20101229

真夏のクリスマス





12月24日(金)
南米ボリビアはサンファンのクリスマスをお届けします。

本日も快晴、朝から真夏の日差しが降り注ぎます
暑くてちょっと場違いな感じですが、ツリーやイルミネーションも街を彩っています。

市役所では、子どもたちにおもちゃとお菓子を配りました。
こういう時の"una fila"(1列)は必ず小さい子を前にするのがボリビア流。
自然と優先させてあげるところがいい。こういう縦社会は大事だよなぁ。

昨日、お菓子の袋詰めを手伝いました。
だいたい同じ値段のものを詰めていたのですが、途中で品切れになったりetc.
けっこう中身にばらつきが、、最後の方は結構適当になっていたので
まぁ運だめし的な要素もあるわけです。こういうところもボリビアっぽい。
そして、運が悪かったとしてもたいてい文句は言わない。が、
不満そうな顔をする子どもは正直者。でも頼むからゴミは拾おうよ、、

何はともあれ、子どもたちはみんな嬉しそう、、!
クリスマスは子どもたちの笑顔のためにあるのだと改めて思う。
もちろんおもちゃとかお菓子をあげるということではなく、

 子どもが子どもらしくいられること。 笑顔でいられること。

もし、争いが続いていたとしたら。

 「 子どもの笑顔 = 平和 」

 夏休み教室を開き、子どもたちと歌を歌ったり飾りを作ったりしました。
そうやって一つ一つ準備していくことが楽しみでもあります。

カトリックが多いボリビアでは、"Navidad"(クリスマス)は一年で一番重要な日のようです。
夜には大きなミサがあります。
そして、一番大事な家族と一緒にまったり過ごす日。
世界の平和を祈り、家族と温かい時間を過ごす。

親戚もみんな集まって賑やかに食事を楽しみ、
そしてカウントダウンの打ち上げ花火、、!
町中では爆竹の音がばんばん響きます!
サンタクロースも町中で見かけます!(でもかなり暑そう)
派手にお祝いするお祭りムードのクリスマス!
夜中の12時にはサンタ(パパノエル)もやってきます!
熱覚ましにスコールだって降ってきます!
だいたい朝まで飲んで、25日の朝は二日酔い。。

来年はもうちょっと計画的にシゴトを進めて
周りの人をもっと幸せにできるような
そんな日に。




¡Feliz Navida! (メリークリスマス!)

世界中のみんなは、どんなクリスマスをお過ごしでしょうか、、?





20101206

商売敵






しょうばい‐がたき 【 商売敵 】

〔名〕同じ商売で、互いに自家の商売を盛んにしようと競い合う相手。商売上、職業上の競争相手。同業間の競争者。あきないがたき。


どんな品物でも取り扱い、24時間店を開けて休まずに店を開き、
便利さをひたすら追求してきたコンビニエンスストア。
どちらが先に店を開いたのか細かい事情は分からないが、行き過ぎた競争社会の末期的状況の現れがここにはある。

成長のためには、「適度な」競争は必要だとも言える。

ただし過剰な競争は人間の大切な何かを奪い去っていく。
そしてたいてい、それが欠けたことにすら気付かない。

この商売敵の物語はどちらかの廃業によって幕を閉じるのか、それとも正当な成長への試験場として互いの商売の発展に寄与するのか。
ただし客の目から言わせてもらうと、どちらの店に入るかなんて理由はまずない。
どちらもさほど差がない。

東京夜景







平日の夜に出かけることなんて、東京で働いているときはまずなかった。

洗濯だって米を炊くのだって指一本で事足りるし、
移動するためにいつ来るかわからないタクシーを待つこともない。
隙間から入ってくる埃や虫を掃除したり、水のしたたる水道管に一晩中悩まされることもない
快適で便利な暮らし。

その分、自由な時間も増えるはずなのだが、なぜだかいがそしかった。正確には忙しく感じていた。

その「なぜ?」はよく分からないが、おそらく途上国のもつ”豊かさ”と関係があることはまちがいないだろう。経済的な発展とともに我々が失ったもの。

それは「時間」かもしれないし、「人と人との結びつき」かもしれない。

「東京の夜景は残業の明かりでできている」

そう教えてくれた友達がいた。彼はまた都会の夜景の一部となって働いていた。
そして自分もまた東京近郊の夜を照らす明かりの一部となっていたことに気付く。

彼は余暇と創造の関連性についても記していた。

もちろん、シゴトに誇りを持つ職人気質は今でも大事だと思っているが
夜景を楽しむような時間の使い方も悪くないと今では思っている。

コンビニの隣りにコンビニがあるなんて、、資本主義の末期的な状況。
余剰時間をさらなる成長に費やした、その競争の果てにあるものは、、

経済的な成長と、こういった”豊かさ”を両立できたとしたら、それって最高に幸せだと思う。
KTC統括の吉水さんが書いていた言葉。

「発展(経済)と幸せの両立」

それこそが、これからの日本が目指すべき道なんじゃなかろうか。

今までは何となくきれいだな、としか思えなかった夜景。
今はなおさら労りと愛しさがわいてくる。

そんなに頑張り過ぎなくていいよ。

世界には様々な幸せのかたちがあるんだということを学んで帰りたい。

その明かりをともす何千何万ものハタラク人たちへ「お疲れ様!」

そして何よりも誰よりも、隣りにいるあなたへ「お疲れ様!」

墓守り猫の欠伸






妻が仕事にでかけた後、朝の町を散歩してみる。



狭い路地。家の前を掃く人々の姿。人気のない横断歩道。色づき始めた木々。のら猫のあくび。

朝の何気ないゴミ出しの風景や横断歩道でゆっくり止まる車。
あぁここは日本なのだなとみょうに感傷的な気持ちになる。
そして何だか全てが輝いて、愛おしくて、
実際特別なことなんて何一つ起きていないのだけど。

入谷から鴬谷の駅の脇を通って上野公園まで。
途中、谷中霊園に足を伸ばしてみる。
ここだけ時間が止まったよう。
たくさんの鳥の声が聞こえる。なんだボリビアと変わらないんだな。
潔く落ちた椿の花が秋の彩りの中で存在感を示している。

墓の脇にある平らな石の上で転寝をしていた猫が、見慣れぬ侵入者の存在を認めると
そのずんぐりした身体をゆっくりと起こし、のそのそと近づいてくる。
ここが飼い主の墓所なのか、それともただ日当たりがいいから居座っているだけなのか。
墓の前に座ると、大きなあくびを一つ。

働いている時は気付かなかったけれど、こんなに穏やかな時間が流れていたんだな。
いつもは自転車で駆け抜けていただけだったけれど、こんな当たり前の時間があった事に気付くことすらなかった。8時までには必ず職員室の扉を開けてきた6年間。

歩道橋から眺めた山手線にはたくさんの顔が見えた。
彼らはきっとこの時間に墓地で野良ネコが気だるそうにあくびをしていることなんて知らない。




旅人目線で眺める東京。

ふいに徳川慶喜の墓に出遭う。
大河ドラマの影響でここにも大挙して人々が訪れたに違いない。
今はひっそりと誰を待つでもなくただそこに。
大政奉還後の日本を眺めたように、
新しい価値への転換をせまられる日本の未来を、ただそこで眺めている。

20101108

日付変更せえへん








11月3日(金)4:00AM SAN JUANを出発。



朝の飛行機でMIAMI着。そのまま空港で夜を明かし、DALLAS経由で成田へ。


11月4日(土)到着、のはずだった。自分の頭の中では、、
でも実際、成田に着いたのは5日(日)。
そういえば日付変更線の上を飛んでたよな。。

妻は1日空港で待ちぼうけ。。
ただやさしく迎えてくれた妻に改めて感謝と尊敬の念を。

問題の日付変更線を空から撮影。国境線同様に何も見えないわけだが、
もしこの線がなかったらタイムスリップできちゃうわけだからあなどれない。
ボリビア時間で換算すると往きは約50時間、帰りは約30時間かかったことになる。
今が何時なのか、何ご飯たべたのか頭がこんがらがってくる。

隣りの席のアメリカ人と話す時、スペイン語がついつい出てくる。
でも"sister"を思い出せなかったのはちょっと深刻だ。。

きっと2年間の任期を終えて、みんなが帰国する時には似たような経験をすることだろう。
その時は、環境の変化と自分の変化を感じられたらいい。もちろんいいイミで。

なんてことはともかく、、連絡がなくて不安になった妻がかけた電話に母が一言。




「うちは帰ってくるときが帰るときだから」


さすがよく分かってらっしゃる!でも、心配かけてごめん!

