20110225

進め!!



教師は「教えること」のプロである。 

そして同時に「学ぶこと」のプロであるべき。


 野菜嫌いな八百屋さん。

 動物が苦手な飼育員さん。

 子どもがうっとおしい保育士さん。

 正義を憎む警察官。

 国の未来に興味のない政治家。。


八百屋さんぐらいならまだいい。ちゃんと商売してくさえくれれば。
でも対象が、生き物や人間となってくると話が変わってくる。

もちろん、そんなに好きでなかったとしても(例え大好き!とは言いはばかるとしても)、ネガティブな感情が足を引っ張っていては、続かないし、向上もしない。きっとつらいんじゃないかな。逆のモチベーションというのもあり得るが、こと教育に関してはきっぱりと否定したい。なぜなら、教育の根底には”愛”があるからだ。人間愛とでもいうべきか。

人を信用できない人に、人を育てることはできない。

そういった”愛”のない人はやめた方がいい。きっと他にもっと向いている場所があるはずだ。その人の資質を生かせるような。すみません。だれかを批判しているわけではないです。自戒というか、願望をこめて。。


ぼくははっきり言って学校の勉強は好きではなかった。
「学ぶ」喜びを教えてもらっていない、と思っていた。今思うとそうとう傲慢な子どもだ。
こんな子クラスにいたらやりづらいだろう。

でも、そのうち気付いた。その「喜び」は自分で見つけるということを。

教師や仲間ができるのは背中を押すこと。でも一歩踏み出すのは自分の意志でしかない。前へ進んでいくのも自分自身の力。最初はやらされることもある程度必要だろうけど、結局、自分で火をつけるしかない。

話を戻す。

”学ぶことの喜び”を伝えられなければ、教師として失格、とまでは言い過ぎか。力不足ということを自覚しなければならない。全ての技術や教材は、それを伝えるための「手段」でしかない。

いつもお世話になっている、SVのS(U)さんの言葉。

 「”知らない”ということは不幸。”知る”ということは幸せ。
    どちらを選ぶかはその人の自由ということ。
   知った上で選ぶ、選ばないは個人の判断であり、権利である。」

学ぶとは究極、世界を”知る”ということであり、自分の世界を広げる、ということ。
知識とは灯台の灯のように、世界を照らす一筋の明かり。

ひょっとしたら”知らない”ということも幸せなんじゃないか、、と迷うこともある。
世界を知らない限り、自分たちは幸せだと信じ続けていられるかもしれない。

教育の本当の「目的」とは。

まだまだまだまだ、迷いがある。何かを押し付けられるのはキライだし、押し付けるのはもっとキライだ。


ぼくはまだ、世界を知らない。

ぼくはまだ、自分自身を知らない。

だから、もっと知りたい。もっと自分の世界を広げたい。

そうやって自分を向上させていきたい。


齊藤孝(さん。当時は助教授)。大学でお世話になりました。
彼の最初の授業で、

「学ぶとは、憧れのベクトル」ということを掲げていた。

より高いところに向かって、情熱と憧れをもって進んでいる一本の矢。
その姿に憧れ、またそれに寄りそうように自分もまた、一本の矢になる。
彼らしいロマンティコな表現です。が、確かに自身が闇を切り裂く一本の矢であった。
何より、授業が抜群におもしろかった。
こういう授業をしたい。そういう類の憧れ。それが「学び」の始まりなのかもしれない。
ベクトルは時に向きを変え速度を変え、でも最終的に目指すところは変わることがない。

そういう姿を、教師は示すべきだ。


映画「GO!!」のラストシーンで、父親役の山崎努が言ったセリフ。

「世界は広い。まずはそれを知り、そして後は自分で選べ。」

それを言えるような、存在でありたい。いや、そうなりたい。

勉強はあまり好きじゃない。でも”学ぶ”ことは、やっぱり楽しい。
そこに向かって進んでいけばいんじゃないか。

今はそう思っている。

どぶ川に一石





・やれるだけやってみよう!!

