20141225

クリスマスケーキ













「 なんだ、? もう、帰るのけぇ? 」









いつでも其処は、あたたかくてやさしい場所だった。


人見知りで口下手と称される彼の周りには、いつも多くの人が集まった。


人が集い、語らい、笑顔がこぼれる場所だった。


妻がお世話になっている。そのご縁で、


さして付き合いの良くない僕にだって、何十年来の友人のような気兼ねの無さで、


其処にいさせてくれた。









今年は、焼酎作りを手伝わせてもらっていた。



麹を混ぜて冷やし、芋を掘り、拾い、運び、つるを切り、洗い、

蒸すために形を整え、蒸し器に入れる、

焼酎のラベルを貼り、封をし、箱に詰める


手伝ったことなんて、大きなシゴトの内のほんの微々たるものだが、


その温かい輪の内側に居られたことの幸せ。







ご自宅で開催されたおつかれ様会。


その少し天井の低い母屋に、本当にたくさんの人が集っていた。


外は激しい冬の嵐。


でも、断言していい。その場に居る全員が心から楽しんでいた。


彼は長机の中心に座り、あまり多くを語らずにお酒を飲んでいたが


本当に、幸せそうに見えた。


「ああ、こういう場をつくるためにこの人は生きているんだな」


みんなが楽しそうにしていることが、心から楽しい。


彼はそういう人だ。だから慕われる。








もし、何年後かにこの島を離れて、


もし、いつかまたこの島に戻ってきたいと思った時に、


きっと、その理由の一つは、彼に会いたいからってことになるのだろうけど、


僕なんかはその想いランキングでは100位以下で、


もっともっとたくさんの人たちに慕われ、想われている。


それでも、トップランカーたちと同様に屈託無く迎えてくれるのだ。









まるくて、やさしくて、そしてあたたかい何かが、その時、僕らを包んでいた。


それは、島桜の木陰にさしこむ春の木漏れ日のように、


秋の柔らかな日差しに照らされた窓辺のように、


いろりで炭を焚きながら語り明かす夜のように、



非の打ち所のない、完璧な幸せだった。












「おはようございます!」



バイクですれちがいざまに声をかけると、ニコッと笑って返してくれた。








それが、僕の最後の記憶です。







その翌朝。





作りかけの焼酎も、絶賛工事中のあの場所も、家も家族も友人も、


クリスマスパーティーのために用意した、食事も飾りもケーキも、


何もかもを置き去りにして、去っていってしまった。





なぜだろう。なぜなんだろうか。





人の命の重さは平等だというけれど、この島では約160分の1



1人1人が重い、本当に重いです。。











ちょうど、その前の晩。なんだか無性に星を撮りたくなって宙を見上げた。






「 なんだ? もう、帰るのけぇ? 」




「 はい、今日は帰ります。 でも、また来ます。必ず来ます。 」




島は、また一つ、大きな柱を失った。




僕はこの、今年のクリスマスの、このあたたかさを、ずっと忘れない。








20141221

今は、美しく見えない

las estrellas de la tierra, la ciudad "La Paz"