東京日和






厳しい猛暑におそわれた東京も11月に入りぐっと冷え込み
やっと秋らしくなってきたそうだ
そして休む間もなく冬支度を始める晩秋の街並み

鮮やかな落葉が秋の深まりを感じさせる散歩道
真夏に日焼けたカラダをやさしく包むような穏やかで柔らかい秋の日差し
日本の秋ってやっぱり好きだなぁ

日本を離れてわずか4ヶ月
長野での研修が始まったのがその約2ヶ月前だから
実際にはたった半年ぐらいしか経ってはいない

ウラシマタロウって感じでもないが、、でも

目に見える景色がすべてたまらなく愛おしくて
懐かしさにあふれているのはなぜだろう、、?

本来ならば任期の途中で戻ってくるべきではないのだろうが
縁があって今、こうして東京を歩くことができる喜び
まるで外国人旅行者のような目線でこの町を眺めることができる
貴重な一週間を存分に味わいたい


今週末、妹が結婚します。

20101105

書きたいことがあり過ぎて






先月からはブログを更新したり
facebookに写真をアップしたり

ちょっと滞り気味だ。

書きたいことがあり過ぎて書ききれない
ということもあるけど、
活動がついに動き始めて、いろいろなことに手を出し過ぎて
情報発信にまで手がまわっていない。
この解釈の方がしっくりくるここ1ヶ月。

でもなんか毎日が充実している。

隊員総会での分科会設立と発表に向けて
昨日のPROMECAテクニコとしての発表に向けて
授業観察と資料のまとめに勤しんだ1ヶ月。

そして同時並行に自分にできることを
やれるだけやってみた1ヶ月。

しゃべれないなりに言葉も何とかキャッチボールできるようになってきて
一人でもいろいろとチャレンジできるようになってきた。

たいへんな分やりがいもあるな。

やればやるだけ還ってくるのが、教師のシゴトのいいところ。

それは日本で働いていたときと全く変わっていない。

そういう感覚は大事にしていきたい。


明日は朝5時にサンファンを発って、日本への帰途につく。
妹の結婚式にはきっとたくさんの懐かしい人たちが集まるだろう。
たった1週間の滞在だが、いつも応援してくれる妻や家族や友達や
そういった人たちに少しでも変わらぬ姿を伝えたいと思う。

それなりになやみながらも成長していった4ヶ月。
取りあえず今日で一区切り。

締めくくりはこのあとのコリセオでのフットサル!
まってろー日本

11月4日(木)19:14  en PROMECAオフィス

20101029

彼の魂を






チェの遺体が約30年間埋められていた(隠されていた)場所。

町はずれの墓地の脇にその入り口があった。そして張り巡らされた金網と鉄条網、そして鈍い光を放つ鎖と南京錠。。

死してもなお彼を閉じ込めておくつもりか、、

重たい雲が張り付いた空には切れ間すらない。
脇の牧草地にもぐりこみ外側から眺めてみる。なんとも趣味の悪い建物は、現政権が建てたものらしい。ちなみに遺骸は今はキューバに移されているそうだ。
この墓所を見渡せる場所にあるレストラン店主のファン・カルロスが言うには、墓を掘るやつがいるから仕方なくカギをかけているのだという。

彼の魂はこんな金網なんか越え、海を越え、国境を越え、人種を越え、今も息づいている。

彼の魂を、こんなちんけな金網と鎖で閉じ込めることなんてできない。
誰も彼の意志に鎖をかけることなどできない。


チェの最後に見た景色を。

彼の歩んだ道を。


"RUTA DE CHE"


イゲラ村へ続く道。彼の「帰らぬ旅」。そして、最期に見た空。

結果論でいうと





彼 "Jose Luis"との出会いによって、旅は面白い方向に転がっていくことになる。

寝る前にコーヒーが飲みたいと無理やり店に入る。
誰にでも話しかけてすぐに仲良くなる。
タバコetc.を薦めてくる。
できるだけ金をけちろうとする。
「時間はある」が口癖。

彼はコチャバンバ出身で、その後世界を転々としカナダに住んでいたこともあるらしい。
英語、フランス語も喋れるインテリヒッピーだ。
サマイパタで"CASA DE AMIGOS"というカフェを経営しているらしい。

翌朝、バジェグランデの町を散歩しながら、町の人々に聞き込み。
チェの遺体が隠されていた墓所に辿り着く。
行き当たりばったり過ぎてカギが開いていない。
仕方ないので、隣りの牧草地に忍び込み金網の外側から眺める。

その後の聞き込みで、町の人たちはほとんどチェについて知らないということ。
そして、どうやらイゲラに行く手段はほとんどないということが判明した。
彼はお金を使いたくないので、タクシーを借り切ることを嫌がっていた。
そんなこんなで、町のはずれのはずれのはずれにある、ガソリンスタンドへ。
どう考えても何かが始まる気配がない、、

どうやら3~4時間まてば、何か車がくる「かもしれない」らしい。
彼は言う。「時間はたっぷりあるだろ?」  
「携帯電話をもっているだろ?帰れなくなったと電話すればいい。」

どうやら別れの時だ。

伝えたいキモチが溢れているとき、自分でも信じられない勢いで言葉が放たれるものである。
必要は何とかの母というやつか?言葉はハートだということを改めて感じた。。
フェリアの準備でカウンターパートにキれて以来2度目のキセキだ。
ラモスおれる。50Bs.までなら出す。。

道行くタクシーを片っ端からつかまえて交渉し、1日貸し切り150Bs.

いざ、イゲラ村へ。

フィデルとラモス







到着したのは、町はずれのバスターミナル。
辺りは真っ暗。しんと静まり返っている。

腹も減ったがまずは宿を探さねば。
取りあえず中心(っぽい方角)に向かって丘をのぼっていく。

この道であっているのか、、見知らぬ町。独りで歩く夜道。月影が鮮やかだ。

でも不思議だ。不安よりもその状況をむしろ楽しんでいる自分に気付く。
今のところ安心はない。が、自由はある。 

この道を登るか下るか、誰に話しかけるか、そして自分自身何を選択するか。
そういった類の自由だ。

旅の目的は決まっている。 
ただ、そこに辿り着くまでのルートは無限に存在している。

何を選び、誰と出逢うか。それによって旅の行き先が左右されていく。
そういう愉しみが一人旅にはある。



この後、町中のホテル、レジデンシア、アロハミエントことごとく断られることになる。
それもそのはず。3連休を利用して飛び出したのは、他の旅行者たちも一緒。
数多くあった全ての宿が満室。うーんこれは困った。ついに野宿かな、、?
夜の街の雰囲気を楽しんでいたが、そのうち街角でたむろしている人影が全て悪者に見えてきた。

1時間以上歩いたか。でも何とかなるかな。そんな気もしていた。

そうして辿り着いたゲリラのあじと。

"La Pasada del Guerrillera "(ゲリラの闘争)宿屋兼BARの看板が目に飛び込んだ。
店主のフィデルは残念そうに満室を告げた。
しかし、チェに会いに来たと告げるとどこかに電話をして地図を書いてくれた。

「ここに行けば部屋はある。オレの名前を言えば大丈夫だ。」

店を出ると、あやしげなヒッピーが声をかけてきた。
どうやら彼も宿を探しているらしい。どこかで見たような穏やかなラモスだと思ったら、
来る時のミクロで途中から乗り込んできたヒッピーだった。
そしてただでさえ少ないカンポに、後ろからかばんで攻勢をかけてきた。
ちょっとうざいなぁと思っていた、、

「じゃあ一緒に行きませんか、、?」

彼を信用する要素など何一つなかったが、きっと困っているんだろうなぁ。
気付いたら、なぜだかそんな紳士的な言葉をかけていた。

どうしちゃったのよ?オレ!?