・やれることからやってみよう!

・やれることならなってみよう、

・やれることなんてなかったらどうしたらいんだろう、、、

ボランティア活動の4段活用。


もちろん、ボランティアしようっていうのだから情熱や奉仕の心は有り余るほど持参して任国の地に一歩を刻む。
しかし、活動の現実の壁にぶつかっていく中で、たたかれ、けずられ、すり減っていく心。

ぶつかれるならまだいい。悩みや葛藤の中にも変化がある。
変化があるということは、成長の可能性があるということだ。

しかし、すかされたりまるで手応えがなかったり。「自分のいる意味はなんだろう」「必要とされてないのでは」というような仲間の声を最近よく耳にする。

赴任後、8ヶ月。生活にも慣れ、活動もやっと本格的に動き出し、周囲の期待、そしてそれと裏腹のすれ違いも徐々に顕在化してきたのかもしれない。

何よりも活動計画表なるものを策定してしまったがために、自らのノルマを課してしまったということも、焦りや苛立ちに拍車をかける一因となっているのではないだろうか。
カウンターパートや職場の人とよく話し合って、といっても、双方のキモチを100%理解できるような語学力をもつボランティアは果たして世界に何人いるか。

日本で働いていたって、考えを合わせて一つの目標に向かって進む、というのは容易なことではない。会社や課の方針(学校だったら学校の)に合わせて、というのなら可能かもしれないけど。

働いている人は、機械ではない。一人ひとり違う考えをもって、意志をもって生きている人間だ。
どちらかが、完璧に指示に従う、というのなら成立するだろうが、特にボランティア活動においては、主導権は双方にあり、軋轢が生まれるという結果は容易に想像できる。

つまり、「これをやってみたい」が、必ずしも相手の「やってほしいこと」とは限らないということだ。

自分のやりたいことが理解してもらえない、受け入れてもらえない、そのチャンスすらない、、

対象者たちが思い描いているイメージと、主体者の想いとが食い違っている例。
やる気がある分だけ空回り感も相当なものだろう。

「こんなことをするために来たのではない」

もしこんなことを考えるなら、今すぐスーツケースに荷物をまとめて日本に帰った方がいい


とは思わない。

それでもやはり、相手のためにできることを模索するべきである。
やれるだけやれることがほとんどなかったとして(もしくは全くなかったとしても)、それでいいではないか。自分の思いを実現させるためだけに活動しに来ているのではない。

JICAの援助を引き出すおまけとして、代用教員としてしか見られていなかったとしても、いやだからこそやれることがあるのではないか。

これは競争でもないし、だれかがテストしているわけでない。
みんな何がいいか分かっている。
不満はためておかない方がいい。それが明日の活力になるのなら。

ノルマも評価も、自分が決めること。

要請内容も、社会や職場の状況も絶対にみんなちがう。
だれかと比べることに意味はない。焦る必要もない。


もしそれでも、自分が満たされないのなら、自分が成長するしかない。
相手のせいにするのは簡単だ。事実、自分だけが悪いなんてことはない。
でも、人や環境のせいにしてしまったら、成長はない。
もし、その困難を自分の力で乗り越えることができたのなら。
昨日よりも少しだけ強くて、やさしい自分がいる。

人を変えるよりも、自分を変える方が遥かに簡単だ。
自分が変われば、世界も変わる。
そうやって、自分の芯をみがいていけばいい。
いつもそう考えるようにしている。
なかなかそうも言ってられない時もあるが。いやなことは、、まぁすぐに忘れるに限る。
そんなことに囚われてる時間がもったいない。


もっと高いところにある目標を目指す”志”を。


”心”は一人ひとり違う色。

”志”も一人ひとりちがっていい。

でも、一人ひとりの想いはちがっていても、”志”の向きは一つに重ねることができる。


どれだけ互いの接点を見出し、より高いところの目標で一つになれるか。
それが大切なのだと思う。

そんな高尚な活動はしていないけれど、大きく構えていきたい。


写真は、サンタクルスのDDE(旧称SEDUCA・教育局)の前の川。
環境教育する前に、自分家の前の川なんとかせい。

さて、環境問題はやはり教育から。
この国のためにいったい何ができるだろう、、、やれることなんて、、あるか?ムリっぽくね?