夜空には、数多の星が瞬いているけど、
  

たかだか薄雲が空をかすめるだけで、その輝きは失われてしまう。


やがて雲は晴れるのだけど、次から次へと雲が流れてくるので、


結局、なんかいつも見えないような、そんな感じに思えてしまう。




だからね、



もともとの色を、輝きを、忘れてしまってるんじゃないかな。


雲があったって、嵐が吹き荒んでいたって、霧が煙っていたって


宙はいつだって、変わらぬ姿で其処にある。


あなたの頭の上に広がる宙はどこまでも深く碧く、


数多ある星は、何一つ変わらずその光彩を地球に送り続けている。




見失ってはいけないよ。




だって、何一つ変わっていないのだから。


宙の広がりも、夜空の輝きも、きみ自身も。





例えば大きな街に住んでいると、周りの明るさや空気の濁りのせいで


本当の宙が見えないし、むしろその本当を知ることすらないのかもしれない。




でも、いんじゃないかなあ。




きれいに見えるからじゃない。よく見えなくたっていい。


だって、本当のホンモノは、何も変わらないのだから。


本当の輝きを見失ってはいけない。




だから、宙を眺めてみる。




今は美しく見えなくたっていい。本物はいつだって此処にある。




それを忘れなければ。











エルアルトの高台から、ラパスの市街地を眺める。


地上に瞬く数多の星たち。


その一つ一つに、人々の暮らしがあるのだなと思うと、愛おしくなる。


輝きの中には、人の数だけの喜びや悲しみがある。だから、美しいのだ。


ただ、宙を、地上の星を眺める。









今は、美しく見えない。



薄眼を開けて眺めてみれば、美しく見えなくもない。



いや美しい。その美しさを感じる心を失わなければいいのだ。









20141219

南風の冬










先週、職場にアルジャジーラが取材に来ました。

どうも、青ヶ島です。




どうも顔の濃いカメラマンがいるなと思ったら、

役場の方がそう教えてくださいました。

過激派の拠点や、対立の火種があるわけではありません。



住んでいると、ここに日常がありますが、それだけの価値がある。

単純に、魅力的な素材なのだということでしょう。





さて、列島を襲う低気圧の影響で、島の天気は荒れまくっています。

学校が休校になった、今秋の台風以上だという方もいます。

雨は完全に真横に降っています。

ちょっと本当に歩けないぐらいの強風と、時折入り混じる氷雨、あられ。。

夏の雲のように発達した積乱雲が、海の上に浮かんでは流れていきます。



観測している温度計は、ついに3℃を指しました、、

風がめっぽう強いので、吹雪のスキー場に居るような皮膚感覚です。

商店の前に建てられた休憩所の屋根(300kg以上あるとか)が吹き飛びました。

やばいです。




前回の「例年並みがない」話以降、取材をしてみると、

どうやら、あられは毎年けっこう降っているらしいです。

(僕は去年1回と記憶していますが、、)