20101001

7時間と無敵の言葉







9月24日(金) 目を覚ますと外は滝のような雨 
どうやら停電もしているようだ 暗闇に響く激しい雨音



”エルネスト・チェ・ゲバラ” 彼についてぼくはまだ何も知らない

映画を見たり小説を読んだり 彼の人生をただなぞったような情報なら持っている
でも彼がなぜ? どのような? 思いや理由で別れの手紙を書き この地を選んだのか

彼はボリビアの民のことを想い 命をかけて夢を追い求めた
レベルは遥かに違うが同じくボリビアの人々のために働こうとしているぼくは
それを知らなくてはならない いや 知る義務がある 
と かっこつけるとそんな感じだが実際は、、

彼が最期に見た景色は空はどんな色だったのだろうか、、それをただ見てみたい

旅を始める理由はいつも そんな感じだ

サンファンの"parada"(停留所)からTRUFIで ヤパカニ経由サンタクルスまで。

"TINKU"(ボリビア隊員による情報紙)の情報は的確だ
歩いて3環まで行くとYUASAの看板の隣にはずらり(というほどでもないが)バス会社が
どうやら着くのが遅かったようで午後の便しか残っておらず 35Bs.でチケットを買う
座席表に名前へ書くように指示されたが そこに席は存在していなかった

バスに乗り込み納得、、
マイクロバスの運転席と助手席の間のスペースに座れ というわけだ

背もたれなし 横によりかかかるところもなし うとうとすることもゆるされない
「いてっ」 ギアチェンジの際 運転手のおっちゃんの手が激しくヒットする


まだ「まし」という言葉は無敵だと思った
背もたれがあるだけまだ「まし」 座れるだけまだ「まし」 天気が薄曇りなだけまだ「まし」
美味しいビールを飲めるだけまだ「まし」 昨日の夜シャワーを浴びれただけまだ「まし」
聞きたい音楽を好きな時に聞けるだけまだ「まし」 写真で好きな景色を切り取れるだけ「まし」
そして、生きているだけで何よりも「まし」だ

これからの暮らしにおいても まだ「まし」という言葉があれば
何があっても何とかやっていけそうだ。。


途中で人や物を乗せたり降ろしたり 
坂道では歩いたほうが早いんじゃないの?というぐらいの
かたつむりのごとき歩みでひた走ること7時間(ちなみに帰りは休憩なしで5時間で)



VALLEGRANDEの町についた時には夜はとっくに更けていた

20100928

愛する村 "RUTA DE CHE"






サンタクルス市誕生から200周年を迎えた3連休。 バジェグランデからラ・イゲラへ。

ボリビアの民のことを想い、夢に生きた男の最期の場所。

そこに在ったのはまるで時間が止まっているかのように静かで美しい、小さな小さな村。


 「きれいな景色だろ」

その村を一望できる高台に立ちつぶやいた老人の一言。
彼らにとってこの村は、聖地でも殉教の地でもない。
自分の生まれ育った愛する村。
そして 愛する家族との生活の場。


 "RUTA DE CHE"   チェ・ゲバラ


彼のたどった道、出会った人々、そして想う

20100924

ビバ5連休






明日から金土日と3連休を迎える サンファン

なぜなら明日9月23日はサンタクルスの市制記念日なのだ
(しかも今年は200周年!)
サンタクルス県に属するサンファンは当然祝日となる

ふつう日本だと3連休に予定を立てるも
「それに向けて今週がんばるぞー」となりそうなものだが

こちらではお祝いの日 もしくはその前日は"Desfile"(行進)があり
半日はお祭り気分 そして
そのまま 何だかシゴトにならんなーと日が暮れていく
もともと月曜日はエンジンのかかりが遅いので
結局 今週は火・水の2日間しか働いていないような
そんな気になってしまう

つまり 週休5日だ

本日(木曜)の午後には 早々と休みをとって休暇をとる人たちが続出

サンファン学園の「お話大会」の審査員を終えてオフィスに戻ってくると
秘書のデリアしかいない、、、

勤務終了の時間帯になってやっとみんなの声が聞こえてきた

せっかくの連休 

この町を離れ 旅をしたくなった

Santa Cruzに出ても San Juanの方が落ち着いてていいなと結局日帰りしてたこの頃

明日の朝一のTRUFIに乗り込もう

行先は決まっている 

ビバ5連休!

20100922

今を生きようぜ





みんな元気にやってますか、、?

今日は9月”22日”

ちょうど今から3ヶ月前 オレたちは日本を飛び出した

成田のさくらラウンジであげた祝杯

シカゴで食べたマックのごつさ
冷房効き過ぎのマイアミ空港

飛行機の窓から眺めた息をのむほどの神々しい眺め

あの時のふわふわした感じ

期待と不安と入り混じった妙な高揚感

今から3ヶ月前に抱いていたあのなんとも言えない感じ

きっとあっと言う間だったと思うだろうけど

今までの人生にないくらい劇的で

それでいてトランキーロな時間が流れていたはず

そして

一回り大きく優しくなった自分に気付けたら それは幸せ

世界に散った仲間たちも きっと同じような時間を過ごしているのだと

考えるだけで強くなれる気がする

「今を生きよう」

これからもよろしく 

希望が生まれた日






昨夜うれしい知らせが入った

この前のブログで書いた 
回復へのかすかな可能性にかける 看護学校生が
ご飯を食べ 歩き始め 順調に快復に向かっているという

プロの看護師が見てやばい!と思った状況なのだから 快復は奇跡的とみていいだろう

看護師の彼女はこうも書いていた 「私は死を前提にして彼女と向き合っていた」
続けてそのことを申し訳なく思うとも
 「彼女は生きようと必死でたたかっていた」

結局 病気の原因も治った原因も分からず仕舞い でも神は彼女に「生」を与えた

ガンの末期医療の現場で働いていた看護師の彼女は 「生」と「死」の最前線で戦っていた
ナイーブで研ぎ澄まされた彼女の一言一言は 重い
何もできなくても
それを知らせてくれたからこそ 仲間みんなで考えることができた
そして それをこうして伝えることができた
ぼくらはきっとすぐに忘れてしまうのだから
だから ありがとう

そしてやっぱり 生きていてくれてありがとう

看護師になる夢を抱き 23歳の誕生日に倒れた彼女の名は マリアルイス 
名前のある一人の人間の 家族の笑顔に迎えられた人生はまだ続く
マリアルイスの意識が戻った日
悩める看護師のステイ先に子犬が生まれた 母犬の名は"estrella"(星)
希望に満ちた子犬が5匹 「生」の喜びを教えてくれた
「生」を肯定し 「死」を肯定した看護 彼女ならきっと実現できるとぼくらは信じている

20100921

きっかけ







 「カメラを貸してくれ」


と言われたらあなたならどうする、、?

大人は値段を聞いたり性能を試すぐらいだが 子どもはもっと興味深々だ

常識的にはもちろん "No!!"   
でもけっこう "Si" 遊ばせてしまっちゃいます
(JICA職員のみなさんごめんなさい、、)
いつでも首根っこつかまえられるぐらいの距離感を保って
取りあえず落とさないようにひもを首にかけてあげて
ここをのぞいて 後はここを押すだけって感じで ほら簡単でしょ?
きっと一生 一眼レフをさわる機会なんてないかもしれないから
そんな一生ものの経験をさせてあげられるのなら 
(すみません、、サンファンの外ではやりません、、)
日本でもクラスの子たちにカメラを貸してあげたことがある
やはり一眼レフの方がカメラっぽくてお気に入りのようだ
そして中々いい画を撮るんだなぁこれが
最初みんなの輪に入りたがらない子がいて その子をカメラ係に任命した
それがきっかけかコミュニケーションがとれるようになって
本当はちょっと嫌だったんだけど きっかけはカメラのおかげかなと思ってる
買ったばかりのギターもどんどん人に弾かせている
カメラもギターも所詮は道具
それをコミュニケーションツールとして生かすも殺すも 自分次第
びみょうな構図と 絶対引き出せないこのばらばらな表情がいい
きっとこれがこの子にとって人生に残る一枚になるだろう
たっくさん勉強してもし将来カメラマンになったら この日のことを語ってください
ちょっとぐらいならいいだろう?減るもんじゃないし
でも本当に盗られたり 壊されたりしたら なくだろうなぁ

まもる










約3分の1





5歳になるまでに命を落とす子どもたち


ただの数字ではない
それぞれ名前のある短い人生の 終止符の数
誕生を笑顔で迎えた家族の 涙の数
この国の豊かさの源である 子どもたちの笑顔の裏に隠された
この数字が ボリビアの現状



高地に順応できずに死んでしまう赤ちゃんが多いともいうけれど
公文書 統計の曖昧なこの国のこと 実際はもっと多いことは想像に難くない

医療技術の低さ 医者のレベルの低さを嘆く 医療隊員からの声
お金があれば 気付いていたことをもっとうまく伝えられたら


「まるで命に値札がついている」


医療技術が高度に発展しすぎて
死ぬことの自由さえ奪われたことが幸せだとは思えない
医療の進んでいる南米だからまだましだと考えることもできる

お金がないため治療を続けられず 
植物状態からのわずかな快復の望みにかける 看護学校生
ろくに診断せずに放置されたため 出産後切らなくて済んだ足を切断したお母さん


ただ手を差し伸べかけた 目の前の命を救えない 人生を守れない 

そのことへのいらだちや憤り

それだけは忘れないでいよう

そのことだけはしっかり誰かに伝えていこう



  まもる



オレたちは この子たちの笑顔をまもるために 
未来をまもるために
世界へ飛び出したはずでしょ


写真に写っているのはかけがえのない未来
それがずっと続く 輝かしいものでありますように

必ず再会してあいさつを 写真を渡した時どんな顔をするかな、、?