どぶ川に一石を投じてやる。
よごれるのなんて覚悟の上。



※これは任国の状況がどぶのようだというわけではありません。いちおう。

20110224

ハナムケ


物語の結末には、いつも紙吹雪、、、とは限らない。

2010年2月23日。一人の同志が、志半ばにして日本へと発った。


なんで相談してくれなかったんだろう。なんで気付いてあげられなかったんだろう。

でも、

誰にも相談しなかったことにも、きっと意味があり、想いがあり
気付いてあげられなかったなんて言葉は、おそらく傲慢だ。

ボクらはいつだって、失ったあとに気付く。
それがどれだけ大切なものだったのか。ふだんは当たり前にしてたくせに。
送ると言った、ピックや弦。いつだって後悔は後からやってくる。

詳しいことは何一つ分からないので、無責任なことは言えない。

でもこの決断は、簡単な決断ではない。絶対に。

キモチを想像してみる。

、、、でもやめた。

絶望感、喪失感、焦燥感、それとも安堵感、、それは本人にしか分からないことだし、こちらが不必要に動揺することは、マチガイなく望んではいない。

だから、変わらず夢の続きを追い続けよう。

誰かの分も、なんてしょいこむ必要はない。自分の足で立って、それぞれの道を進めばいい。
シリアスになり過ぎずに、今まで通りに日々を愉しめばいい。
あなたの口から直接語られるまでは、振り向かない。


唐突感はあるけれど、ずっとずっと、深く深く、真剣に考え、出した結論だろう。
伺い知ることのできる悩みや困難。そして、知り得ることのない闇。

だから、尊重したい。その決断を最大限に。
できることはわずかだけど、今できるのはそれぐらい。

仲間たちは、それぞれの立場で想いを寄せる。
それが温かい。

ほんとはそういうの、どちらかと言えば苦手だったはずなのに。
今はそれがすごく温かい。

理不尽な不幸が影を落としていたとしても、身に降りかかったそれはそれは決して特別なことではない。
誰しもが危うい一本道の上を歩いている。誰しもが、深淵に覗きこまれる可能性をもっている。
それはどこにいたって同じ。例え日本にいたって。

人生はレースじゃない。

多少のルールはあるけど、スタートもゴールも、走るペースも休息も、全て自分が決める。
決めるのはいつだって、自分のココロ。

ココロが折れなければ、いつまでも旅は続く。

だから、いつだって、どこでだって、また飛べるはずだ。


決してラクな道ではないけれど、またこの先で逢おう。
想いがつながっていれば、いつか必ず逢えるはず。

みんなで見上げた夢も、坑道の底から二人で見上げた空も

遥か遠くに思えて、でも手の届きそうなところにあったはずでしょ。


願わくば、帰国の時に空港で紙吹雪を、、いや、シゴト忙しくて来れないぐらいが最高。



決して振り向くな!そして、生きてまた逢おう!

友として、人生の門出を祝う!!

20110219

あと少し






あと少し

届くかと思ったけど

まだまだ遠いなぁ

富士山よりももっと高いところにある

丘の向こうへと果てしなく続く

太陽に強く照らされた道を

ただただ

歩き続ける

道の脇に腰を下ろすと

高度4000mの風が心地よく吹きぬけていく

でも

いつだって

立ちあがるのは自分の足で

立ちあがるのは自分の意志で

前を向いて

自分の足で歩んでいく

この果てしなく長い道を

自分の足で一歩一歩踏みしめる

今この瞬間の一歩一歩が

確実に未来を近づけている

今踏み出したこの一歩が

未来へ近づくための確かな一歩

ならば、がんばるしかないなぁ

どんなに果てしなく感じた道も

振り返ればすべて過去

過去をいくら振り返ったって

過去は振り返ってくれない

ただ前をみて

今を生きる

それがいい

それでいい


今を生きろ!!



