20110119

ふしだらなチョリータ








新しい町に着くとまず、地図を片手に歩くことにしている。




だいたいの町の雰囲気を地図で確認したら、後は足の赴くまま。
自分の足で広さを確かめ、自分の肌で町の空気を感じる。

これはけっこう重要なことではないかと思っている。

取り立てて美しい!とか、すごい!とかいうものはないのだが、
歩いているうちに、その町に流れる空気を自分なりに理解することができる。

もちろん時間の有り余る一人旅ならではだが、要所要所をムダなくかけぬけていく予定調和の旅では絶対に得られない経験ができる。

旅をする感覚が研ぎ澄まされていくのが分かる。

それは何かを”選ぶ”感覚が磨かれていくということであり、
目の前にある平凡で、時に彩りに満ちた自由を”たのしむ”感覚が培われるということでもある。
さらに言うと、不自由や不便、困った感すらも”たのしむ”力を取り戻していくことである。

最初、負け顔だったのが、少しずつ自分のカオを取り戻していく。
いい旅にはそんな作用があるのではないか。

まぁ要するに、、せっかく旅に来ているのだから、シゴトみたいに予定や時間を気にせずにたのしもうぜーそうしてリフレッシュしようぜーということです。

旅をするということは、選択の連続によって紡がれていく。

そのうち自分の選択に自信がもてるようになっていくのだから不思議だ。

それは人生にも似ていて、

ちゃんと自分自身の想いと責任で選んでいけば、自分の生き方にも自信がもてるようになってくる。
あーっちゃんと生きてる的な感覚。

もちろん日常でそういうことができる人はサイキョウ、、!!


話それましたが、、2日間町を歩きまくり、カンチャ(市場)を巡り、カメラを出すタイミングに気を使い、教会の前でコーヒーを飲み、クリストの丘に登り、リリウニの温泉(プール)に若干がっかりし、タキーニャを飲み、この町をみんなが住みたいという理由が分かったような気がした。

みんなの言っていた"Clima bonita"(気候が素晴らしい)の感覚がよく分かる。
日差しは強いのに、サンタクルスのように湿気がないので、さわやか。
花も緑も鮮やかで町全体がなんか明るい。いい町だ。

そう、さわやかなんですコチャバンバ、、!そして適度に都会!なのに物価も安い。


ただ、夜はけっこう治安が悪いらしいので注意が必要。
住みやすいということで、高地から貧しい人がたくさんおりてきて問題になっているらしい。

夜に街角でよっぱらいと痴話喧嘩しているチョリータさんを見た。
スカートのたけがちょい短い、、服装も少し大胆だ。。
どこから見ても完全に中年(?)のチョリータさんなのに、、思いっきりからんでるし、、

愛には様々なカタチがあるものだ。

ここはキリストの見下ろす町。コチャバンバの夜は更けていく。

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