「世界がもっと平和にならないかな」そのために自分にできることは。 海原を漂う一本の流木のように、漂うままに広い世界を。そして海のないボリビアから浅草、そして青い島へ。まじめなことからフマジメなことまで。小さな島から日本を、そして世界を想う。
20110421
惜しまれながら
惜しまれながら散っていく~ 英雄にあこがれ~♪
惜しまれながら去っていく~ 先輩にあこがれ~♪
去る3月23日(水)
サンタクルスのビルビル空港より、20-4の先輩隊員たちが日本へと旅立った。
すごくお世話になってきた先輩隊員たちとの別れなので、何と言っていいかすごく寂しいような逆に背中を押されているような不思議な感覚だった。
「一生会えないわけじゃないし」
でも、きっと、簡単に会うことはないのだと思う。
だとしても、そういう出会いと別れを繰り返して人は成長していくのだから変に感傷的になる必要はないのだろう。
僕らも1年後は次の任地へと旅立つ身。ここに残り、通り過ぎていく旅人たちを見送ってきた人々の想いの方がずっと切ない。
この日からちょうど1年後。どんな気持ちでこのゲートをくぐるのだろうか。
次の桜は日本で見るのか、等と考えると妙に郷愁にかられる。
「日本に帰ってからが、この2年間で学んだことが試されるとき」
日本に帰ってから次の進むべき道を模索したり、震災の情報に胸を痛めたり。
実際に行こうと思えば行ける距離にいるだけに、きっと葛藤は大きいのだろう。
今の自分に何ができるのか。残酷なくらい問われる瞬間だ。
でもきっと先輩たちは、悩みながらも自分の道を切り拓いていくのだと思う。
そういう強さをもった人達だったから。
僕は帰ったら帰国したらすぐに職場に戻り、4月からはまた担任として新しいクラスを受け持つことになるだろう。それは今はすごく幸せなことだと思っている。
ここでの経験を次は日本を元気にするために使いたい。次のことを具体的に考えられるのは、現職参加の強みかもしれない。
そのための今を。いや、結果それが役に立った、というニュアンスの方が正確か。今はこの国の人々と共に築いているのだから。
活動もどんどん加速がついてきた。終わりを意識したのは初めてかもしれない。
最後に、2つ。
技術移転というのは、何も現地の人に対してだけではないと思う。
隊員の技術や想いを、後輩隊員に引き継ぐというのも、立派な技術移転になると思う。
想いを継ぐものが、これからも任国で活動を続けていくのだから。
今回の先輩隊員たちのインパクトは相当なものだったから、僕らが学ぶべきことはたくさんあった。その意志をこの国の空の下で、引き継いでいきたい。
そしてそれを、次の世代にも。
もう一つ。
英雄には憧れるが、散ってはいけない。
必ず何があっても生きて帰る。
究極はそれだけでいい。
さぁ始めますかー
何て考えてたら、20-4を見送ってもうすぐ1ヶ月、、、このペースだと1年なんてもう。。
立ち止まる暇はない。さぁ行こう!