笑ってもっとベイベー





幼稚園にて純ボリビア風のダンス発表会
"payaso"(道化者、ピエロ)  

サーカスのピエロを指す言葉は同時に 
ちょっと面白かったり冗談好きだったりする人に対しても使われる

カンバの人間は本当に冗談が好きだ 生き方自体がギャグ的とも言えるが、、
常に仲間といるとくだらないことで笑い合っている
スぺイン語の理解も重要だが 同時にギャグへの感覚も研ぎ澄ましていかなければならない

相手をディスって笑いをとるくらいがカンバ流
言う方も言われる方もそんな対して気にしていない 明日は明日の風が吹く

瑣末な心配事はあるけれど それはそれとして とにかく
今日もいい日と笑って過ごす それはすごく幸せな生き方かも

笑ってこうぜベイベー

100919DIARIO





部屋の窓から見える景色

ブーゲンビリアの花が鮮やかだ         
 




9月19日(日)ボリビアでマック大流行の夢を見た

7:30起床 なぜだろう日本にいた時よりも早起きになっている
    静子先生・船戸のおばあちゃんに写真を渡す 朝食…小田パン、コーヒー
    レガロ(プレゼント)用の写真を印刷

10:00オフィスへ出かけるも入り口が閉まっている 
    管理人が寝ているので起こすも「もうすぐでかけるからだめだ」とのこと

11:301時間経っても出かける気配がないので再チャレンジ 扉開く ふざけんなー
    オフィスに忘れ物を取りに行く 自宅でネットが使えたら最高なのだが

12:00試合に備えて昼食…ご飯、濃いめのねぎ味噌汁

13:45"Cancha"へ 今日の試合はリーガの準決勝 今日は人数が集まるのか、、
    試合開始 前半終了までにやっと11人が揃う とにかく暑い 時間が長く感じる
   ポジションはあまり決まっていないのだが中盤の右サイドということになっている
   後半ゴールを決める このリーグ4試合4ゴール(ただその他のプレーがいけてない)
   1-5で敗北 しかしホーム&アウェー方式のためもう一度同じチームと来週戦う
   去年はここから巻き返して優勝したそうだ せめて開始時に11人揃っていて欲しい
   終了後 勲くんからアイスキャンデーをおごってもらう(ケミカルメロン味)
   それにしても疲れた 聞いたら45分やっていたらしい、、(本当は40分ハーフ)

17:00帰宅 シャワー セルベッサ 洗濯 鶴田くんいないと思ったら船戸さんの家にいた
    船戸さんから入植時代や満州時代の話を聞く 心に響く言葉 重い言葉
    「たいへんだなんて思ってたら開拓なんてできない」「この世の地獄を見てきた」

19:00小田食堂で 勲・鶴田・矢口隊員で夕飯を食べる 今日も餃子は売り切れ、、、残念
    夕食…チャーハン、酢豚、唐揚げ、揚げワンタン、セルベッサ、こちかめ156巻
    あぁまたゼイタクしてしまった
    矢口さんは明後日には最終報告を終え日本への帰路に着く
    2年後の3月22日に、いったいどんな気持ちでこの町を発つのだろう
    「やり残したことはない」と笑顔で語ることができるのだろうか
    「きっと大丈夫ですよ」の言葉を素直に受け止めておきたい

20:30解散 音楽を聴いたり本を読んだりギターを弾いたり 今週もいい1週間だった

22:30"NEWTON"を読む 宇宙の成り立ちに思いをはせながら眠りにつくなんて 贅沢
 1週間日記をつけてみた
 3日坊主の自分にしてみたらかなり頑張った方だと自分をほめてあげたい
 こうやって振り返ってみると あっという間に1週間終わったぁと思うけど
 中身はかなり凝縮されている 新しい出会いがあったり経験があったり
 その全てが自分を成長させているのだなあと感慨にふけったりもする
 言葉だってあやしいながらも少し前の自分と比べると格段の成長を感じる
 増えているのは写真のデータとビールの空きビンだけではないことを願う
 2年後笑顔で日本に帰るために できることを一歩一歩
 ありふれていて 最高にエキサイティングな1週間の記録

20100920

100918DIARIO

           

          暮れなずむサンファン
           野焼きの煙のせいで太陽の輪郭がくっきりと確認できる



9月19日(土)"Limpieza"

7:00すっきりとした目覚め 家の前を掃き掃除するくらいのさわやかな朝 
    朝食…小田パンハニートースト、オレンジ、コーヒー

7:55集合8:00ということで市役所前に行くも3~4人しか来ていない、、学生は大勢結集

8:30やっと開会式らしきものが始まる 待たせることに無自覚になっているのか
    学生はちゃんと集まっているのにもったいない 

9:00掃除開始 が、学生と職員が別々のグループになって活動
    指揮や計画、むしろ目標そのものが曖昧 ただ掃除してきれいになりました的活動 

10:00終了っぽい感じでプラサに集合 何か話があるわけでもなくただ そこで待つ

11:00昼食がふるまわれるということで学生を置いて集会所へ 活動1時間、待ち時間2時間
    調理が終わるまでの間○×ゲームや砂山くずし、"cazador"で遊ぶ

12:00いただきます 昼食…ロコロ(骨肉の入ったお粥)、ピカンテ、シンバ(ソーダ)

13:00家に帰る途中 町はずれで開かれている"Felia"に行く

13:30帰宅 掃除・洗濯・昼ビール

15:00米倉さんからおやつに呼ばれる おやつ…チーズケーキ、コーヒー
    勲くん矢口さん到着 そのまま夕飯の準備に

17:00洗濯物を取り込むついでに夕暮れ時の町をぶらぶら
    ローカルなエリアでローカルな人たちを撮る 夕日がきれいだ
    宮園さんからピーマンをもらう

18:30米倉さん一家と隊員揃っての晩餐
    …焼きホッチ、パクーの丸焼き、セビチェ、しそおにぎり、インゲンの炒め物etc.

22:00家に戻り 鶴田くんの部屋で桃鉄をしながら飲み直す

26:00終了 部屋の天井に糸と渡し念願の蚊帳をはる シャワーを浴びて就寝

    やっと張った蚊帳の中で「銀河鉄道の夜」を再読 

20100918

100917DIARIO

                 マーチング甲子園 開会式の様子


9月17日(金)今日もあつくなりそうだ

6:00起床 朝食…どら焼き、コーヒー

6:45出発 SanJuan学園の校庭にはバスと子どもと先生が勢ぞろい
   朝7時に集合 サンタクルス行き マーチングバンド この3つ以外の情報はない
   どうやらかなり大きなイベントのようだ

7:20ABJ会長の車でSantaCruzへ出発 
   道中この町の歴史や未来についてかなり深く熱い話を聞かせていただいた
   2世3世が中心になってくるとまたサンファンも変わっていくだろうということ
   日本語教育やアイデンティティーの問題 広く深い視野がさすが
   でも会長"Mi○rda"って言ってた、、思いっきりボリ語がでている

10:00着 Surにあるサッカースタジアムに到着 他の学校も続々集まる

10:30会場入り もう本番なのかそれとも練習なのか 各校マーチングしながら入場

11:00開会式らしきものやっと始まる 写真で分かる通り結構な数だ 25校によるコンクール

12:40サンファン学園のマーチング開始

13:00終了 5校目で2時間ということは単純計算であと8時間、、、 しかも段取り悪すぎ
    終わるのは何時になるのだろう?今日中に結果が出るらしいが、、

13:20「ケンちゃん」で昼食…冷やし中華、キムチチャーハン、麦茶

14:10出発 途中で会長の孫をひろい HIPERMAQUISIで買い物
    SanJuanではエンゲル係数100%だが、都会に来るとついつい買い物をしてしまう
    「なくてもいいけどあったらいいもの」があふれている それが物欲を刺激するのだろう
    値段が安かったり せっかく町に出てきたんだからと 買い物はせずに出る

15:30ごろ 工事のため道路が通行止めになり15分待たされる 片交にすればいいのに

16:30SanJuan到着 パソコンを取りに家に戻る
    静子先生からカステラとリモナーダをごちそうになる 

20:00帰宅 夕食…餃子ハンバーグ、ご飯、チーズ、オリーブの実、セルベッサ
    ギター弾いたり本を読んだり ゆっくりと穏やかに夜が更けていく

23:00おやすみなさい 今週も早かったと感じるのはなぜだろう
    この調子ならあと18ヶ月なんてあっという間だ

20100917

100916DIARIO

     
 幼稚園にて カフェシートを薦められ、、、傷つけない断り方を考える


9月16日(木) 朝から日差しが眩しい

7:20起床 朝食…船戸商店エンパナーダ、菓子パン

7:50出勤 こんな"borracho"にいつも手を振ってくれる子どもたち 身が引き締まります

8:00オフィスにて書類を渡されサインする 明後日土曜日の地域清掃についての知らせだ
   このように仕事の予定であってもぎりぎりのところで知らされることが多い
   土曜日に予定していたサンタクルスでのスペイン語授業をキャンセルせざるを得ない

8:20トリニダ隊員の矢口さんと幼稚園に行く 楽しく遊ぶ 
   マンゴーの木にひっかかったボールをとるついでにマンゴーを落とす
   食べる 初マンゴーまじうまい 本当にうまい これからの季節が楽しみだ
   子どもたちの間には日系だとかボリ人だとかの境はない

9:50オフィスに戻る

10:30"S.C.3"にて授業観察 2年生宗教・倫理 
    グループ活動を今まで見てきたが活動自体は一番よいかも 
    全員の発表を聞いて学力の格差がものすごくあることを感じた
    子どもたちが落ち着いていないのはこの先生が専科的位置づけだからか

12:30終了昼休み 昼食…昨日の餃子、ペプシ

14:00出勤と同時に"reunion"どうやら明後日の清掃活動についてらしい

14:20終わりが見えないので途中で退席

14:30サンファン地区の代表生徒(上院議員・下院議員)を決めるイベントに審査員として参加
    各校から男女2名ずつの代表者がそれぞれテーマを決めてスピーチをする
    なぜだろう 子どもの話すスペイン語の方がわかりやすい
    それにしても審査員や基準がけっこうぐだぐだ かなり重要なイベントなのでは、、?