20110217

太陽へ続く道




コパカバーナからの船が発着する島の
南岸("zona sur")と島の北岸("zona norte")にある2つの集落。

それを結ぶように、一筋の道が丘の向こうにのびている。



ガイドつきのトレッキングで、3時間。
がんばって(?)進めば、2時間の道程。



まぁ2~3時間、と思って歩き始めたものの、、

崖を登るような急こう配の道に始まり、地平線の先まで続くような終わることのない一本道、

そしてそういえばここ海抜4000mという現実。富士山より高い場所でのハイキング。



しょうじき、しんどい。。。

太陽の存在感がはんぱじゃない。



だからこその"ISLA DEL SOL"(太陽の島)

景色の壮大さと心地よい風が疲れを忘れさせてくれる、、のは束の間で、、

「休みながら歩き続ける」というよりは、「歩きながら休み続ける」の方がむしろ的確か。

ちょっと進んでは景色を眺め、ちょっと歩いては水を飲み、ちょっと歩いては写真を撮り、、



結局半日かけて夕日へと続く道を辿った。

道中では、たくさんの出会いがあった。

同じ道を行き交う旅行者たち。
飼い主なき2匹の犬。
羊飼いの少女たち。
写真待ちの男の子。
草を食むたくさんの羊たち。

そして、心が凪いでいくような景色。



”太陽の子”と呼ばれる、初代インカ帝国の王様が生を受けたというこの島。

何か巡礼の道にも通ずるところがある。



そして、こういうところにもふつう(?)に人が住んでいて、日々営んでいるという事実。

ここで出会った子どもたちは、1年後も2年後も、ずっとここにいると言っていた。

彼らにとってはここが生活の場。当たり前の話だが。


けっこう色々とないけど、本当に大事なものがたくさんある。

彼らはそんな土地で暮らしている。


その日の夜は、いつもよりもちょっと真剣に世界のことを考えてみたくなった。

20110216

世の中変わらない





「 今日も、世界中の笑顔に会いにいく 」



、、、なんて口にできるような初々しさは、もう多分失ってしまったけれど

でもやっぱり笑顔は、いい。

心が通った瞬間のこの表情。


 
コドモはよく笑うけど、

オトナと違って正直だから、心から笑っているか、つくって笑っているかはすぐに分かる。


 
紙飛行機を追っかけて走って、ずっこけて笑う。


 
コドモは社会の鏡。

コドモが安心して笑っていられるような、

そんな社会であって欲しい。


 
もちろんそれはオトナたちの責任であるわけで、

さらに言うと、自分はもう、そのオトナの側にいるわけで、

先週からリーガ・セニョーレス(要するにシニア・リーグ、、32歳以上の)に参加することにしたわけで、、

これはもう、セキニン重大です。

いやむしろ何もしないのはセキニン問題です。

でもいくら不満を連ねたって、世の中は変わらない。

社会に不満をいう立場から、社会を変えていく立場へ。


 
いやむしろ創っていくというべきか。


 
それがオトナの務め。

そんな大それたことではなく、

まずは目の前の人を幸せにすることから、一歩一歩。ですね。


 
そうやって一人ひとりが目の前の人をまもり、幸せにしていったとしたら、

なんかネズミ講っぽいですが。

世の中もっといい方向に向いていくはず。


 
世の中にある変わらないもの。

そういう美しいものをまもっていくこと。


 
国際協力 = 「世界と恋するおしごと」とは妙を得たネーミング。


ぼくたちは、

今日も、世界中の笑顔をまもっていく。みたいな。