20110420
世界はなんて美しい
空の話の後から、何だか気になって空を見上げる機会が増えたように感じます。
そうすると、必然的にいい空に出会える確率も増えて来るわけで、
いつも見ていたはずの夕焼け空でも、あぁこんな景色があったんだなと思わずカメラを構えてしまいます。ノスタルジックな情景です。日本に還った後も、きっとこの景色を思い出すと思います。実際、昼間の太陽に照らされると、そんなに整った景色ではないのですが。
昼間の影が焼きつくような暑さも、よく考えたらいろいろといけてないんじゃね?ってことも、日が暮れ逢魔が時になると、何だかすべて美しく郷愁をもって見えてくるから不思議です。
それで今日もいい一日だった、と思えるぐらいだから、自分は本当にしあわせだと思う。
世の中には、それだけじゃ癒せない深い悲しみが在るのですから。
意識化するって大切なんですね。
空を見上げることで、仲間たちとのつながりもなんだかふとくなったような気がします。目には見えないんですけど。
ボリビアの仲間からこんな内容のメールが送られてきました。
以下引用です。
「実は、何も無い私だけど一つ自慢できることがありまして、、、。それは「人運」なのです。今回も、やっぱりみなさんとこうして出会えているということで、改めて自分の[人運]の強さと素晴らしさを確信しているところです。ご先祖様や、神様、出会えた皆様に感謝です。」
出会いに恵まれているということは、その人自身に引きつける何かがあるのだと思います。
ごくまれに、会う人を不幸にしていく類の人もいますから、、やっぱりその人の人柄、人徳だと感じます。
それぞれの心地よい距離感ってのがあると思います。
僕はどちらかというと集団行動は苦手です。
が、心のキョリというのでしょうか、そういうものってちゃんと伝わっていくのでしょう。
それに、多分メンバーが多少ちがっていても、きっと同じくそれぞれのバランスで最高のチームになったんじゃないかな、と思います。それは教室の中でも言えることで、誰々と一緒だからではなくて、このクラスを最高のクラスにする。そういうことなんだと思います。
「あなたに会えてよかった」と思ってくれる人たちと一緒にいるのは、幸せなことです。
それは友人でも、恋人でも、ボランティア活動にも言えることで、
こんなやつと仕事したくない、こんなところで働きたくない、こんなことしたくない、、、などと思っているうちは、周りが助けてくれることは決してないでしょう。
意識するのと、無意識なのに関わらず、まず自分が愛することで周りは変わっていくのだと思います。
そんなうまくいくことばかりではないでしょうし、どうしようもない出会いもあるでしょうが、、、様々な出会いを通して人は成長するのですから、やっぱり出会いには感謝したいなぁと思う今日この頃。
これから先あなたは、どんな空を見上げていくのでしょうか。
今、目の前にある困難もすべて自分の糧にすることができたのなら、きっと世界は味方してくれる。
そう信じています。
今日もいい夕焼け空でした。
世界はなんて美しい!
20110419
空の話の続き
結局いつも、一番何かをもらっているのは自分かもしれない。
『4月7日の空』を撮りませんか、、?
この呼び掛けに対して、50人以上の仲間から世界中の『4月7日の空』が贈られてきた。
遅くなりました!と、メッセージが届く。それは1週間経った今でも続いている。
"picasa"上に作成した『4月7日の空』ギャラリーは今、世界各国の空で埋め尽くされている。
3月に入り、ニジェール隊の突然の退避帰国。
それと前後するように、東日本を襲った大震災。
仲間の無言の帰国に何もできない日々。
そして、同期隊員との突然の別れ。。
他にも他にも、言葉にできない悲しみや苦労を抱えて迎えたこの日。
言葉を失うような日々。
みんな、おそらく何かしたいと考えていたはずだ。
伝えたい言葉も、想いも、心の中にぐっとため込んでいた。
でもそれを、どう表現すればいいか。どこへ表現すればいいのか。
やっと活動が軌道に乗り始め、慌ただしい日常を過ごす人も多かったのではないか。
逆に頑張り過ぎて、思いがけずお休みをもらっている人も想像以上にいるのだろう。
きっと皆もやもやとした気持ちの中で、日々を過ごしていたのだと思う。
ジャマイカの隊員が綴っていた、ネットを離れれば、の幸せ。
自分もきっと同じです。
だから空を見た時、一人ひとりの詩を読んだ時、心に染みた。
写真もそうだが、そこに添えられた一編の詩に心を打たれる。