17:30終了 オフィスへ 船戸商店で新作アイスを山ほどごちそうになる

20:30オフィスを出る ホッチ(肉の王様)が獲れたということでYONEKURAさんのお宅へ
    夕食…揚げホッチ、おこわ、セルベッサ、どらやき 
    この町に来てからたくさんの人たちのご厚意に助けられている 
    感謝の気持ちをモチベーションにしたい

22:00帰宅 少し髪の毛を切る 風呂に入る くつろぐ 写真の整理・プリント 

24:00おやすみなさい 
  のんびりまったりとしながらも割と規則的に生活している もう金曜日、、1週間が早い

100915DIARIO

          
     先生も生徒たちも授業が終わってほっとした表情


9月15日(水)敬老の日 en Bolivia だそうです

6:00起床 朝食…ねぎだくさん味噌汁
   電子辞書をオフィスに忘れたことに気付く やばい
   ちょっと早く出てオフィスに思うも入り口が閉ざされている 秘密の入り口も開かない

7:00プラサに集合 先生たちも予定通り定刻少し遅れで集合してきた 
   辞書がないので仕方なく指導案を自力で読んでみる すると驚くことに99%理解できた
   判らなかった単語2つは先生に類義語を教えてもらってカバー
   これが今までの成果か 少し嬉しくなった 同時にちゃんと読んでみると
   指導案の中身がいかにうすいかということが分かった これがおそらく次の課題だろう

7:30プラサ出発 マイクロバスで一路"Enconada"へ

8:00"Enconada"着 INTERCAMBIO(各校持ち回りの公開研究授業)
   4年生のスペイン語の授業を観る 穏やかだが教育への情熱のあふれる先生
   こういう若い先生たちが現状に失望することなく教育の火を灯し続けていけるように

10:00授業後の協議会 やっぱりまわってきた最後の指導・講評、、、
    今回は考える時間があったのでよく話せた 何人かの先生たちは言葉に頷いている
    ただほめるだけでなく 具体的な改善策や課題を出していきたいところ
    エンパナーダ・チチャごちそうさま 緊張の解けた子どもたちを記念撮影

10:30"Ayacucho"到着 授業開始まで先生たちと教育の現状について話す
    7年生の音楽 ポトシの伝統舞踊"tinku"について 具体物や衣装を用意
    音楽についての知識を教える授業 歌や踊りをもっと取り入れてもよいのでは

12:00協議会 指導・講評 最後のプリントの設問が全て知識を問うものだった
    感性や情緒を育てるようなそんな授業を目指してほしい
    「想像力の欠如」それがこの国の教育が抱える大きな問題である
    昼食…肉・米・エンサラダ(ジャガイモ、玉ねぎ、トマト) 勲くんも一緒に

13:25"SanJuan"到着 今週は月・火・水と奥地に通ったなぁ

14:00出勤 "Distritar"からよく分からない書類をもらう 辞書を使って読んでもよく分からない
    明日何かを選ぶ審査員のようなものをやるらしい

15:30"Sagrado Colazon 2"授業観察 

17:30オフィスに到着 1日が過ぎるのがすごく早いなぁ

18:30友達の日系の子が日本で就職をするのでその送別会をすることになった 
    紆余曲折で自宅にみんなを招くことになった ぎょうざパーティー

19:00ぎょうざを包み始め 焼きまくり 煮こみまくって 飲み始める 
    夕飯…焼き餃子、水餃子、おにぎり、セビチェ(川魚のカルパッチョ的な)

21:30場所を変える 「アサヒ」(飲み物セルフおつまみなしの居酒屋的ただの部屋)で飲む
    他の日系の友達も集まってくる にぎやかだ 男子5人がつるっぱげに

24:00気付いたらかなりいい時間に 餞別代りに50Bs.を置いて帰る
    こちらの相場では飲み代としてはかなり高いが日本円にすると約650円
    帰って寝る 日本語とスペイン語頭の中でぐるぐる

20100915

100914DIARIO


            雨のおかげか彩りが鮮やかになったような気が


9月14日(火)

   ものすごい轟音に目を覚ますと辺りは真っ暗
   これは夢の続きか、、 冷蔵庫の音がしない どうやら停電しているようだ
   一寸の光もない暗闇の中にただ激しく瀧のような雨音が鳴り響く

4:45天気予報は当たったらしい 今日は涼しくなりそうだ 雨音を聞きながらまどろむ

7:10起床 顔を洗い髭をそる 朝食…小田パンハニートースト、コーヒー

7:50出勤 鶴田くんがいない 部屋に声をかけたら更に調子悪そう 
       根性で起きようとしたので休むように促す 今日は安息日に(多分初)

8:00"reunion de directores"に便乗 カリートの運転するバスで"Ayacucho"へ
    舗装道路は"Enconada"まで 電気は"Ayacucho"まで 
    でもその奥にはまだ10の学校があるという 「もっと奥にも助けに来てくれ」
    昨日学校にいたおじさんに言われた一言 この国の現状をもっと知る必要がある
    最も遠い学校に行くには舗装されてない道路を100km以上進まなければならない

9:20"Ayacucho"到着 食堂っぽい場所でお茶(青りんごソーダ)とガジェッタ(5Bs.)
    あったかいコーヒーが飲みたい 半袖で来たことを後悔し始める

10:00会議開始 ルールや運営について話をされにつめていく

11:30会議終了 無事に本番を迎えられますように 次は再来週の月曜だ

11:50"Enconada"着 校長会議の終了待ち

12:30お腹が空いたのでお願いしてみたら 先生たちの食事をに同席できることに 
    昼食…ポジョ、エンサラダ(玉ねぎ・赤カブ)、フライドポテト、アロス(油炒めご飯)

13:00食後にバスで待機 しかしどれだけ待っても先生たちはやってこない
    カリート「マナカンチョ」(ケチュア語のなんくるないさ~的表現)の一言で眠りにつく

14:00携帯電話の電波が届かない 午後の予定が判らないのでTRUFIをつかまえる(6Bs.)

14:40"San Juan"着 毛布はもう寝苦しいので大き目のタオルを買う(35Bs.)

14:10職場に着くもドナイレまだ出勤せず 秘書のNeidyからカギを受け取る

15:20ドナイレ着 どうやら今日の予定もキャンセルのようだ
    授業記録のまとめを進める PC担当のIng.と音楽や文化について話す

18:00勤務時間終了 →残業
~21:00授業記録をまとめる 30回以上23ページ まずは知ることからの1ヶ月半の記録
    帰り道歩きながら 日本にいる時とあんまり変わってないなぁと思う
    市長の奥さんから電話 明日の敬老の日の撮影の件について
    いつかこの町を一つにするようなそんな写真を撮りたい
    鶴田くん快復 夕食…黄金チャーハン・セルベッサ(ビール) 

24:00就寝 今朝の雨のせいか草花が一気に元気になったような気がする
    明日は6時起き おやすみなさい

20100914

100913DIARIO




サンファンで暮らし始めてから早2ヶ月
きっと忘れてしまうだろうその前に
最高にエキサイティングで なだらかでありふれた日常の記録




9月13日(月)

5:30暑さに目が覚め 麦茶をがぶ飲み
   昨日のサッカーの疲れが残っているのか身体が熱く眠りが浅い

7:00起床 シャワーをあびてすっきり 時間がなくなったのでコーヒーとガジェッタで

7:50定刻に家を出る 野菜隊員の鶴田くんぐっすり寝て快復したようだ
   通り道にある"KINDER SAN JUAN"いつも手を振ってくれる子どもたちがいない
   昨日の家族運動会の代休か 船渡商店でエンパナーダとコーラを買う(7Bs.)

