時の流れは止まることはなく、誰にも平等に。
日の傾く速さが、夕日に染まる海が、
映し出される桜の葉のシルエットが、
今年の夏の終わりを告げています。
夏の名残を惜しむように、浜遊ぶもよし。
残りの課題に追われ、ラストスパートするもよし。
始業のベルは、誰しも平等に、時に無慈悲に。
今年もいい夏でした。
死ぬまでに一度は訪れたい絶景 in the world
ということで、日本人に負けないくらい外国籍の方々が多く参られます。
と、いっても島に入る足がないので数的には少ないのですが、
先日は、オーストラリアより10名以上の団体が訪れました。
たいこつながりです。
宵の口の池の沢、フリースタイルのドラミング&ダンシング、
そして、外輪山の淵から昇る十三夜の月。
完全な月でないところが、いっそう美しい。
島唄、島踊り、島酒。
我が輪になり、大きな和へ。なつかしい感じ。
飲んで唄って踊っている時に、諍う人はいない。
いろいろイロンはあっても、これはpeaceです。完全な。
いろいろゲストの方々としゃべっていると、
「旅の中で新しいグルーブが生まれた」
「仕事以外の時間を大切に、人生を楽しまなきゃ」
「音楽はボーダーを越える」
などなど。感情も感動もストレートに表現してくれます。
「ユーの英語は、スペイン語っぽいなまりがあるね」
これは、、何だか嬉しかったです。
僕の英語レベルは大学入試程度なので、あまり込み入った話はできませんが、
でも、異言語の人とコミュニケーションを図ることについては
経験があるというか、免疫があるというか。
上手に話せなくても、ちょっとぐらいなまっていても、伝えようとすればいい。
中高レベルの英語で、十分なんじゃないかと思います。
それより大事なのは、
伝えるスキルではなく、伝える内容の方。
真に国際的な人間は、自国の文化や歴史を知り、
かつ誇りをもっているものです。
伝えるべき内容、伝えたいという気持ちが持ち得ているかが重要なのです。
もうずいぶん前のことだと思っていたけど、ふいに思い出す時があります。
昼間の熱気を冷ます夕暮れの風に、
人気のない土の道を踏みしめている音に、
夕景を眺め深く息をしている間に、
風に揺られたシャッターのガタガタ音に、
決して戻らぬ時の流れを越えて、一瞬。空間も飛び越えて、ほんの一瞬だけ。
その場に立ち、目の前で、今にもその時を迎えているような、
そんな感覚に陥ることがあります。
決して戻ることはないのだけど、それは鮮やかに。
この島での暮らしも、そういう風になっていくのだろうか。
何気ない日常ほど鮮やかに。
今日は天気がよかったので、尾山展望公園から東台所神社を通って大凸部まで。
尾根づたいを歩いてみました。
これについては、また時間を割いて書きたいと思っています。
青ヶ島の神社やばいすこいです。
夏の終わりの風。
最近、任期という感覚が非常にしっくりときています。
島での生活は、どんどん居心地がよくなってきている。
仕事もどんどんやりやすくなっている。
だからこそ、今できることに、今やるべきことにベストをつくさなければならない。
もっと早く起きてれば、、、海に行っておけば、、、
百合の花を撮っておけば、、、ビール冷やしておけば、、、
写真は、任期終了間近の日曜日。
あまり通ったことがない地区の路地を入ってみた時のこと。
よく行ってた8年生のクラスの子が、お母さんと洗濯をしていました。
学校ではあまり笑顔を見せることがなかった子です。
話しかけると、はにかみながら答えてくれました。
学校での顔と家の顔は違うんだな。
そういうところももっと見て、かかわっていけばよかった。
そう思った日曜日の昼下がり。
できることは、その時、期を逃さずに。
天気のよい日曜には布団を干し、洗濯を。
カチューチンは犬の名前です。
「カチューチンの写真をちょうだい」って言うから
「何それっ?」のラリーを繰り返した後、
愛犬がもう年だから、記念に欲しいとのこと。
「一緒に写っているはずだからくれっ」とジョセリン(5年生)
今はもうきっと、あのカチュー犬は天に召されてしまっているのかな。。
その時に、あの写真が残っていればいいな。
カチューチンの思い出。
それは、時間も空間も越えて、生き続けるのでしょう。
そして、思い出を大切にするということは同時に、
今を大切にするということ。隣にいる大切な人に夕日の美しさを伝えるということ。
いや、ただ一緒に眺めるということかな。