いつもそこにある、見慣れた空。
突き抜けるように青く青く澄んだ空。
どんよりと雲が垂れこめた鈍色の空。
夏の到来を感じさせる空。
教室を抜け出した子どもと一緒に見上げた空。
妻が贈ってくれたいつか二人で見上げた春の空。
いつも物思いにふける空。
一年前の駒ヶ根のような小雨まじりの曇り空。
そして、雨上がりの夕焼け空。
子どもが切り取る、誰にも真似できない空。
慌ただしい日常の中、レンズ越しに切り取った空。
穏やかな日常に感謝したい清々しい空。
エベレストと共にある神々しいまでのアカネ空。
帰り路に見上げた夕焼け空。
部屋を出るとそこにある満点の星空。
そして、夜明け前の空。
まだまだ、、抱えきれないほどの空と、想いがそこにはあった。
「そうだ、この空は世界とつながっているんだ」
KTCに入所してからちょうど365日経った、この日。
みんなで空を眺める。
その行為に何か意味があるかと問われると、
おそらく、ない。
ただ、その行為に意味を持たせることはできる。
一人ひとりの物語を綴って、想いを紡いで、志をまた一つの方向に向けることはできる。
心や夢は一人ひとり違っていても、人はその想いや志の向きを一つに重ねることはできる。
例えそれが、空を見つめるわずかな瞬間であったとしても。
僕たちはいつでも、あの場所に還ることができるはずだ。
きれいごとじゃすまない世の中です。でも、もう一度信じてみたいんだ。
力を失いかけた一つひとつの言葉をもう一度。
いつも下ばかり見て歩いているわけではない。
いつも空ばかり見てぼんやり過ごしているわけではない。
この空が世界とつながっていることを感じながら、
この瞬間の世界中の仲間や大事な人たちのことを想いながら、
今を生きる。より愉しく、美しく。
この空をまたいつか共に見上げる日まで。
必ず元気で。また逢おう。
それが今の僕にとっての「夢」とか「希望」
みんなの言葉読んで感じたこと。
スペシャルサンクスは22-1モロッコ隊員の太陽に一番近い男。
彼の企画にインスパイアされました。
今回はすんません、、次回もしよかったら参加してくれます、、??
うちらの「夢」は際限なく広がってくんでー^
『4月7日の空』ギャラリーはこちら。
↓
https://picasaweb.google.com/104975715258074198131/tOqDpI#
20110415
『4月7日の空』
5分歩けば目眩がするような、真昼のつよい日差し。
空の色や雲のかたち、そして自分の影が強烈なコントラストを描いている。
ここは一年中、夏真っ盛り。蚊も湿気も夏真っ盛り。
小さな町を少し歩けば、そこら中から声をかけられる。
この町の人達はみな、ちゃんと名前で呼んでくれる。
そういつながりを持てたことは、かたちのない通知表のようなものである。
与えられた環境に感謝しつつ、次のステップへ。
そういえば、
いつも見慣れている、この青い青い空をじっくり眺めるなんて久しぶりかもしれない。
太陽が雲に隠れたその一瞬、ぼわわーっとその周辺に丸い環が輝いた。
そして数秒後、雲間から光がもれた。神々しいまでの輝き。
この空も、宇宙の一部なんだな、とちょっと大げさに感動してしまった。
でも、いつも見ていないだけで、自然はいつだって様々な表情を見せている。
人間だってその一部で、自然と共に生きる生かされているという感覚。
そういう自然のアタリマエ。そういうものを、もっと感じていきたい。
『4月7日』というのは365分の1のただの記号だけど、そういう言葉にも一つずつ意味を与えることができたのなら、僕らはもっと今をつよくやさしく生きられるんじゃないか。
力を失いかけた言葉にだって、もう一度。
今日は、「そうだこの空は世界とつながってんだ」を想う、記念日。
ボリビア 中野陽太郎
20110405
永訣の空
Kさん
僕がきみと始めて言葉を交わしたのは、KTCへと向かうバスの中だったね。
2010年4月7日水曜日。あの時は小雨が降っていたっけ。
第一印象で覚えていたこと。
きみの向かう国のこと。幼稚園で働いていたということ。そして、強い意志を秘めた眼差し。
その後、同じ班のメンバーとなり、きみの意志が本物だってことがよく分かった。
はにかむような柔らかな笑顔と穏やかな言葉の奥に秘めた志。
きみなら、きっと理想の幼稚園を作ることができる。
いや、理想を託せるならこういう人だな。そう思わせる何かがあった。
僕は、本気で市長にだってなれるって思ってたよ。