8:00出勤 タイムカードに"marca" そのまま朝の"reunion"(会議)が始まる
   発言を求められ 昨日の"feria"(市)の準備で朝行ったが結局誰も来なかったことを話す

9:00会議終了 そのまま"TRUFI"をつかまえさらに奥地にある"Ayacucho"の小学校へ

10:00"Ayacucho"着(8Bs.) 会議がまだ始まらず少し待つ

10:30"reunion"開始 "Olimpiada"(オリンピックのような競技会)について話し合う
    主に"disciplina"(種目)と"horario"(時程)について 開会式の日程が一日前倒しに
    校長先生が口をはさむも みんな軽く流す 勲くんの活躍により順調に進む

12:30子ブタたちに別れを告げ "Ayacucho"発

13:20"San Juan"着(8Bs.) 昼ごはん…味噌汁雑炊

14:00出勤 午後から授業観察の予定が入っていたがドナイレから何も連絡なし
    授業観察のまとめ "Olimpiada"の資料作り 動詞の暗記 先輩隊員と話す

18:00業務終了 …資料作りの続きと少しネット

19:30勲くんの家でボロネーゼをごちそうになる ここで手に入る材料でこのクオリティー

20:30カンチャでフットサルの応援 3ヶ月ルールで試合に出れないのが歯がゆい
    ロビンの息子と遊ぶ 試合は2-3の負け 勲くん孤軍奮闘 守備の意識がなさ過ぎ 
    帰り道ファンタ購入(10Bs.) サンファン学園の子に「次はいつ来るの?」と言われる

22:00帰宅 風呂 自由時間 ジョン&ラッキーの調子が戻ったようで嬉しい
    部屋の外に大きな蜘蛛を見た だんだん目にする生き物の種類、大きさともに
    増しているような

23:30ギターをいじってたら眠くなり就寝 
    明日は雨が降るらしい これで少しは涼しくなるな 
    


ヤンママの星





子どもの数が多いボリビア
その理由の一つには 初婚年齢が早いということが挙げられる
というよりも 早くして子どもを授かってしまうというべきか


先日誕生日を迎えた市役所職員のホセフィーナ(53)
もうすぐひ孫が授かるらしい
娘は38歳 そして孫が18歳というこの国ならではの家族構成で納得
計算してみると子どもを産んだ計算し難い年齢が、、??
同期の隊員から聞いた話
サンタクルスの若い女の子たちの夢 「30歳で孫を抱くこと」
それが一種のステータスのようなものになっているらしい
その理由は単純明快
「自分の子どもには責任があるけど 孫は手放しで可愛がれるから」
って 理由は日本も同じだけど ちょっと若すぎるんじゃ、、
写真は母子のつもりで撮ったら"sobrino"(甥っ子)を抱いているとのこと
そしてよくよく話してみたら まだ"Colegio"(8年生の小学校)の学生とのこと
どうみても14~5歳には見えない ヤンママ期待の星
早婚の謎が少し解けた気がした1枚

将来有望







ベベをもう一枚 同じく幼稚園の園庭にて

カメラを向けても 一切ほほ笑むことなく

愛想のかけらすら感じさせない 100点満点の面構え

ただじっとこちらを見据える にらみのきいた澄んだ眼

朝青竜が子どもの頃は きっとこんな感じだったんじゃなかろうか

奥さんが抱いていたので

後でロビン(市役所専属ドライバー)に写真をあげたら



「だれだ?こんなやつ知らねえ」の一言



お守りにしてください



追記。この子は秘書のディアナのベベでした。写真もちゃんとレガラっておきました。

20100910

ベベ無敵







赤ちゃんの笑顔って 最強だと思う
ていうか笑ってなくても その存在自体で
まわりのみんなを幸せにしてくれる

この国に存在する 目に見えない豊かさと
子どもの数は 多分 比例関係にある

"SEMANA DEL KINDEL"にて

この子 ブリッジの体勢でミルク飲んでた すげぇ

レアル・チャイルドロック






降りようとした時に気付いたTRUFIの扉

取っ手が根元から完全に折れている
フロントガラスにひび バックミラーがない ウィンカー光らない
なんて割と当たり前の車事情 日本の中古車は中古車ではない
日本がきれいにし過ぎなのかなぁとか逆に思えてくる
こんなんだったら日本の車検制度の意味を考えてしまう

何度試しても扉を開けることができない
どんなに頑張ってもまるで手ごたえがない
仕方なしに窓を開けて手を伸ばし外側から扉を開ける
内側からは絶対に開けられない 子どもには届かない


あぁこれ チャイルドロックだ

カンバの歩調ついに乱れる





9月8日(水)14:30~


午前中の学校巡回を終え、午後は車で20分ほどの所にある"Yapacani"(ヤパカニ)まで
カウンターパートのドナイレ、秘書のデリアと共に出かけた

明日の夜に幼稚園"Sagrado Colazon 1"で開催されるコンテストの景品を買うためだ
ちなみに今週は"SEMANA DEL KINDEL"(幼稚園週間)ということで
毎日仮装ダンス大会や劇など何かしらのイベントが催されている



ヤパカニは主要幹線道路沿いにあり物流拠点となっている
"tranquiro"(田舎な)サンファンに比べると人や物の流れが生み出す活気に溢れている
大きい市場もあり「ちょっとヤパカニまで~」とちょっとした買い物によく訪れる

まずはドナイレが給料を銀行で換金する
こちらは銀行振り込みではなく小切手で支給されるのだそうだ

こっちの方が便利だと言っていたが理由はよく理解できなかった
議論するだけの語学力を付けねば本当のコミュニケーションとは言えない


次に貸衣装屋さんへ行きお目当ての衣装を注文する
ボリビアにはそれぞれの地域に御当地の伝統舞踊があって
それぞれには特色のあるとてもきれいな衣装がある
今回のあ目当てはドナイレの出身である"Potosi"(ポトシ)だ

30分後には戻ってくるからと言い残して目的の景品探しにでかける

市場を練り歩きお目当ての商品をそれぞれが選んでいく
ドナイレは大きなプラスチックの哺乳ビン型容器に入っているチョコとゼリーを
デリアは槍の柄の所が透明になっていてそこにチョコがぎっしり入っているやつを
このセレクトのセンスはさすがだ、、この武器はよく見ると槍や斧だけでなく
何だかよく分からないフォークやホッケーのスティックのようなものまで
ヨータローも選べというので、ベタなペロペロキャンディーを選んだ
柄のところが鉛筆になっている(!?)所が気に入った

しかもよーく見たら
鉛筆がアメの部分にダイレクトに刺さっている、、
それもボリビアっぽくて気に入った 12個で10Bs.(約130円)を3袋
その後文房具屋さんで包装紙を買う 1枚1Bs.キラキラのやつは2Bs.

ドナイレはその場で包んでもらっていたが 
お店のお姉さんど素人+容器がでかすぎ(しかも2つ同時)=何だかびみょうな仕上がりに


なんだかんだで買い物に1時間近くかかっていた。時計はもう16:30~
帰りのTurfiをつかまえ急いでさっきの店へ ドアをたたくとさっきの店員さんが
何とおもむろに袋を用意して 棚から衣装を選びだす

1時間も経ってんのに何も準備してなかったんかい、、 

でもまあここはカンバだと思ったのもつかの間
違う箱をのぞき込んだり奥に引っ込んだり もたもた もたもた
ドナイレとデリアがだんだんいらいらしてくるのがわかった

待てよ、、「待つ」ことでいらいらしているボリビア人を始めてみた
ので記念に一枚(↑右がドナイレ、左がデリア、真ん中がもたもた店員と衣装の山)
しまいにはドナイレに もっとこういう衣装もあるはずだとか あの右上の箱だとか
指図される始末 結局20分以上経って袋詰めが完了


帰りのTrufiで「あの店員たちは"flojo"(怠け者)だ」とのお言葉

日本的な感覚で行ったら市役所の"Casi todo"(ほとんどの全て)の人間が"flojo"になるだろうに
ボリビア人でも他人のもたもたでいらいらするんだーという発見と
20分ぐらい別にいんじゃないかなと思っている自分のカンバ化にちょっとびっくり

あの店員たちはおそらく"flojo"なのではなく
単純にポトシの衣装が分からなかったのではないだろうか

つまりさぼってたのではなく 何を選んで用意しておけばいいのか判らなかった
 だから何もしなかったのではなく → 何もできなかった


むしろ問題はそんな人たちが専門店を開いていること

ボリビアの奥の深さと 底の浅さを垣間見た ある日の夕暮れ時

20100904

忘れないでいよう

 「研修で練習で」

「ボリビア」って言われて、何かイメージわきますか?
もと読売ベルディの石川康(←たしかこんな字だっけ)ぐらい、、、?