年によっては、雷が毎晩鳴り響く、穏やかな日が続く、などなど

毎年、様々。



まだ島ビギナーの僕には、まだまだ語れない感覚のようです。





ボリビアでは、南風が吹くと一気に気温が下がり、冬が訪れます。

そこは南米大陸。スールと呼ばれるそいつは、南は南でも南極からの南風です。

南 = 暖かい

みたいなイメージを勝手に作ってますけど、太陽も北の空に登るし、

今は夏まっ盛りのマンゴーシーズンだし、ああそうか。

そんな小さなことだけど、世界は多様でいて、違うってことを感じさせてくれます。

ちなみに、月の見え方も逆です。


季節がカレンダー通りに、というよりかは風一つで変わるところは、

島とサンファンは似ている。

青ヶ島は、西風が海を荒らし、北風がスコリアを吹き上げ窓ガラスを襲う。


今は、猛烈に冷たい北西の風。





「内地の人たちが、雨の日に傘をさすのがおかしい

子どもたちがわりとまじめに言っていた。

この島では傘は無力だ。微力にもならない。

台風中継のあれも意味ないと語っていた。




雨の日に傘をさすことがおかしい、と考えている人がいる。

切り拓かれたジャングルの中に、南風の冬が訪れる。


世界はなんて彩りに満ちているのだろう。



サンファンは今頃、夏真っ盛り。

真夏のクリスマスを迎える準備に勤しんでいることだろう。

道端には鈴なりのマンゴー。それを落とそうと、石を投げる子どもたち。

学校の裏にあったアップルマンゴーの水々しさが懐かしい。

そして、北風の夏休みが訪れる。






そして、師走の青ヶ島。


15の春に向けて。毎日遅くまで学校勉強をする生徒たち。

今年は部活で、毎日(本当に毎日)ボールを追いかけた仲だ。

なんていうか、勝手に思い入れがすごくある。

希望に満ちた1年を迎えるために。自らの未来のために。

今日のゲームデイは、やっぱり楽しかった。





 嵐が抜ける頃にはクリスマス。

そして、2014年もカウントダウンが始まる。




















20141207

理科の窓








昨日の昼過ぎに、あられが降った。

今年最後(と予想される)のかんも掘り。

かんもは青酎の原料となるさつまいも。青ヶ島のソウルフードである。

記憶にある中で、昨年末にあられが1回。雪はない。



どっかりと居座る寒気のせいで、島の天気は大荒れ。

そのせいか、夜中に大雨が降り、風は台風並みに吹き荒れる。

西風を受けうねりは止まず。船は1週間以上着いていない。

ヤマト便は、八丈島に300個!?留まっているらしい。



にわか雨が多いせいか、虹がよく出る。

手前は曇天でも、水平線は明るく雲に陰影が美しい。

何とも不思議な光景だ。



この島に住まい始めて2度目の冬。

今年の冬は(春は、夏は、秋は、)、、去年とはぜんぜん違うなあ、と思いながらも実は平年並みがよく分からない。

ただの平均値なだけで、実際はそんな年はないのかもしれない。

島の人も「今年はおかしい」などと言うが、去年も聞いたような気がする。

毎年がイジョウキショウ。自然というものは常ならぬことが常、といったところか。



理科の授業の始めにはいつも、気温と天気の話をする。

先週の金曜、やっと10度まで気温が下がった。

すげぇ一気に寒くなったなぁで、14度。

9月末には24度の日もあったが基本、15度前後を行き来していた。

快晴はまずない。太陽が照りつつも雲多め、時折雨少々。風強め。霧は音もなく。



台風後の復旧作業で理科室のガラスが入れ替わった。

そういえば、先月八丈島の小学校に見学に行った時に、窓から海が見えないな、と思ったけど、むしろこの眺望に慣れていることが素晴らしい。

自然のパノラマもオンタイムで。

虹の季節はまだ続くかな。






20141203

大切なものはいつでも













を見上げて、歩いていく














青い青い青い、
時に雲が移ろい、高く澄みきった、
柔らかな陽の傾きに、水平線の彼方まで世界を染めて行く、

西風に小雨が混じることもあるが

海から伸びる虹に心奪われる
傘をさすことも忘れる美しい、






だから、今日も、を見上げて歩いていく

いつも歩いている、歩き慣れた道だ

だから、忘れてしまう

歩き慣れた、と思っている道だ
それが当たり前過ぎて、僕らは美しさに見とれ、今日もばかり



ふとした高低差にバランスをくずしたり

昨夜の雨でできたぬかるみに足をとられたり



足元に芽吹く命の輝きに歩みを止めることもない
僕らを支える大地が、いかに力強く、いかに美しいか



それがあまりに当たり前過ぎて、枯れ草のほのかな色づきや、

その朽葉色に芽吹くささやかな緑や、どこか懐かしい土の匂いや、
大地の複雑さ、温かさ、とりとめのなさや、

そういった美しさにあまりに無頓着過ぎる







何だかカラダがぐらぐらしてるのは、足元を疎かにしているから?

何だかココロがふわふわしてるのは、立ち止まることを忘れてるから?

何だか目元が熱くなるのは、信じることを諦めてしまったから?






うつむき下を向く時、はでに転び大地にひざまづく時

大切なものはいつも、自分の足元にあることに気付く


を見上げるのは、いいな、すごくいい

でも時には、今、自分が立っている、大地の温もりを感じよう
自分の足元にある、本当に大切なものを見つめ直そう







目の前にある悲劇は、
俯瞰してみれば喜劇になる



人生を劇に例えたなら、身に降りかかった大小様々な悲劇も、

喜怒哀楽の詰まったストーリーの一つのスパイスに過ぎない








今、自分がここに立っていられることの意味を問い

大地に感謝し、愛することができたのなら





今日も、は青いか?

今日も、君の足元には大地が広がっているか?

そのもろさや、いびつさを慈しむことができるか?






大地に生かされ、に立ち上がる勇気をもらい、前に進む
今、自分の立っている大地を感じ、本当に大切なものを確かめる














君はそうやって、笑顔を取り戻していけばいい

帰ってくる場所は、いつでもここに在るのだから