「死んだらいい人」って言葉はウソだと思う。
だって、きみは始めて言葉を交わした瞬間から、尊敬すべき仲間であり、みなに愛される存在だったからだ。
誰よりも机に向かっていた時間は長かったんじゃないかな。
でも、みんなで集まる時には必ず、きみの笑顔がそこにあった。
バレーボールの奇跡の優勝も、きみのトスのおかげだ。
サーブがやさしくてジェントルマンだったこと。
でも本気を出したら強烈なスパイクを決めてたよね。
そういうきみの性格、、らしいなぁ。
文化祭。みんなで女装して、オオケガしたのだって今となってはいい思い出だ、、笑
毎晩の長い点呼、と称した他愛もないおしゃべり。
毎日顔を合わせて、もう家族みたいな感じだった。
勝手にそう思っていた。だから、こんなに早くお別れが来るなんて思っていなかったんだ。
あれが最後の点呼になるなんて思っていなかった。
今という時を大切に、なんて言葉。いつだって失ってから気付くんだ。遅すぎるよ。
きみからもらった言葉を、そのままきみに返したい。
「あなたに出会えたことが 僕の財産です。 本当にありがとうございました。
あなたの国の人たちは あなたに出会えて、絶対に幸せだと思います。
もう一度、ありがとうを言わせて下さい。本当にありがとうございました。」
こんな言葉をもらっていたんだなんて改めて気付いて、心底泣けてきた。
もちろん自分のやってきたことに自信はある。いつだって真剣だ。
でも、まだ、そんな言葉をかけてもらえるような、大層な人間じゃないよ。
「班長みたいな園長をめざします」
でも、だから、
きみのその言葉。背負わせてもらっていいですか?
「あなたみたいな先生をめざします」
穏やかな笑顔の奥に秘めた、あつい志。
言葉少なく、そして努力を重ねる不言実行の姿勢。
そして何よりも、人と人との絆を大切するKさん。
子どもたちが豊かな心を育んでいけるような、そんな学校を作りたい。
校長なんてなりたいとは全然思わなかったけど、理想の学校を作れるのなら、それも悪くないと今なら思える。
自分はまだ何もなしてはいないのだけれど、きみの志を背負いたい。
その覚悟はあります。
僕はよく感情に流されたり、つい言葉が過ぎるところがある。サーブだってガチで撃って女子を泣かせてしまうことだってさ、、反省。まだまだ見習いたいところはたくさんある。
だからきみの想いを背負わせてください。
最後に、
みんなからもらったメッセージカードの中で、きみのだけがちがっていたんだ。
その時は慌ててたのかな、ぐらいにしか思っていなかったけど。
それは、多分何かのサインだったのだと思う。
僕たちは世の中に溢れるそういう予兆にもっと気付くべきだし、やはり今ともっと真剣に向き合うべきだと思うんだ。
今僕の住む町では、夜空に南十字星が輝いている。
空を眺める度に思い出す。
僕らは絶対に忘れない。
だからきみはずっと生き続ける。
僕らの中でずっと生き続ける。
最後にもう一度だけ言わせてください。
本当にありがとう。
22年度1次隊 駒ヶ根訓練所 4班班長 中野陽太郎
きみの言葉を一つ一つ噛みしめています。おそらくみんながそうあるように、自分自身もまた、言葉にできない悲しみに想いを綴ることができずにいる。
でも何よりも、知らせてくれてありがとう。知ることができてうれしい。悲しいけど、うれしい。
家族の方や仲間たちにどんな言葉をかければいいのか。己の言葉の無力さを痛感する。
国代表の方。全体に送るメールをどんな想いで綴り、そして送信ボタンを押したか。
ただただ、感謝の言葉を述べるだけです。そして、遺族の皆様へのご配慮にも感謝いたします。
もしこの言葉が彼の元に届くのであれば最高の幸せです。そして、同じ任国のみなさん、特によき隣人であり4班の班員でもあったK丸くん。4班の代表として、しっかり彼を見送ってあげてください。班長、いや監督命令です。どうか、よろしく頼みます。
死んだように生きるのではない。
今を生きるのである。
過去と向き合えない人間は、今を生きることはできない。
今を生きる人間は、自分の未来と向き合うことができる。
だから前を向こう。過去は変わらない。
今できることは、顔を上げて、前を見て、立ち上がること。
一歩踏み出すこと。
おおげさかもしれないが、生きる。
今をより愉しく、美しく。
Kさんのお別れに臨んで、安らかなご冥福を心よりお祈りいたします。
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