ずっと前からの夢でした。
青年海外協力隊の一員として、南米大陸はボリビア、
 サンタクルスの近郊にあるサンファン市に派遣されることになりました。

そこの教育事務所に配属され、
 おもに小学校の教育に携わる仕事をすることになります。

 6月22日の出発から約2年間がんばってきます。

学校の校章にも象られている、梅の花。


日本の四季ってやっぱりいいなと感じます。


毎年、当たり前のようにやってくるこの季節。
しばらく見納めかと考えるとなおさら愛おしく思えます。

2010/01/10 15:52


2010/09/03 19:03

この時からもう8ヶ月が経っているなんて
東京は茗荷谷にある筑波大付属小学校で行われた、現職派遣教員に向けてのセミナーで
初めて作ったブログがこれだ
この時はボリビアやサンファンのことも スペイン語も KTCのことも 何一つ知らなかった
まさか半年後にはボリビアの地に降り立ち そして2ヶ月が経過 想像し得ない環境の変化だ
生活にも仕事にも慣れてきてできることが増えてきた
人間その気になったら いくらでも成長するチャンスはある

ただ初心を忘れないでいよう
何にも分からなかったことを忘れないために


花の写真を撮ってない







そういえば最近 花の写真を撮っていないことに気付く


ちょっと前までは花や空やきれいな景色や犬や猫なんかを撮りまくっていた
もちろん全く興味がないわけではないが今は少しベクトルが変わった気がする

自分の写真を眺めてみると 随分と人が写っていることに気付く
前までは苦手だったはずなのになぁ


自分の中で 何か大きな変化があったのかもしれない
きっかけは駒ヶ根で全員の夢を切り取った瞬間から
あの仲間たちとの活動が 目に見えない何かを与えてくれたのだと思う

そして日本にいる大切な人たちとの別れが 目に見えない何かを与えてくれたのだと思う



でも今は言葉で説明しないようにする

何でもうまくまとめてすぐに自己解決するのはもったいない

今は何だか良く分からないけど 何だかはっきりと変わっていく自分を愉しみたい



写真は"Buena Vista"(良い眺め!)という名の町に出かけた時に寄ったごはん屋さんで
やさしい笑顔のお姉さん 愛嬌のある弟 そして恥ずかしがり屋の次男

非の打ちどころのない平和の構図 写真を通して国際交流

過保護と暇保護




                 
同じく電線 暮れなずむ空を背景に 見事に絡まる靴



学校の帰り道に投げて遊んでいたのか、、まさか乾かしていたわけじゃあるまい
もし日本だったら 凧がひっかかったらすぐに、、なんてCMも流れているのに
そのままほったらかし



ガスコンロに使うボンベも 自転車の後ろにくくりつけて走っている
声をかけた瞬間に 思いっきりそれを下に落としたレストランChifa Chinaの息子

バイクはノーヘル3人乗り4人乗り当たり前 ナンバープレートなしもよく見かける
免許制度について尋ねても それぞれ答えがあやしい

車もいろいろあやしいが 荷台に乗って高速道路を走るなんて当たり前
車の免許「は」持ってる人が多いのだそう

ガソリンスタンドで給油したときも 最後思いっ切り溢れていたのに全く気にせず
ついでにタンクで持ち帰り そしてオフィスの片隅にひっそり放置
そういえばバリでも直射日光当たりまくりの店頭に ビン入りで売られてたっけ



ボリビアには安全神話を超えた 完全無敗神話が存在する
あるいは単に保護するのをさぼっているだけか、、 なんくるないさ~にもほどがある
しかし幼稚園の遊具が健全なかたちで子どもに開放されているのを見ていると
逆に日本が過保護過ぎるのかな という気もしてくる


すべり台危ない ぶらんこ危ない 転ぶと危ない 
そうやって人間の本来もっている可能性を 奪ってしまっているのかも


こっちの子どもは泣かない 
たとえ1歳の子が転んでオフィスのコンクリの床に顔を打ちつけたとしても 泣かない



自然の中で自然に育った子どもは 強い 
ほったらかしで育った子どもたちは逆境に 強い

そういう強さを日本の子どもたちにも身に付けさせたい もちろん愛情をたっぷり注いで

哲学の道と出会いの道






道を歩いているとき ふと見上げると
電線にまとわりつくようにして生えているモコモコ
ここでは別にめずらしい風景ではないのだが 見れば見るほど「?」が浮かんでくる

 種はどこから? 花は咲くのか? それにしてもよりによってなんで電線に?

自然の中にあるものには一切のムダがない 何らかのメリットがあるのだろう
日本では見られないのにボリビアで見られる理由もあるはずだ
名前も知らないモコモコについての禅問答は続く

きっと車に乗っていたら バイクだったら 自転車だったら 走っていたら
考えもせずに通り過ぎていただろうし そもそも見過ごしていただろう哲学

 きっと人間の歩く速度は 人間の思考の速度に近いのかもしれない

最近読んだ友達のブログにあった印象的な言葉

 歩きながら思索を練る「哲学の道」 そしてできるだけ人と関わる「出会いの道」

一見相反するように思える二つの「道」だが 相互に補完し合っている「道」である
内なる世界と外なる世界を広げる 人生を豊かにする「道」である
一人で考え過ぎるのでなく ひたすら外に向けて広げていくのでなく
机上の空論を詰め込んでばかりでもなく 書を捨て町に出っ放しでもなく
インプットとアウトプットのバランスを大切にしていきたい

車よりもバイクよりも自転車よりも走っている時よりも やっぱり
歩いている時の方がいい出会いがあるし いい写真が撮れるような気がする

仲間の言葉で刺激を受けた後は カメラを担いで町を歩こうか
明日も天気は良さそうだ

夏イチ






12:00~14:00までの2時間


スペインを始め ラテンアメリカの多くの国々がそうであるように
ここボリビアにも長い長ーいシエスタがある


職場のみんなは家路に着き 家族そろってゆっくりゆっくり食事を楽しむ
3食の中で昼食"almuerzo"を一番大切にしているそうだ



そして町は 静まり返ったように午睡につく



人も犬も猫も鶏も植物も一切の差別なく平等に穏やかな時間が流れる
そしてみんな、14:00ぎりぎり(アウト?)に出勤



日本で先生をやってた時には休憩時間どころか
トイレにいく暇さえなかったような毎日

食べる時間を惜しんで 宿題を見たり子どもたちの話を聞いたり
この時期だったら運動会向けて 応援団やリレーの練習に奔走していたっけ



冷蔵庫を眺め 野菜を刻み 手早く調理する
ゆっくりゆっくり噛みしめるように味わい


残った時間は 昼寝を楽しむもよし この夏の一冊を探すもよし

「クジラがみる夢」「もの食う人々」「こころ」

昔読んだ本 薦められた本 またじっくり活字を追っていくと違った味わいがあるものだ


日中の強烈な日差しを避けたり 人間のバイオリズムに合わせて午睡をとったり
合理的な理由もあるようだ でもちょっとシゴトのテンションじゃなくなる 

生産性は低いのかもしれないけど 確かに豊かな時が流れている
毎日が夏休み感覚 果たして日本で社会復帰できるだろうか、、

20100902

月影とソパと







地球の裏側に来て 日本で暮らしていたときよりも濃く感じるもの




 夜の闇と足元を照らす月影と
 
 そして、レストランで出てくるスープ"Sopa"の味




停電自体はそんなに珍しいことじゃないが

もしそれがたまたま夜だったとしたら

道行く人の顔はおろか 足元さえも覚束ないほど

町は深い深い闇に包まれる





"Memento mori" 



月明かりを頼りに自分の掌を眺めてみた

何百年前の人類の祖先も 同じような闇の中で

自分の掌を見つめていたのだろうか

文明の光が奪った 遠い人類の記憶

いつもより生命線がはっきりと見えた



 おれ 確かに生きている


鮮やかな月影を 一歩ずつ踏みしめながら歩く帰り道

昼間のソパの味がまだ口の中に残っている

今晩はささやかに夕食をすませたい

ココロにもカラダにもやさしく



こんな夜には今まで出会ったきた 大切な人たちのことを思い出す

孤独を感じる夜にこそ 何よりも人の温かさを感じる

地球の裏側にきて 日本で暮らしていた時より濃く感じるもの もう一つ

 人と人とを結ぶ絆

20100829

本当に必要なもの





 初めての買い物 = 塩・油・しょうゆ・洗濯用洗剤
 





生活していく上で必要なものをじっくり考えたけど
店の棚に並んでいたのは ほとんどが「無くても特に困らないもの」ばかり

そういえばマドリーの地下道で荷物を全部盗られた時
大使館から借りたお金でまず買ったのは
 = はぶらし・下着・靴下、そして大量のオレンジとパン


生きるためには何が必要なのかというぎりぎりの選択は 案外そんなもの

東京で暮らしていた30年間 身の回りに溢れていたのは
多分そのほとんどが 「あったらいいな」って物ばかり

シンプルに生きることで 「本当に必要なもの」が見えてくる


心の豊かさとは多分そういうことかもしれない


でも「あったらいいな」で豊かな生活が成り立っていることも事実
「豊かな生活」の中で 「本当の豊かさ」を見つめられるようになりたい

いただきもののオレンジと卵、そしてあったらいいなの日本米(さすがサンファン!)


