフォルトです。



そんな島で味わう「何年かに一度」の台風!!

港の様子も半端じゃなかったです。。




旧堤も新堤も荒波にもまれまくっています。

ちなみにこの動画(港のライブ映像)は、青ヶ島村のホームページから見られます。

テトラポットが打ち上げられたり、坂の上の待合所が波にやられたりしたそうです。



兄からのメールにも綴られていたように、

海の真ん中に立つ島なんだなぁと、実感させられる瞬間です。










石垣島に滞在中に、台風に出くわしたことがあります。

育ち盛りの台風の勢い。北上せずに居座る感じ。空を飛べる(飛ばされる)感じ。


ドミトリーから外に出る事もできず

亀田のカレーせんべいで飢えをしのぎ、埋没していた3日間。



そして、その後の青空。

それまでの鬱々としていた気分がそう見せたのか、

それとも嵐が、世の中の諸々をきれいに吹き飛ばしたのか、

強烈な青が、鮮やかに心に残っています。



その日の朝一番で、最南端の波照間島に行き、見た空と宙。


嵐を抜けた瞬間には、きっと鮮やかな景色が待っている。




明日はいい夕焼けと、星空が拝めそうです。





そうそう。今朝平然と鳴いていた鳥たちは、どこへ避難していたのでしょう、?

そしてあの猫たちも。





ちょっとそわそわしていた嵐の前の猫たち。

青い空の下、穏やかな午睡を夢見て。








追加情報です。


外輪山の内側、丸山の麓にある塩工場の屋根が一部吹き飛んだそうです。

さらに、東屋の屋根が倒壊しひんぎゃ(地熱)の蒸し器が使えなくなっています。

キャンプ場の倒木もひどいようです。

外壁に守られているはずの池の沢地区ですが、
やはりそれだけの勢いの台風だったということでしょう。


人的な被害が出ていないのが何よりです。

島の居酒屋で村長さんと話す機会がありましたが、

「こういう台風の時は絶対に島にいるようにしている」と、頼もしい言葉です。

そういえば、台風の前に学校にも声をかけに来ていました。

さすが、青ヶ島の自然の畏さを知る先達です。



伊豆大島での災害は決して他人事ではないです。

一日も早い復旧と、被害にあわれた方々の心身の回復を切に祈ります。


< 2013/10/20 18:20 追記 >

















20131003

季節のバトン












台風一過で、美しい夕暮れでした。


内地は真夏の暑さ、なんてニュースで聞きましたが、こちらはすっかり秋の空。


日が落ちるのが、日に日に早くなってくるのが実感されます。





全てが穏やかに染まっていく、斜陽の季節です。





また新しい台風が近づいていますが、秋の陽がさらさらと注ぐ一日でした。


部屋の中では、リンリン虫(と言うらしい)が、鳴いています。


ハサミムシのような趣ですが、これが非常に美しい音色を奏でます。


虫の鳴き声に秋の風情を感じるは、実に日本的な情緒の現れです。







「 人間が人間である中心にあるものは、

科学性でなければ、論理性でもなく、理性でもない、

情緒である 」




数学者の岡潔さんの言葉です。









「 野に咲く一輪のすみれを、美しいと思う心 」







彼の説く「情緒」を一言で表す有名な言葉。




「 人と人との間に情が通じ、人と自然の間にもよく情が通じる 」

これが日本人なのだとか。



自然が豊か(=人の住んでいる場所が少ない)だと、

自然の小さな変化にも、よく気付くようになります。




少し前に、うす桃色の水仙ぽい花が咲いていた場所に、

今度は白い小振りな花が咲き始めています。

季節の移ろいと共に、次々と新しい種類の花が咲いていくことに気付きます。

季節のバトンをリレーしているようです。

これで一年間観察したら、カレンダーになるんじゃないか。



聞く話によると、はっきりとした紅葉はないそうです、が、


ゆっくり、ゆっくりと、深まっていく秋をたのしみたいと思います。





あなたの住む町には、どんな秋が訪れていますか、、?



20131001

海を越えて届く手紙










この島で暮らしていて、特に不便を感じることはないけど、


会いたいときに、会いたい人たちに会えないことは、


そういえば忘れていた、離島というキョリを感じさせてくれる。








でも、内地にいるときは、いつでも会えたのに、ついつい疎遠になっていたな。


祈るや信じるではなく、つながっていけるように。


元教え子たちからの手紙を読んで、心が動く。




想いを届けてくれて、ありがとう。


本当にありがとう。


今を生きている様子が伝わってくるのが、一番嬉しいです。