20110623

種まく人々

          
            エンコナーダ小学校7年生46人。学校の裏手にある川(濁流?)にて。
            喉の渇きを潤したり、汗を流したり。。ワイルドです。








「どうしちゃったのよキミタチ、、!?」




数か月前、久しぶりに教え子たちの教室にいったら驚いた。

日本で言ったら、学級崩壊の状態だ。。

ここボリビアでは先生の絶対権力が強いせいか、そんな学級はほとんど見たことがない。(低学年では何度か目にしたことがあるが)何もしていない、参加していない、何か他のことで気を紛らせているといった子はよく見かけるが、一応黙って座っている。

これは強権ではなく授業の魅力で惹きつけるべきことで、そのための力添えはまさに自分のシゴトであるのだが、、

新任のプロフェソーラは木の棒を握っていた。それもけっこうごつめの、、そしてリアルに使用していた。

これは何とかしなければ、、

この7年生。去年一緒に「南中ソーラン節」を踊ったこともあり、自分の中でも特別に思い入れのあるクラスだった。




「どっこいしょ」なんて言うかな、、音楽もダサイとか言われたらどうしよう、、

担任の先生からの要請で、教えることになったのだが、受け入れられるか不安は大きかった。

でも、真剣に一途に練習に励む姿。
「どっこいしょ」とは発音できずに「どっこいちょ」になっていたけれど、日本もボリビアも、子どもたちに変わりはないんだなぁと実感させらた経験となった。

だから思わず力も入ってしまう。練習回数を増やしたり、はちまきを作ったり、、、そんなクラスがちょっと全然ちがう雰囲気になっていた。。





よく数えると知らない子がけっこういる。1、2、3、、、??

46人!? それが1クラスに。

確か去年は29人。。それでもここでは多い方だったのに、、17人も増えてるし、、

どうやら7年生に進級する際に、近隣の3つの分校から子どもたち編入してくるという仕組みになっているらしい。それはまだいいとして問題なのは、留年組。けっこうな数がいる。

ここボリビアでは、義務教育において落第制度が設けられている。
家庭の事情によって就学が遅れたり、離籍をしていたりと、日本とは違う事情があるので、制度の是非はおいておく。

学年末には成績の悪い(あえての表現)子を対象にした"Reforzamiento(補習教室)"が開校されそこで何とかフォローをするということになっている。そこでも見込みがなければ、もう一度同じ学年をということなのだが、、実際は指導要領(国としての教育のノルマ)がない状況下で、個々の先生方の裁量で授業を進めているという現状。授業の内容や指導技術についても大いに改善の余地のあるところ。それ故、留年を決めるのは、ほぼ先生の主観ということになる。

だって、ここまで出来たら進級!という客観的な基準がない中で決定を下すわけだから、それにはキケンが伴う。

ルールや基準が曖昧なのに、それで判定を(それも重大な)下してしまうというこわさ。

もともと学力を保障するための制度でしょう。それは一つのモチベーションであって、脅しのムチではない。日々の授業の改善で学力をつけることが前提で、最後は補習で何とか押し上げ、すべりこませるのが教師の力量でしょう。

去年の7年生は2クラスあったが、どちらも成立していなかった。
その中で留年してきた子たちが、今の7年生と同じクラスに在籍している。

当然モチベーションは低い。もともと先生との関係につまづきがあったり、個々に課題を抱えているからの落第である。「一緒になんてやってらんねえよ」の気持ちも分からないでもない。

新しく分校からのメンバーが増える中で、留年組の存在。

これは学級経営は相当難しい。。

46人を2クラスに分ければ解決できそうな気もするが、それできないそうだ。

教育長にも掛け合ったが、申請はしているが学期始めじゃないと難しいとのこと。
部屋は図書室を片づければなんとかなる。でもあと一人の人員配置ができない。


でもやるしかないな。

まずは校長先生を通して、学校全体に情報を共有してもらった。
他に巡回しているクラスにもそれぞれの課題がある。
まずは全体でそれを共通理解し、担任の先生個人でなく、学校全体の問題として捉えること。
それで担任の先生の負担を少しでも軽くしたい。

去年はJICAカレンダーに採用されるほど豊かに実っていた農園が今年は、ザンネンな状態になっていた。職業教育の農業実習の時間、7年生は好き放題遊び回っていた。

そこで、同任地の鶴田隊員(野菜センセイ)とコラボして授業を手伝っていくことにした。初日にさっそくダイコンの種を植えた。

土を均し、手のひらで細かく砕き、そっと、すっと、ぱっと、ざっと、ちゃちゃっと十人十色で種を植えた。

やっぱり集中するポイントはある。遊んでいたのは結局やることがないから。46人もいて毎回ゴミ拾いではそれは飽きてしまう。こちらがいかに魅力的な教材を提供できるか。

その後、教室で残った時間を使い折り紙を教えた。

まずはゴミ箱から拾ったもので。

①折り紙はリサイクルのアイデア
②良く観察して良く聞くことの練習
③想像力を高める訓練

そして、次に冠を作り部屋を掃除していた子にあげる。
ものを大事にする、環境をきれいにする、ということも大切だと教える。

その直後、窓の外にゴミを捨てた子がいた。「おいーっ」

おそらく悪気はない。分かっちゃいるけど、、の習慣なのだろう。 


・まずは意識させ、良い方向に価値づけることから

・そして、どんなことでも見つけてほめること

・計画、指示を明確にオンとオフの区切りをつけること

・さらに言うと、一緒に遊ぶこと


この4つで、クラスの雰囲気は必ず変わる。必ず。それは自分の拙い教師生活でつかんだ確信だ。

それプラス真剣にしかること。授業のおもしろさ。


きっと、いろんなオトナたちからしかられ、棒でたたかれ続けてきたのだろうから、学校はいいもんだということを味あわせてあげたい。それを担任の先生と共有できたら最高だ。



今日、農園を訪れたら、大根がきれいな列になって芽を出していた。

子どもたちは自慢げに声をあげ「ボニートでしょ」と聞いてくる。

こうやって心ってのは耕されていくのかもしれないなぁ


水を撒いたらやることがなくなったので、手つなぎオニとドッジボールをやった。
どちらもあまり体力差が出ないので、どこでやっても好評だ。

少しずつ積み上げていけばいい。

今日も赤土の大地に種を蒔き、水を撒く。


「今年もソーラン節やりたい、、??」と聞いた時の目の輝き。あっすげぇ。

まだ死んではいなかった。去年蒔いた種は、まだ、生きている。




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