改装中の部屋に住みながら プレッシャーをかけ続け 部屋の改造も(ほぼ)終わり

本格的な生活がいよいよ始まる

20100827

言葉の引き算









小学校教師をしていた時 気をつけていたことがある





言葉を伝えるためのコツ とも言うべきか


それは説明はなるべく短く そして分かり易く ということだ


準備をしてなければしてないほど 話はくどく 長くなってしまう


長い文章で気持ちを伝えるのは わりと簡単だ


言葉を足し算していけば 自然と言いたいことは説明しつくされている


しかし難しいのは 短い言葉で要点を伝えるということ


長ーい校長先生のお話は 耳から耳へスルーするように


みんなだんだん飽きてきて 聞く気もなくなって 


子どもは正直だから そのうち自由に遊びだす



話も文章も できるだけ簡潔にムダをそぎ落とし 研ぎ澄ましていく





言葉の引き算





本当に言いたいことは 本当に短い言葉で十分に伝わるはず

                             自戒をこめて次回へ

20100825

ひと月45Bs.の幸せ





ボリビアでは今 古着の輸入が禁止されている

安く大量に輸入されてくるアメリカ製の古着から
国内の服飾産業を守るためだ
他にもアメリカ資本に頼らないような政策をとる現政権

でもふつうに町では古着が売られてたりするし
祭りの日の背中に自由の女神を見ることもある
あれっ 確か今日は建国記念日のはずじゃ、、、

ラパスやサンタクルスの発展ぷりを見たら
この国が大きな近代化のうねりに乗っていることは一目でわかる
そして それとは対照的に
路上で目にする人たちや 聞き知るところ人々の暮らしの格差
それがゲバラの言った「農村の現状」と変わらぬ この国の現状だとしたら
「 高地に住むある一家の収入減は ただ一つ
飼っているアルパカの毛を刈って 月に一回市場で売ること
ペルーとの国境にあるその市場にその毛を運び そして
                                       安く買いたたかれる 
ひと月たったの45Bs.
家で待つ子どものためにあめを一袋おみやげに買って帰る夫婦
そして一つだけもらったそのあめを 愛おしそうになめる子どもたち 」
そんなドキュメント番組が以前 放映されていたそうだ
ぼくはその毛を市場まで運ぶキモチも
子どもたちへのおみやげを選ぶ夫婦のキモチも
あめ玉を大事に大事になめる子どもたちのキモチも
想像はしてみるけど 多分きっと分からない
かわいそうだとは思うけど 多分きっとその一家助けることはしない
            (目の前にいたら手を差し伸べるだろうが)
ひょっとしたらこの親子の間には ぼくらに想像なんかできないくらい
辛く切なくどうしようもないような感情に苛まれているのかもしれない
そして ひょっとしたら遥かに幸せな瞬間が訪れていたのかもしれない
想像はするけど 同情はしないようにしている
でもやっぱりかわいそうだと思うし 憤りも感じるが
きっと 少し時が経つとその感情は薄れて
忘れてしまうに違いない
まずは「知る」という言葉で 少しでも
目をそらさずに見据え 考えて 伝えていくことで一歩ずつ
「無関心」と対極にある「やさしさ」をもち続けていたい
「ゲバラの思想はボリビアの農民には受け入れられなかった」

こんなセリフで映画はしめくくられていたけど
今のボリビアを見たら 彼は何を想うだろう
でも 良くも悪くも 細かいことを気にしないのが
この国の人々のいいところ である
が それだけで片付けてはいけない課題も
山積みされているように感じる
ただ願わくば 互いの幸せを分かち合えるような社会であれば
                                  それでいい
※ 1Bs.=約13円

20100820

グローバリゼーション




「パレードの様子を写メる女の子」





南米最貧国とか言われているが この国は
けっこう発展していると思う
むしろ問題なのは 富の再分配と格差(とてつもなく大きな)の問題
ラパスやサンタクルスの中心街を眺めると その大都会っぷりに驚く

世界中が同じように 近代化・都会化している
子どもたちはメディアを通して よその国の文化や価値観にふれ
気が付いたら世界中どこに行っても同じ風景 なんてことに

グローバリゼーションの波に抗い
他民族共生を旗印に 民族の独自性を謳うボリビア
しかしそれは 経済的な発展とのバランスが重要で
教育の目標もそこにあるのだとカウンターパートのドナイレが言っていた


この国には経済的な指標では量れない
別の豊かさが 確かに存在しているのを感じる
その目に見えない何かを しっかりと日本に持って帰りたい

ランボーの子どもたち







お祭りの日には家族総出でお出かけ
家族が集まったらやっぱり 記念写真


一眼レフを持ってうろうろしていると
写真屋さんと間違えられて
「撮ってくれ」「1枚いくら?」と聞かれることもしばしば



カメラはコミュニケーションツールだと思っている

写真を撮るという行為を通して対象とつながる
相手といい関係が築けていればいるほど

いい写真=いい表情が撮れる


餞別として 卓上フォトプリンタをいただいた
フルに活用して みんなに喜んでもらっている
ジャパネット平川さんを始め成丘OB会に感謝!!


ボリビアの人たちを写真で撮るとき
当然ですが写真慣れなどしていないので
どうしても真顔だったり キメ顔キープになってしまう

自然な表情を引き出すのが中々難しい


"risa" "ria"


「笑顔で!」とか「笑って」とか言ってみるも
松田優作が言うように
おもしろくもないのに笑えるはずもない


苦労の末編み出したスキルを参考までに
大人→撮った写真の確認画面を見せてほめる(大げさに)
子ども→くすぐる                    以上。



ちなみに写っているのはランボー(に似ているからついたあだ名)の
奥さんと娘たち
お父さんランボーなのに子どもたちなんてかわいんだろう、、!

食いしん坊万歳



イベントが始まるとどこからともなく集まってくるのが
のら犬と様々な屋台




この日は特に暑かったせいかアイスやかき氷が人気だ

かき氷をふと よーく見てみると
赤・黄・緑の3色のトリコロールがごちゃ混ぜに、、
愛国心・多民族というボリビアを象徴するようなこの一品
でも計画なく足し算して いったい何味かわからなくってるところも
、、、なんか ボリビアっぽい
ちなみにこのお姉さんはポップコーンを売っています
他にも駄菓子や袋詰めのジュースから軽食まで
見渡してみると なんか食べたり飲んだり
みんなよく食べるし よく飲むなぁ
でも 発つ鳥跡をにごしまくり

Hay que limpiar,,,no?

後進国否行進国です




大きなお祭りのメインイベント
必ずプログラムの最後に組み込まれているのが


"Desfile"  パレードだ
お偉いさんたちが 行進!
元気よくマーチングバンドが 行進!
それぞれ最高のおしゃれをして 行進!
園児も小学生も中高生も先生方も 行進!
色とりどりの衣装 洗いたてのシャツで 行進!
ボリビア国旗のトリコロールをあしらって 行進!
昨日道路にペンキで引いた線に合わせて 行進!
幼稚園生はめっちゃ下の線を気にしながら 行進!
いつもはルーズな市役所職員もお揃いのシャツで 行進!
JOCVは一張羅の 紺ジャケで 行進!
バイクも 行進!
タクシーも 行進!
なぜか犬もまぎれて 行進!
町の中心広場を 行進!行進!

決して後進はしない
前進あるのみ
願わくばこの国の前途も そうあって欲しい
行進大好きボリビアーノス! 胸を張って前へ、、!

20100808

8月6日





 8月6日 "Seis de Agosto"


この日はボリビアにとって とても重要な一日である


町中に飾られた 鮮やかな国旗
市制記念日より入念に重ねられた準備
前日夜に催された提灯行列
祭りの始まりを知らせるノリノリの音楽
広場に集まるたくさんの人 そしてのら犬
フェリアのように色とりどりの出店
とにかくハデに彩られた車
この日のために練習を重ねたマーチングと行進
スーツすらめったに見ることがないのに この日は礼服
子どもを指導する先生たちの真剣なまなざし
そしてちょっとアき始めている子どもたち

でもどこかほこらしげだ

国歌の中に「どれいとして生きる前に死を!」という一節がある
独立したこと 一つの国として存在すること
このことがどれだけ大きな意味をもつのか
この国の人たちがヒロシマを知らないように
外国人であるぼくたちもその重さを知らない
だからこそ歴史や文化を理解し 想像することが必要なんだろう

難しいことは後にして まずは食べ物を飲み物を味わうことから

そして祭りの後にはやっぱり、、フットボール!!