20120111

最後の虹



 もうとっくに新年明けてますが、、改めて2011年を振り返ってみたいと思います。


この一年を思い返すと、ほんとうに一瞬で過ぎ去っていったような

去年の大晦日に、大家さんと年越しそばを食べたのが本当につい昨日のような、

正直、そんな感覚です。


ですが、


メモ帳を1月から順に眺めてみると、確かに。

この週はこれをやって、この日はこんな風に過ごして、この時はこんなことが起きて、

すべてを写真に残しているわけじゃないのに、かなり細かく鮮明に記憶に焼き付いている。


一瞬だけど、鮮やかに色濃く心に焼き付いている。


パナマのアスキータが、「花火のような一年だった」と言葉を添えていました。

なるほど!いい表現です。


花火が夜空を彩るように、心のフィルターに1枚1枚その光と影を焼き付けていく。


喜びも、哀しみ、憤りも、楽しさも、すべて鮮やかに。


何ていうか、毎週末どころか、ほぼ毎日が花火大会のようなものでした。

少年時代の夏休みのような、そんな1年だったのかな、と感じています。


光も影も、すべてきっと忘れることはないだろうな、と思います。



大統領令によるガソリン値上げに端を発する、国内の混乱。

仲間の無言の帰国。

ネットを通して無機質に伝えられる被災地の映像。

これが日本だとは信じられなかった。

そして、カメルーンからの事故の知らせ。


信じられないことがたくさん起こって、自分でもどう消化していいか。

でも本音は信じたくない、というキモチが強かったと思う。


そんな中でも、ボリビアの人たちはやさしかった。

いや、世界中がそうであったように感じた。

日本の外にいたからこそ、客観的に眺められたこと。


皮肉にも、世界とのつながりをこれほど感じたことはなかった。




大きなかなしみが「影」を落とした1年。

そして、その分強く「光」を感じられた1年。





世界をもっと愛おしく感じられるようになった。

そういった意味では、まちがいなくいい1年だった。









これが2011年の初めに立てた抱負でした。

サンファンの先生たち、子どもたち、町の人たち、

ボリビア社会と日系社会の隔てなく、何も特別なことではなく、

「望まれていること」「今できること」をただ重ねてきただけ。


活動面でいうと、パイロットクラスを決め集中的にクラスに入って活動したこと。

日常的な場面でのアドバイスや、必用に応じた示範授業を行うことができたのが大きい。

半分担任のような感覚で、先生や子どもたちとのキョリもぐっと縮まった。

そして、コムニダへの巡回も続け、その輪を広げられてこと。


「 大きな研修会を開くよりも、日常的な支援が必要だということ 」

「 学級経営と授業改善の、双方向からの支援が必要だということ 」


もちろんまだ途上ではあるが、たくさんのチャレンジを通して、

自分がここにいることの意味をかみしめることのできたことが最大の喜びである。


あと、半年あれば、、誰もが思うこの言葉の重みを今さら感じている。



自分の内面の変化というのは、正直よくわからないが、

それはいずれ、日本に帰ってからわかるのだと思う。

いや、むしろ試されるというべきか。






2011年最後の虹に想いを込めて、

今年1年の諸々をあらい流す。


想いを新たに。

2012年、希望の年に。


「 100%の虹 」 Puerto Iguazú, Argentina,  



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