「世界がもっと平和にならないかな」そのために自分にできることは。 海原を漂う一本の流木のように、漂うままに広い世界を。そして海のないボリビアから浅草、そして青い島へ。まじめなことからフマジメなことまで。小さな島から日本を、そして世界を想う。
20101029
彼の魂を
チェの遺体が約30年間埋められていた(隠されていた)場所。
町はずれの墓地の脇にその入り口があった。そして張り巡らされた金網と鉄条網、そして鈍い光を放つ鎖と南京錠。。
死してもなお彼を閉じ込めておくつもりか、、
重たい雲が張り付いた空には切れ間すらない。
脇の牧草地にもぐりこみ外側から眺めてみる。なんとも趣味の悪い建物は、現政権が建てたものらしい。ちなみに遺骸は今はキューバに移されているそうだ。
この墓所を見渡せる場所にあるレストラン店主のファン・カルロスが言うには、墓を掘るやつがいるから仕方なくカギをかけているのだという。
彼の魂はこんな金網なんか越え、海を越え、国境を越え、人種を越え、今も息づいている。
彼の魂を、こんなちんけな金網と鎖で閉じ込めることなんてできない。
誰も彼の意志に鎖をかけることなどできない。
チェの最後に見た景色を。
彼の歩んだ道を。
"RUTA DE CHE"
イゲラ村へ続く道。彼の「帰らぬ旅」。そして、最期に見た空。
結果論でいうと
彼 "Jose Luis"との出会いによって、旅は面白い方向に転がっていくことになる。
寝る前にコーヒーが飲みたいと無理やり店に入る。
誰にでも話しかけてすぐに仲良くなる。
タバコetc.を薦めてくる。
できるだけ金をけちろうとする。
「時間はある」が口癖。
彼はコチャバンバ出身で、その後世界を転々としカナダに住んでいたこともあるらしい。
英語、フランス語も喋れるインテリヒッピーだ。
サマイパタで"CASA DE AMIGOS"というカフェを経営しているらしい。
翌朝、バジェグランデの町を散歩しながら、町の人々に聞き込み。
チェの遺体が隠されていた墓所に辿り着く。
行き当たりばったり過ぎてカギが開いていない。
仕方ないので、隣りの牧草地に忍び込み金網の外側から眺める。
その後の聞き込みで、町の人たちはほとんどチェについて知らないということ。
そして、どうやらイゲラに行く手段はほとんどないということが判明した。
彼はお金を使いたくないので、タクシーを借り切ることを嫌がっていた。
そんなこんなで、町のはずれのはずれのはずれにある、ガソリンスタンドへ。
どう考えても何かが始まる気配がない、、
どうやら3~4時間まてば、何か車がくる「かもしれない」らしい。
彼は言う。「時間はたっぷりあるだろ?」
「携帯電話をもっているだろ?帰れなくなったと電話すればいい。」
どうやら別れの時だ。
伝えたいキモチが溢れているとき、自分でも信じられない勢いで言葉が放たれるものである。
必要は何とかの母というやつか?言葉はハートだということを改めて感じた。。
フェリアの準備でカウンターパートにキれて以来2度目のキセキだ。
ラモスおれる。50Bs.までなら出す。。
道行くタクシーを片っ端からつかまえて交渉し、1日貸し切り150Bs.
いざ、イゲラ村へ。
フィデルとラモス
到着したのは、町はずれのバスターミナル。
辺りは真っ暗。しんと静まり返っている。
腹も減ったがまずは宿を探さねば。
取りあえず中心(っぽい方角)に向かって丘をのぼっていく。
この道であっているのか、、見知らぬ町。独りで歩く夜道。月影が鮮やかだ。
でも不思議だ。不安よりもその状況をむしろ楽しんでいる自分に気付く。
今のところ安心はない。が、自由はある。
この道を登るか下るか、誰に話しかけるか、そして自分自身何を選択するか。
そういった類の自由だ。
旅の目的は決まっている。
ただ、そこに辿り着くまでのルートは無限に存在している。
何を選び、誰と出逢うか。それによって旅の行き先が左右されていく。
そういう愉しみが一人旅にはある。
この後、町中のホテル、レジデンシア、アロハミエントことごとく断られることになる。
それもそのはず。3連休を利用して飛び出したのは、他の旅行者たちも一緒。
数多くあった全ての宿が満室。うーんこれは困った。ついに野宿かな、、?
