前回の続きです。
センセイはどうも話が長くなっていけない、、
「 国際協力は、自己満足であってはいけない 」という言葉がある。
基本ボランティアである以上、出発点は必ず本人の自発的な意思である。
同機は様々あるとして、そのベクトルはすべて対象となる相手(僕らでいうと任地の人々)を助けたいということになるはずだ。
だから活動においても、出発点はすべて対象の立場に立ったものでなければならない。
極端に言えば、自分がやりたいと意気込んでいたことでも、相手に必要とされていなければそれは活動するに値しないということである。
現地で望まれていることと、自分のやりたいことの接点を探すことがまず第一。そして、自分にできることを増やしていくことが望まれる。それは語学の力であったり、専門性であったり。
自分のやりたいことをやって満足感を得るだけなら、それは国際協力とは言えない。
自分が楽しかった、自分のためになった、最終的にそれが残ってもいい。
でもそれは目的ではない。
だから、その効果と成果を具体的に評価し、かたちや数字で表す必要がある。ものを作るというのは分かりやすいが、それを持続可能な支援につなげるのは簡単ではない。
かといって考え過ぎると何もできなくなる。この自己完結型はもっとサイアクだ。
先週はサン・ファンの日(聖ファンの祝日)があり、市役所主催のお祭りが開催された。要するにいろんな催しがある中で、それを肴にビールを飲むということである。市役所配属なので当然その手伝いをすることになった。
会場でビールを売り、空き瓶を回収し、酔っ払いにからまれ、ごみまみれの会場に辟易し、、
「こんなことをするためには来ていないなぁ」とは思った。
ビールを残す。ソーダを残す。食べ物を残す。ごみはそのまま捨てる。。ぜんぜんお金持ってんじゃないか。日本が資金を出して援助する必要なんてないんじゃないか。
スール(南極発の南風)が身に染みる。アルバイト感覚で使われていることにも若干の苛立ちがあった。まぁ一年に一度のお祭りだから、かと思えばそうでもない。結構いつも祭りのイメージがある。
すぐにばっくれようかと思った。でも、ここで途中で帰ったり諦めて何もしなかったら、それは「自己完結」になる。
まずは会場のゴミを拾いにいった。焼石に水であるが。
広場を1周。30分で大きな袋が満杯になった。自分の心も少し満たされた。
でもこれではまだ「自己満足」に過ぎない。
自分の気持ちをすっきりさせるために、思い付きで行動しただけだからである。会場は少しきれいになった、かもしれない。でもそれは、後には続かない。
ボランティアがただゴミ拾いをしただけでは、ボランティアがいなくなったら後には何も残らない。
待っていてはだめだった。
一緒にやること、具体的に指示すること、そしてそれを評価すること、つまり褒めて感謝するということ。
手伝ってくれたお礼にお菓子をあげた。「それの包みはゴミ箱に捨てるんだよ」そうやって少しずつ学んでくれればいい。
「そこにある水道で手を洗うんだよ」
でも、まだこれは「国際協力」とは呼べないかもしれない。
もしこれを小学校とタイアップしてできていたら。
本当にキャンペーンをしなきゃならないのはこういうイベントの時だ。
翌日にみんなでゴミを拾いに行って、そのひどさを再確認するのもいいかもしれない。
ゴミの分別の仕方なんかを学ぶのもいい。
食べ物のゴミの多さを知れば、そのまま捨てない方がいいと気づけるかもしれない。
教えるのではなく、必要性を気づかせること。
そういうもっていき方をすれば、これはこれからも続く意味のある活動の始まりになる。
拾ったゴミの袋はオフィスにキープしてある。
これを小学校でぶちまけてみるのもおもしろい。
「これはすべて広場で拾ったもの。これがもし学校や教室、自分の家、もし部屋の中にあったらどう思う、、??」
そうやって問題提起していけばいい。誰だって知っている。ゴミをその辺に捨ててはいけない。風で飛ばされてどこかに消えてなくなるとでも思っているのか。でもその「なぜ」を実感させるのが教育のシゴトだ。教科書で学ぶことではない。そして、次のイベントでの活動につながれば。
ここまで計画を立てて実行すれば、これは「国際協力」と呼べる。
必要とされていることを、任地の人たちの願いをもとに、共に計画し実行する。
子供たちと一緒にゴミを〇袋集めた。イベントの後、広場がきれいになった。次回のイベントでも実施、となればこれは素晴らしい。
「国際協力は自己満足であってはいけない」けれど、ちょっとくらいは満足感が得られなければやってられないのも事実。
要はその問いかけと、バランス感覚。
相手のために自分をコロし続けるのも長くは続かない。だとすると、自分のできることの幅を広げるのがベターな解決策か。
「自分がここにいる意味」をちょっとわかったような気がした長い夜。
極寒のスールに吹かれながらのゴミ拾い。それが国際協力のスタートライン。
いつもの通勤路。シルコは消えても、風に飛ばされた昨夜のゴミがいたるところに、、ウユニの線路脇のワイルドフラワーを思い出した。
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