夜の街の雰囲気を楽しんでいたが、そのうち街角でたむろしている人影が全て悪者に見えてきた。
1時間以上歩いたか。でも何とかなるかな。そんな気もしていた。
そうして辿り着いたゲリラのあじと。
"La Pasada del Guerrillera "(ゲリラの闘争)宿屋兼BARの看板が目に飛び込んだ。
店主のフィデルは残念そうに満室を告げた。
しかし、チェに会いに来たと告げるとどこかに電話をして地図を書いてくれた。
「ここに行けば部屋はある。オレの名前を言えば大丈夫だ。」
店を出ると、あやしげなヒッピーが声をかけてきた。
どうやら彼も宿を探しているらしい。どこかで見たような穏やかなラモスだと思ったら、
来る時のミクロで途中から乗り込んできたヒッピーだった。
そしてただでさえ少ないカンポに、後ろからかばんで攻勢をかけてきた。
ちょっとうざいなぁと思っていた、、
「じゃあ一緒に行きませんか、、?」
彼を信用する要素など何一つなかったが、きっと困っているんだろうなぁ。
気付いたら、なぜだかそんな紳士的な言葉をかけていた。
どうしちゃったのよ?オレ!?
20101001
7時間と無敵の言葉
9月24日(金) 目を覚ますと外は滝のような雨
どうやら停電もしているようだ 暗闇に響く激しい雨音
”エルネスト・チェ・ゲバラ” 彼についてぼくはまだ何も知らない
映画を見たり小説を読んだり 彼の人生をただなぞったような情報なら持っている
でも彼がなぜ? どのような? 思いや理由で別れの手紙を書き この地を選んだのか
彼はボリビアの民のことを想い 命をかけて夢を追い求めた
レベルは遥かに違うが同じくボリビアの人々のために働こうとしているぼくは
それを知らなくてはならない いや 知る義務がある
と かっこつけるとそんな感じだが実際は、、
彼が最期に見た景色は空はどんな色だったのだろうか、、それをただ見てみたい
旅を始める理由はいつも そんな感じだ
サンファンの"parada"(停留所)からTRUFIで ヤパカニ経由サンタクルスまで。
"TINKU"(ボリビア隊員による情報紙)の情報は的確だ
歩いて3環まで行くとYUASAの看板の隣にはずらり(というほどでもないが)バス会社が
どうやら着くのが遅かったようで午後の便しか残っておらず 35Bs.でチケットを買う
座席表に名前へ書くように指示されたが そこに席は存在していなかった
バスに乗り込み納得、、
マイクロバスの運転席と助手席の間のスペースに座れ というわけだ
背もたれなし 横によりかかかるところもなし うとうとすることもゆるされない
「いてっ」 ギアチェンジの際 運転手のおっちゃんの手が激しくヒットする
まだ「まし」という言葉は無敵だと思った
背もたれがあるだけまだ「まし」 座れるだけまだ「まし」 天気が薄曇りなだけまだ「まし」
美味しいビールを飲めるだけまだ「まし」 昨日の夜シャワーを浴びれただけまだ「まし」
聞きたい音楽を好きな時に聞けるだけまだ「まし」 写真で好きな景色を切り取れるだけ「まし」
そして、生きているだけで何よりも「まし」だ
これからの暮らしにおいても まだ「まし」という言葉があれば
何があっても何とかやっていけそうだ。。
途中で人や物を乗せたり降ろしたり
坂道では歩いたほうが早いんじゃないの?というぐらいの
かたつむりのごとき歩みでひた走ること7時間(ちなみに帰りは休憩なしで5時間で)
VALLEGRANDEの町についた時には夜はとっくに更けていた
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